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<title>ヒット商品応援団</title>
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<description>日記で綴るマーケティング着眼（日記内文章の無断転用を禁じます）</description>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/07/post-beca.html">
<title>納得劇場</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/07/post-beca.html</link>
<description>今起こっている政治を劇場として見ていくならば、アウトレット商品再生の訳あり「納得劇場」とでも言えるであろう。バブル崩壊後失われた十数年と言われているが、政治に於いてもやっと納得価値という成熟した大人の価値観を持つに至って来たと思う。つまり、与野党共々納得競争ということだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No381（毎週2回更新） 　2009.7.7.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;沖縄に行っていたのでブログの更新が遅れてしまった。前回のブログで東国原シアターについて書いたが、1週間も経たない内に、第一幕は指摘した通り終わってしまった。今回のサプライズに対し、瞬間「あっ！」と思わせたが、やはり前回小泉劇場の学習効果からであろう、その意図する世界はシナリオのレベルの低さ、演じる役者が稚拙であることもあって、国民から見透かされたということだ。マスメディアによる世論調査を見ても、自民党からの出馬に対し、70％前後が評価していない。第二幕は上がるのかもしれないが、もし上がるとすればより強いパフォーマンス、仰天プランしか残されていない。つまり、サプライズ戦略を採るとは、更に刺激的なパフォーマンスしか残されていないということである。つまり、第二弾、第三弾といったエスカレートさせるシナリオが用意されているのが普通である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;かなり前になるが、ある商業施設のリニューアルに際し、閉店セールを組んだことがあった。約1ヶ月半のロングセールで、最初の2週間は30％off、次の2週間は50％off、徐々にoff率を上げ最後は棚や什器までをも売るといったプランを実施したことがあった。最初の30％offはいわば認知拡大が主要な役割で、顧客は徐々にoff価格と欲しい在庫商品とのかねあいを考えるようになる。そして、最後の1週間が本当のセールとなり、全てを売りつくすプランであった。そして、この売りつくしの先に「生まれ変わった商業施設」があり、閉店セールは「次」への期待を促すプレキャンペーンのようなものとして位置づけていた。&lt;br /&gt;
今回の東国原シアターは地方分権というテーマの認知度を上げることには成功したが、「次」に見えるもの、期待を醸成する何かが見えてこないという致命的なシナリオとなっている。つまり、「生まれ変わった商業施設」の喩えで言うならば、旧自民党閉店セール後の「生まれ変わった自民党」、「生まれ変わった産業構造へと転換する日本」が見えてこないということである。私もそうであるが、多くの国民は地方分権に賛成である。しかし、見えてくるのは与野党どちらが政権を担当するにせよ、政局混乱後の再編をうかがっての自己PR、パフォーマンスしかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おそらくこれからも劇場型サプライズがマスメディアを賑わすことと思うが、少なくともそうした学習体験を積んだ生活者が驚くことは少ないと思う。何故なら、非日常的なサプライズ価値から、日常的な納得価値へと大きく転換してきているからである。ここ半年ほど盛んにキーワードとして使われてきた巣ごもり消費とは、日常的な納得価値のことであり、巣ごもりという内側にあっても知恵や工夫を働かせた活発な消費は存在している。&lt;br /&gt;
昨年9月のリーマンショック以降、日本にも起こった多くの出来事は異常事態であり、単なる経済の指標に表れているだけではない。もっと単純に言えば、異常な生活になったということである。こうした異常さに向き合い、手の届く範囲で生活を組み立てよう、次にまた異常事態が起きた時に備えよう、自己防衛しようと誰もが考えて生活している。そんな時代に、考えることを止めたような底の浅いサプライズ表現は逆に反発を買うだけとなる。これが「今」を表す空気感であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、ブログの最後に「ブランドはその心理効果を失い、アウトレットで買われる時代である」と書いた。ブランドを政府自民党に置き換えて読み込んでみれば分かる。つまり、アウトレット商品を鮮度ある新品の如く売ろうとサプライズ効果を狙っても見透かされるということだ。&lt;br /&gt;
私は政治のプロではないが、マーケッターとして、アウトレット商品をより良く売るにはどうすれば良いか考えてみた。それは、誰の目にも分かるように、本当の閉店セールを組むことしかない。つまり、自ら命名した東国原シアターを即第一幕で閉じることだ。そして、批判を浴びることになると思うが、総裁選を行い、誰もがここまでやるのかといった新閣僚人事を大胆に行うことしかない。人気だけでなく、納得価値にふさわしい実績のある人材を登用することだ。例えば、東京副知事の猪瀬直樹を国交省大臣、幹事長もしくは政調会長に舛添要一、官房長官には野田聖子、総務大臣には鳩山邦夫の復帰、行革担当大臣にも渡辺喜美の復帰、つまり少しでも納得価値に迫ることができるオールスター人事、ヒットパレードということである。恐らく、見え方として、あたかも「政権交代」したかのようなキャスティングである。そして、その戦略はと言うと、抵抗勢力（競合）を民主党にはしないということだ。誰を競合とするのか、それは官僚組織となるであろう。つまり、官僚叩きである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治のプロではないので、このような第二幕となるかどうか分からない。ただ、こうした政治を劇場として見ていくならば、アウトレット商品再生の訳あり「納得劇場」とでも言えるであろう。&lt;br /&gt;
訳あり消費を見ても分かるように、生活者はしたたかであり、かつしなやかさを持っている。これから起こる政治に、どんな評価、判断を下すのか分からない。しかし、バブル崩壊後失われた十数年と言われているが、政治に於いてもやっと納得価値という成熟した大人の価値観を持つに至って来たと思う。つまり、与野党共々納得競争ということだ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-07-08T13:29:22+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/07/post-2ddd.html">
<title>劇場化社会の構図</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/07/post-2ddd.html</link>
<description>劇場型コミュニケーションは、その名の通り、舞台があり、主役や脇役がいて、どんなパフォーマンスを行えば観客は喜ぶかシナリオと演出が用意される。小泉劇場に続き、東国原シアターの第一幕が始まった。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No380（毎週2回更新） 　2009.7.1.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ブログを始めて４年近くになる。ちょうど小泉郵政選挙の時期と重なり、当時の小泉総理を１個の商品、小泉ブランドとして見立て、その戦略を消費論的に分析したことがあった。その中で使ったキーワードが「小泉劇場」で、劇場化社会におけるブランドの創造と衰退がテーマであった。&lt;br /&gt;
劇場化社会とは、異なる言葉で表現すると、高度情報化社会のことで、情報発信という視点に立てば、商品ばかりでなく、街、店、人、勿論広告を含めあらゆるものがメディア（メッセージを伝える媒介）になりうる社会のことである。例えば、秋葉原駅周辺の街はアキバと総称されているが、自分でPCを作るような電気技術系若者、アニメに惹かれ更にフィギュアのコレクションが好き、そうしたチョット変わった若者をオタクと呼び、「電車男」や「メイド喫茶」が話題となり、街自体が一種のブランドを形成するようになる。結果、そんな街を観てみたい、メイド喫茶にも行ってみたい、と観光バスで訪れるようになる。&lt;br /&gt;
また、1990年代後半、山姥、ガングロといった婆娑羅ファッションのティーン達は渋谷10９を目指し全国から集まるようになる。渋谷の街は彼女達にとっていわばストリート劇場になり、渋谷109はティーンファッションの聖地となる。マスメディアは競って話題として取り上げ、中学校の修学旅行のプログラムに東京ディズニーランドと共にマルキュウが選ばれるようになる。つまり、その街に行けば新しい「何か」と出会える、期待し得る「何か」があると想像する、そんなメディアによって引き起こされる社会のことを劇場化社会と呼んできた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今また、郵政民営化を地方分権に置き換え、劇場ではなく自らシアターであるとマスメディアに登場したのが、周知の宮崎県知事東国原氏である。既に死語となったサプライズの復活である。私は既に1年半以上前から、劇場化社会は変化し、従来のサプライズ手法が効果を発揮する時代は終えたとブログに書いてきた。情報の時代とは、大量の情報が行き交う時代のことであり、情報も類似化を免れず、あっと驚かせる、一発芸のように差別化するために生まれたのがサプライズ手法である。平易に言えば、話題になりさえすれば、という本音が裏側に潜んでいる。いつしか、そうした刺激は麻痺し、更に刺激はエスカレートしていく。当時、そうしたサプライズ・コミュニケーションを次のように私は書いていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「短期的成果を求めた強いインパクト、効率の良いレスポンス、コミュニケーション投資に見合うサプライズ価値、こうしたコミュニケーション世界も、長い眼で見る持続型継続型の日常的対話コミュニケーション、奥行き深みのある実感・体感といった納得価値へと変わっていく。『猫だまし』のような、あっと驚かせて瞬間的に大きな売上げをあげていくビジネスから、小さくても「いいね」と言ってくれる顧客への継続する誠実なビジネスへの転換である。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、この数年間劇場化社会の体験結果が学習され、政治の世界においても私が指摘した通りになりつつある。選挙は短期間の勝負と考える従来のやり方＝サプライズ手法（マスメディアでのパフォーマンス）とは異なる選挙結果がここ数ヶ月地方選挙にも出てきた。もっと分かりやすく言うと、タレントの好感度ランキングとは異なる選挙結果ということである。&lt;br /&gt;
私は選挙のプロではないので、選挙区事情等は分からないが、横須賀市長選挙の結果などはその象徴例であると思う。元小泉総理の応援を受け、自民、公明、民主の推薦を受けた現職の市長が破れ、無名の33歳元市議吉田雄人氏が当選した。毎日新聞によれば、組織選挙を否定し、駅頭に立ち、地道に、オバマ大統領のように「チェンジ」を訴えたと。そうした活動が、若い無党派層へ浸透した結果であったと。これは推測の域を出ないが、主役は市民であり、脇役は吉田雄人氏、舞台は日常、そんな新しい劇場が生まれてきたと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;劇場型コミュニケーションは、その名の通り、舞台があり、主役や脇役がいて、どんなパフォーマンスを行えば観客は喜ぶかシナリオと演出が用意される。小泉劇場第一幕は総裁への予備選が舞台として用意され、自ら奇人変人と呼び「自民党をぶっ潰す」と呼びかけた。主役は小泉純一郎、脇役は女房役の田中眞紀子。観客はマスメディアで、取り上げやすいようにワンフレーズポリシー、予想もしないようなキーワードだけを連発する。さて、４年前の郵政選挙ではどうであったか。構図は全く同じである。主役は小泉純一郎、脇役は「抵抗勢力」であった。抵抗勢力との闘いを自ら持ち込み、マスメディアという観客に投げかける。ワンフレーズのみ、「郵政民営化は是か非か」と。そこには競争相手の民主党はいないばかりか、政策すら無かった。そして、マスメディア、特にTVメディアは一斉に抵抗勢力と刺客との闘いを面白おかしく取り上げる。リアルな権力闘争という芝居ほど面白いものはない。報道番組はお茶の間のワイドショーへと変化していく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マーケティングをやった人間であればすぐ分かることだが、小泉劇場はNo1ブランド、No1シェアーをもつ者だけに可能な戦略である。トータルシェアーを確保・拡大するために、敢えて自社内競合商品を創り、市場に導入する戦略である。小泉劇場の場合は、抵抗勢力が自社内競合商品ということだ。これからの動きを見ないと断定できないが、宮崎県知事東国原氏を含めた劇場型政治は、衰退しつつあるNo1ブランドを果たして再生することができるであろうか。東国原シアターの主役は東国原知事、脇役は大阪橋下知事（？）、シナリオライターは古賀選対委員長、舞台は東京となるが、しかし本来主役であるべき麻生総理はどこへいったのであろうか。&lt;br /&gt;
これから始まる東国原シアターへの評価であるが、私もそうであるが、マーケティングのプロの判断は否である。恐らく、パフォーマンスすればするほど、刺激を強めれば強めるほど、逆方向へと振り子が振れる人間が増加しているからだ。その振り子の中心にあるのは劇場型政治の学習体験である。小泉劇場の体験結果、生活に「何が」生まれたのか、どんな成果が得られたのか、時間経過と共に学習してきたということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ブログを書き始めて以降、ヒット商品の裏側にある生活者の価値観変化の推移を追いかけてきたが、書いたブログの中で一番多いテーマが実は情報偽装に関してであった。耐震偽装事件を始め、実は無数の事件を生活者は目の当たりにしてきた。情報の時代ならではの問題であり、信用できるのは自らの体験ということである。しかし、メディアサーカスが起き、東国原シアターへと報道が集中し、一定期間繰り返されることによって動く人間もいる。劇場化社会の成否はこのメディア・シェアをどれだけ取れるかによる。&lt;br /&gt;
政治は未来を描くことであり、そうした意味で期待値そのものとしてある。情報偽装に最も適している世界だ。これからも劇場化社会は続き、新しい、面白い、珍しいというサプライズ欲望は誰しもが今なお持っている。興味本位と見た目で、「何かやってくれそうだ」といった心理に動かされる人間も少なからずいる。しかし、そうした人間も体験を積むことによって少しづつ減っていくであろう。何故なら、一発芸の小島よしおやグーのエド・はるみはどこへ行ったのか。ブランドはその心理効果を失い、アウトレットで買われる時代である。さて、東国原シアターの第一幕が始まった。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-07-01T13:50:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-26c9.html">
<title>アラカルトの時代</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-26c9.html</link>
<description>小さなヒット商品を産み出すには、まず小さな価格を含めた比較選択しやすいアラカルトメニュー、アラカルト商品が用意できるかにかかっている。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No379（毎週2回更新） 　2009.6.28.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し前に、私は巣ごもり消費の時代は自己解決型ライフスタイルに向かうと書いた。更に、当分の間大きなヒット商品は生まれないとも書いた。しかし、小さなヒット商品は次々と生まれてくるであろうとも。生活者、顧客の側に立てば、価格を含め選択の幅が必要な時代であるということだ。日経新聞が行った小売業調査によれば、2009年度中に47％が値下げを計画していると報じている。つまり、価格競争が更に激化するということである。ところで、生活者は「自分で解決できるか否か」、そして、それは「自分でやるよりどれだけ安上がりになるか」が明確に分かることを要求している。ネット上においては比較サイトが無数にあり、商品機能もさることながら、価格比較がまずチェックされる。今、起ころうとしていることは、アナログ世界である小売店店頭でもこうした比較が求められるということだ。家電量販が行っていた他社より高ければその分値引きしますといった手法は既にスーパー西友にも及び、徐々に他の商業にも広がるであろう。小さなヒット商品を産み出すには、まず小さな価格を含めた比較選択しやすいアラカルトメニュー、アラカルト商品が用意できるかにかかっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し前から、「消費の移動」が起きていると指摘してきた。その代表が「○○したつもり消費」と「××の替わり消費」である。これらは顧客サイドの比較結果による消費移動である。例えば、結婚式の披露宴に多大な費用をかけるのは止めて、ウエディング姿の記念撮影だけはこだわりたい。あるいは、結婚指輪のかわりに、普段身につけたいので気に入った指輪にする。こうした消費移動は至る所で行われている。ここ１年ほどになるが、人気レストランや割烹料理でのコース料理が減り始めている。好きなメニューを自分で選ぶというアラカルトメニューの充実がはかられていると聞く。また、回転寿司人気も、勿論安さと共に好きなものと自分の財布との両立が分かりやすくできる点も魅力の一つとなっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小売店では、店側のプロの表現として、更には顧客単価を上げようと「組み合わせセット」がつくられる。あるいはメーカーも、あれこれ品揃えを価格帯ごとにセットで販売することが多い。何年も前から、個人単位の消費傾向が強く出ていることから、小さな単位で販売しなければならないと言ってきたが、最小単位、つまりバラ売りの時代になったということだ。しかも、あれこれちょっとづつという好みを満たすと共に、価格比較が瞬時に分かるのがバラ売りの良さである。勝手にセットしたり、組み合わせたりするな、ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした消費傾向に合わせるように食においてはブッフェスタイルが盛んだ。しかし、最近の顧客は更に目が肥えていて、例えば1時近くになると大皿に盛られたメニューの中にはほとんど無くなるものもでてくる。そんな補充をこまめにしないような店には二度と行かない、というのが最近の顧客意識だ。&lt;br /&gt;
また、じわじわと浸透しているのが、オフィスへの配置菓子販売である。富山の薬売りではないが、近くのコンビニに行かなくても、配置された菓子の食べた分だけ支払うという合理的な仕組みである。バラ売りならぬ、顧客のバラ買いである。&lt;br /&gt;
１年以上前に、「ワンコイン商店街」というタイトルでブログを書いたことがあった。当時は100円と500円を意識した「ワンコイン売り出し」であったが、この春頃からワンコインは10円、50円、100円という単位となった。つまり、それだけ価格にシビアな目が注がれているということと共に、バラ売り、バラ買いが浸透してきたということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し前に、「わけあり商品」の在庫が無くなってきていると書いた。家庭のタンスや問屋の倉庫、勿論小売店の店頭に至まで、下取りや見切り販売によって在庫が無くなってきた。このこと自体は良いことであるが、次の段階はいわゆる正規商品による価格競争である。欧米の日本に対する懸念の第一は本格的なデフレになることだと指摘されている。マクロ経済の専門家ではないので、どこまで消費物価指数が下がればデフレなのか否かはわからない。しかし、店頭の小売価格を見る限り、この１年明確に下がっている。&lt;br /&gt;
情報の時代の特徴であるが、「一人勝ち」というキーワードが指し示しているように、消費は一点に集中する。しかし、単に話題だけであれば瞬時に売上は止まる時代だ。アラカルトの時代、バラ売りバラ買いの時代にあっては、こうした一点集中が小さな単位で至る所で起こるということだ。そして、言わずもがなであるが、バラバラの中で選ばれる理由、より専門的、より独自性のある商品が更に求められる時代である。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-28T13:41:49+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-e4fa.html">
<title>時代の調味料</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-e4fa.html</link>
<description>新しいライフスタイル、知恵と工夫の達人生活とでも呼べるような、成熟したライフスタイルが大きな潮流になるにはまだまだ時間がかかる。今は、手元にある巣ごもり生活に、チョット楽しく、時に刺激的に、自分で調味料を付加して暮らす、そんな調味料の時代と言えよう。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No378（毎週2回更新） 　2009.6.25.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、2009年上期のヒット商品について書いた。結論として、新しい着眼や未来のライフスタイル傾向を予感させるような商品は全くなかったと。2009年下期の予想について日経MJも書いているが、本来のヒット商品が出てくることはない。以前、「過去の中の未来」というテーマで私はブログを書いたが、それと同じことを日経MJは「歴史・未来への意識、底流に」と、つまり過去の中に未来を見出すものとして、11月から5回にわたって放送されるNHKのドラマ「坂の上の雲」を取り上げていた。周知の司馬遼太郎の小説のドラマ化であるが、私なりに付け加えれば明治維新によってヨーロッパ文明と対峙し、文明の衝撃を残した夏目漱石なんかも静かなブームを起こすと思う。つまり、「今」という時には未来はないということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;数年前から社会現象として出現する、こうした一種の回帰現象はこれからも引き続き起こってくる。今、太宰治の生誕100年という機会もあって、若い世代に太宰ブームが起きている。また、今週の週刊東洋経済のテーマを「古典が今、おもしろい」とし、論語からケインズまで取り上げている。&lt;br /&gt;
昨年、サントリーがウイスキーのショットバーを青山に作るというニュースを耳にし気にしていたのだが、実は低迷するウイスキー市場を活性化させ順調に伸びている。特に、その中心メニューはハイボールで、若い世代にとって「古（いにしえ）が新しい」ものとして受け止められている。サントリーウイスキーも、いわゆる原点回帰ということだ。また、町起こし、村起こしが盛んに行われているが、その中心テーマはご当地グルメで、その多くは「古が新しい」メニューとなっている。横須賀の海軍カレーや地方では日常的に食べられているものに少し手を加えたメニューである。こうした傾向、回帰志向は数年前までの大きな「和回帰」のようなものから、より身じかで日常生活に即した回帰へと変化してきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;結果、大きなヒット商品は当分の間出てこないと思うが、反対に小さなヒット商品がどんどん消費の舞台へと上がってくる。2年少し前に、「今、地方ビジネスがおもしろい」と書いた。ちょうどその頃、私は鳥取県のアンテナショップづくりを手伝っていたが、周知のように今東京では地方の食を中心にアンテナショップ巡りが話題となっている。&lt;br /&gt;
つまり、小さな固有商品こそが求められているのだ。裏日本、日本の岬やはずれ、過去注目されたことのない田舎、そうした地方が今面白いということである。まさに京都がそうであるように、表通りの名所旧跡観光から、路地裏の生活文化観光へと変化し、観光拡大を果たして来ているのと同じである。路地裏に埋もれた小さなヒット商品、あるいは小さな企業がこれから表舞台へと上がってくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;過去注目されてこなかった「何か」とは、全て「小さな世界」、少数の知る人だけが大切に育ててきたものである。しかし、それが売れるものであるとは一切認識されていない。当人や利用顧客にとって、ごく当たり前で、普通で、売る術を知らなかったとも言える商品だ。私の言葉で言うと、都市生活者が求める欲望を知らないという一点において、埋もれてきたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした宝探しのような中にヒット商品を見出すことも必要であるが、日常の中に小さな「何か」をチョット付け加えることによって、我慢を和らげたり、楽しさに変えられるような、そんな時代の調味料のようなものがヒットすると思う。○○したつもり消費といった代替消費もそうであるし、自己解決するにしても「何か」を加えることによって楽しさに変えることができる、そんな消費スタイルである。例えば、今流行の節約弁当も、ブログに公開し、弁当族と交流するといった面白さに変換するといった工夫。ただ単にお金をかけずにストレス解消の散策をするのではなく、「フットパス」のように知的興味を満足させるとか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな時代の調味料は、過去あった商品ばかりでなく、人物であったり、スタイルであったり、裏に潜んでいたりする。調味料がそうであるように、味を引き立てるばかりか、１つのスタイルを創り上げることでもある。醤油を入れることによって和風に仕上がるように、その「何か」がライフスタイルを決めていく。以前、巣ごもりの中から清貧の思想のようなものが生まれてくるであろうと書いたが、新しいライフスタイル、知恵と工夫の達人生活とでも呼べるようなライフスタイルである。しかし、そんな新たなライフスタイル、成熟したライフスタイルが大きな潮流になるにはまだまだ時間がかかる。今は、手元にある巣ごもり生活に、チョット楽しく、時に刺激的に、自分で調味料を付加して暮らす、そんな調味料の時代と言えよう。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-25T10:27:35+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/2009-eb46.html">
<title>2009年上期ヒット商品を読み解く　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/2009-eb46.html</link>
<description>次なる新しい価値観を我がものとするための模索であり、一見バラバラに見える模索現象もいくつかの方向へと収束していく。その時、巣ごもり状態を脱し、新たな価値観による成熟した消費が見られるであろう。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No377（毎週2回更新） 　2009.6.21.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日経MJによる2009年上期ヒット商品番付が発表された。前回、私なりに読み解いてみたいと書いたが、正直言ってこの１年間私が着目し、その裏側にある生活者の価値観を指摘してきたことばかりである。繰り返し書いても意味がないと思っているので、詳しく知りたい方は私のブログを検索して読んでいただきたい。&lt;br /&gt;
既に１年以上前から「節約」は始まっており、私は「どんなに良い商品でも価格の壁を越えなければならない時代である」と書いてきた。そして、その価格は原油や穀物などの資源高騰を背景に、上流ではインフレ、下流ではデフレという「ねじれ現象」が生まれているとも。こうしたねじれの中から生まれたのが、実は「訳あり商品」であった。規格外といった訳あり商品をいち早く取り入れ急成長したのがOKストアであり、大手スーパーも次々とOKストアと同様のエブリデーロープライス業態を出店し、PB商品の開発を拡大していく。この延長線上に、従来はプロ用と言われてきた卸売り市場や業務用スーパーにまで、一般生活者が買い物に出かける現象も生まれた。これら全て生活者が望む「価格観」を表している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところでその番付であるが、東西横綱には「インサイト、プリウス」及び「ファストファッション（H&amp;Mやフォーエバー21等）」となっているが、その根底にあるのは「安さ」である。大関の「gu（990円ジーンズ）」や「下取りセール」以下、そのほとんどが価格の「安さ」がヒットの背景・理由となっている。1年以上前から、生半可な付加価値など「安さ」に勝つことはできないと言ってきたが、その通りになっている。まあ、日経MJが巣ごもり代表商品として関脇に「節約弁当」を入れたのは良いとしても、「もやし＆ひき肉」まで番付に入れるとは思わなかった。つまり、それだけヒット商品が無かったと言うことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、この番付を見て、何か変だなと気づかれた人もいると思う。前回テーマとした健康や美容といった数年前までは必ずヒット商品番付に入っていた商品が、今回は一切入っていないということである。更に言うと、観光ではウオン安による韓国旅行が入っているだけである。少し前に、東京ディズニーリゾートの入場者数が減少に転じた時、本格的な消費氷河期に入ったと見なければならない、と私は指摘した。前回、高速道の「千円効果」についても、周辺観光地への経済効果はほとんどなく、アウトレットだけが大混雑であったと指摘した。以前、取り上げたことがあったが、番付にも売れ残りマンションの再販業者が入っている。売れている「インサイト、プリウス」も価格設定のうまさとエコカー減税が販売を後押ししている。つまり、生活の衣食住遊休知美、あらゆるものについて見直され、新しい価値観へと向かっているということだ。表面上は経済不況という理由でモノが売れないように見えるが、そうではない。多くの生活者のお金の使い方が変わったということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;健康志向も、美しくありたい、痩せたい、といった欲望が無くなった訳ではない。海外旅行にも行きたい、時には美味しい外食を家族と楽しみたい、こうした欲望は今なおあるのだ。健康志向、あるいは美容・ダイエットについては、前回書いたように自己解決型消費に向かうであろう。遊びについては、原則安近短への代替消費へと向かう。但し、繰り返しになるが、東京ディズニーリゾートの入場者数が減少に転じた時、赤信号となる。この遊びの中で特筆すべきは、やはり任天堂DSiであろう。ベストセラーでなおかつロングセラーという一人勝ち商品は見事である。家族回帰、家庭内回帰という、いわば家庭内消費の象徴としてあり、単なるゲーム・遊びを超えた商品である。&lt;br /&gt;
低迷する外食も全てが駄目ということではない。ファミレスと言えば、すかいらーくが始めた業態であるが、ホテル並みのメニューとサービスをファミリー向けに安く提供することで市場を拡大してきた。しかし、最早単一のビジネスファーマットで全てをやりきれる時代ではない。ファミレス業態全てとは言わないが一つの時代を終えようとしている。ていねいに顧客を見てメニューが用意できるフレキシブルな業態が支持を得る時代だ。そのシンボル的存在が餃子の王将であろう。あるいは寿司屋の概念を根底から変えた回転寿司が今やファミリーレストランとなった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、ここ2ヶ月ほど私のブログへのアクセスが増えている。その中でも「巣ごもりから冬眠消費へ」（5月3日）、「激変する消費への指標」（5月27日）、そして前回の「自己解決型ライフスタイルへ」（6月17日）は群を抜いてアクセスが多い。これは私の推測ではあるが、大きなパラダイム転換、消費価値観の転換が起こっていると気づかれた方がアクセスされたのだと思う。&lt;br /&gt;
昨年秋、銀座にH&amp;Mが１号店を出店させた時、まず百貨店の平場のファッションが打撃を受けるであろうと。更にその傾向はファッション専門店へも広がるであろうと書いた。百貨店ビジネスは周知のことなのでここでは書かないが、今年に入り専門店の売上が急速に落とし始めていると聞いている。売れないファッションの中で、唯一売上を伸ばしていた代表的商業施設が渋谷109であり、新宿ルミネであった。この２つの商業施設の伸びも止まったとも聞いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日経MJはこうした巣ごもり状態の消費心理に対し、「我慢疲れに元気の素」としてWBCの「侍ジャパン」を番付に入れているが、コトの本質をついた「元気の素」にはなっていない。私がこの１年ほど指摘をしてきたように、消費価値観を含め、人生観や生命観など価値観が広範囲にわたって変わり始めたということである。その背景として、日経MJも取り上げているが、「国宝阿修羅展」「映画おくりびと」、あるいは「NHK大河ドラマ」における戦国武将や「勝間本」といった、歴史や文化、生き方への関心・共感が高まっていることに着目すべきである。つまり、次なる新しい価値観を我がものとするための模索であり、一見バラバラに見える模索現象もいくつかの方向へと収束していく。その時、巣ごもり状態を脱し、新たな価値観による成熟した消費が見られるであろう。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-21T13:38:19+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-954d.html">
<title>自己解決型ライフスタイルへ　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-954d.html</link>
<description>巣ごもり消費の時代とは、生活を見直す自己楽習の時代であり、自己解決型ライフスタイルの時代ということだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No3756（毎週2回更新） 　2009.6.17.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先日、産官学の成果発表の場として「大学は美味しい！！」をテーマとした催事が新宿高島屋で行われていたので覗いてみた。世界で初めて養殖クロマグロを成功させデパ地下に卸すまでになった「近大マグロ」を筆頭に催事出店していたが、一昔前のバーゲンセール、つかみ取りセールの如き賑わいであった。学生達の発想を見てみたかった私であるが、来場者の99％は70代の女性達でその安さに殺到していた。特に、「近大マグロ」のイートインには何重にも順番を並んで待っていたり、宮崎大学が販売している宮崎牛などは午前中に完売で冷凍ケースには商品がまったくない。11階の催事場から1階ごとに降りてきたが、各フロアは閑散とし、顧客より売り場スタッフの人数の方が多い状態であった。まさに、今日の百貨店が置かれている姿を明確に映し出していた。勿論今回の催事は、学生が研究として作ったわけあり商品として、その安さと安心が集客したことは言うまでもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し前に、ディズニーリゾートの集客数が減少に転じた時、本格的な消費氷河期に入ったと理解すべきであると書いた。衣食を削っても、子供にとって思い出となる遊び、特にディズニーリゾート観光を実現してあげたいという親心。そうした親心すら果たせなくなる時を、私は氷河期と呼んだ訳である。&lt;br /&gt;
ところで、今年のGWの結果について毎日新聞などがその傾向を分析している。結論から言うと、大渋滞を起こした高速道料金の「千円効果」は、近場の観光地は素通りで、しかも遠出したにも関わらず日帰りが多く、予測に反した経済効果であったと。当たり前と言えばその通りで、列車やフェリーより車の方が安く上がるという一点において振り替え行動したということだ。景気浮揚という観光地の経済貢献等あり得よう筈がない。今、投機マネーが東京の株式市場のみならず原油市場にも及び始め、じわじわとガソリン価格が上がり始めている。列車を使う費用と較べ、それほど大きな差がなくなるようであれば、勿論元に戻るだけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで遊び支出の傾向も消費の在り方を映し出すが、もう一つの指標が健康と美容への支出である。病気への支出はいわば生きる上での必需消費であるが、健康と美容は豊かな時代の選択消費の象徴としてある。&lt;br /&gt;
ヒアルロン酸もコラーゲンも売れていない訳ではない。ザ・ウインザーホテル洞爺や志摩観光ホテルのスパなどは今なお若い女性の人気があると聞いてはいる。しかし、4〜5年前に起きたサプリメント依存症が社会問題化したり、ヒトリッチというキーワードが盛んに使われていた頃と比較し、今はどうであろうか。あるいは、ひと頃ブームとなっていたプチ整形の韓国旅行、南のリゾート地でのエステ三昧、こうしたメニューが話題に上ることはない。つまり、健康も、美容も、過剰であったことを削ぎ落とし、普通に戻ったということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し前の日経MJに「フットパス」の記事が載っていた。森や田園、古い街並を散策する英国発祥のリフレッシュ法で愛好家が増えているとある。数年前にベストセラーとなった「えんぴつで奥の細道」の、その書を担当された大迫閑歩さんの言葉を思い出した。”紀行文を読む行為が闊歩することだとしたら、書くとは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”という言葉である。大迫閑歩さん風にいうなら、フットパスは心と身体の道草、お金のかからない健康法であろう。&lt;br /&gt;
あるいは、私の友人もそうであるが、日常の健康法として、通勤時一駅分を歩くビジネスマンが増加しており、「一駅族」と呼んでいる。10数年前にシニアのハイキングブームからウオーキングへ、最近ではフットパスや一駅族まで、自分で歩く健康法はお金をかけない方法である。その根底にある価値観は、激変する環境への自己防衛、自活、自助、自己解決へと向かっているということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした傾向は既に自分で作る内食化を含め、セルフ式のGS、ホームエステ、各種ワークショップ人気、あるいはインテリア家具のIKEAもこうした傾向の中にある。そして、いつしか節約という入り口から、自己解決それ自体を楽しむことへと変化していく。数ヶ月前に、「新しい清貧の思想」が生まれると書いたことがあったが、生活者はセルフ市場を通じ、素人からセミプロへ、生活の達人へと変貌していくであろう。マスメディア、特に遅れているTVメディアはクイズのバラエティ番組から、達人のバラエティ番組へとシフトしていくと思う。&lt;br /&gt;
達人とは言葉を変えて言うと、プロということである。更に言うと、お金をかけずに成果を残すのがプロである。当分の間、そうした節約といったところにプロの技の焦点が当てられることになる。そうした意味で、巣ごもり消費の時代とは、生活を見直す自己楽習の時代であり、自己解決型ライフスタイルの時代ということだ。次回は恒例となっている日経MJによる2009年上期ヒット商品番付が発表されたので、私なりにまた読み解いてみたい。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-17T13:29:36+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-2d58.html">
<title>わけありブームの終焉　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-2d58.html</link>
<description>わけあり商品とは正直商品ということだ。残念ながら、ブームはいつしか本質を見失い、コンセプト、正直さとは正反対の極へと振れていく。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No375（毎週2回更新） 　2009.6.14.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夏を目前にして上野松坂屋が行う冬物バーゲンセールに多くの顧客が押し寄せ、話題になっているとTVメディアが報じている。いわば問屋の倉庫に眠っているアウトレット商品のバーゲンセールである。更に、百貨店での下取りセールの対象が衣料や靴ばかりでなく、浴衣まで広がったとも。周知のように、本格的に下取りという販促を初めて行ったのはイトーヨーカドーであるが、過去6回実施され、日経ビジネスによると下取り点数は累計で270万点近くに及んでいる。マスメディアは価格にしか視点を当てていないが、実は生活者のライフスタイルそのものが根底から変わり始めているのだ。相変わらず意味あるニュースとはほど遠い、企業から送られてきたリリース情報を流すだけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨年から取り上げてきたわけあり商品もどの流通も取り扱うようになったが、わけあり業態の一つであるアウトレットの出店が急増する計画となっている。少し前に、ある地方の町長と話をした時、その町にこのアウトレットを誘致するか否かの議論・検討を行ったと言う。その町には高速道路のインターチェンジがあり、近くには町が保有する広大な土地がある。誰が考えてもアウトレット誘致としては最適な条件が整っている町である。町の活性、町財政の改善、こうした表向きの理屈もあるが、アウトレットが出来ることによって周辺の市街地商業は更に疲弊し、唯一ある百貨店は間違いなく撤退する、そんな議論を行ったと言う。それで結論はと聞くと、以前郊外に大きな商業施設をいくつも誘致したが一時活性はしたが、次第に中心市街地は空洞化しシャッター通り化してしまった。今は、その反省から、町が持っている自然や歴史文化資源をテーマとしたビジネスを育てていくことを通じ、そこに住む住民や企業に貢献したいと。単純化して言うと、「外から持ってくる」から、「内にあるものを育てていく」への転換の話しであった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨年秋以降、東京ばかりか大阪も同様であると聞いているが、家庭に残る不用品回収の車がひっきりなしに回ってくる。それに合わせたようにリサイクルショップやリペアショップが続々とオープンしている。これもわけあり業態の一つである。リサイクルショップの全国的FC展開も盛んである。既にリサイクル商品の価格競争も始まっている。しかし、よくよく考えれば、インターネット普及のキラーコンテンツの一つがオークションサイトであった。既に新品、中古品、趣味から必需品、車まで、最近では不要となった店舗やオフィス、校舎に至まで数多くの商品が安く個人単位でも流通している。町の商店から百貨店、ネット上まで、わけあり商品で全てが埋め尽くされている。そして、今やリサイクル商品、アウトレット商品、規格外商品、多くのわけあり商品の在庫が家庭にも、問屋にも、メーカーにも無くなっている情況だ。わけありバブルとまでは言わないが、わけありへの過剰さが至る所で見かけるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前このブログに書いたが、わけあり商品もそうであるが、マスメディアが取り上げる頃はブームやトレンドのラストシーンであると。つまり、一番最後の段階でそれら情報を手に入れるのがマスメディア、特にTVメディアである。新聞においては記者クラブ制、TV局においては下請け・孫請け会社への丸投げ委託、つまりダイレクトな現場情報がほとんどないのがマスメディアだ。二次情報、三次情報を入手し加工するのが今や主要な仕事となってしまった。&lt;br /&gt;
わけあり商品も、わけあり業態も次第にその鮮度を落としていく。つまり、日常化し、至極普通になっていくということである。この１年間で、生活の中にしっかりと定着し始めており、最早ニュースにはならないということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「価格競争のゆくえ」のところでも書いたが、当分こうした競争が続き、わけあり商品やわけあり業態もマスメディアにこれからも露出すると思う。しかし、敢えてわけありブームは終わったと考えた方が良い。&lt;br /&gt;
以前、「割り算の経営」というタイトルでブログを書いたことがあった。いわゆる「掛け算の経営」と対比させて書いたものである。売上×店数、客数×客単価、商品単価×数量といった考えを根底に置いた規模経営を、私は掛け算の経営と呼んだ。今、わけあり商品も「掛け算の経営」へと向かっている。つまり、量を追いかけた経営ということである。「割り算の経営」は小さな単位へと、これでもかと割り算をしていく経営である。小売りで言うと、店単位から売り場単位へ、売り場単位からコーナー単位へ、コーナー単位から商品単位へと、小さな単位で経営を考えていくのが割り算の経営である。特に、安心が時代のキーワードとなっており、安心こそ細部に宿るものだ。このままわけあり商品の量を追いかけた経営を進めていくと、大きな落とし穴、社会的問題が発生する予感がしてならない。1年前、あろうことか汚染されていることを知りつつ、いや汚染されていることを熟知し極めて安価な米を転売し利益を得るといった汚染米事件を経験してきた。わけあり商品の仕入れ先がいつしか海外へと見えないところに向かう時、また同様の事件が起きる可能性がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が本格的にわけあり商品を取り上げたのは、１年前のエブリデーロープライスのOKストアに関するブログであった。その中で、OKストアのMDコンセプトに着目した。何故安いのか、その訳を丁寧に店頭表示し、顧客納得を得て販売していくオネスト（正直）コンセプトについてであった。店頭には安いわけあり商品が並ぶが、その裏にはオネスト、顧客に正直に伝える商品ということである。つまり、わけあり商品とは正直商品ということだ。残念ながら、ブームはいつしか本質を見失い、コンセプト、正直さとは正反対の極へと振れていく。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-14T13:34:27+09:00</dc:date>
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<title>20歳の老人</title>
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<description>過剰を無くすということではなく、従来のライフスタイルとは全く異なる、ある意味構造転換したスタイル、物欲と少し距離を置いた、そんな生き方に私は新しさを感じる。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No374（毎週2回更新） 　2009.6.10.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;6月に入り多くの経済指標が出てきた。日経新聞を読めばそれなりの理解が出来るので割愛するが、昨年9月のリーマンショック以降の激変を受け、次へと進んでいくためにリーマンショックの総括を踏まえた課題論議が始まった。概ね経済の専門家は今年の2月が生産関連や景況、株価の指標を見る限り「底」となっており、以降徐々に回復基調にあると。勿論、こうした指標はいわば先行した指標であり、これからも失業者は増えてくることが予測され、更に消費の回復に至にはかなりの時間を必要とし、1年後以降になると。こうした見通しの中で、多くの需要の落ち込みは過剰の解消、つまり人、モノ、カネ、の解消へと更に向かうのか、あるいは金融の暴走による一種の異常連鎖によって引き起こされ、金融恐慌が安定すれば実体経済も元に戻る、といった論議である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この論議をもっと分かりやすく単純化して言うと、例えば今回GMが国有化されたが、自動車需要は元には戻らないという前提によるものであった。新生GMは米国の自動車販売が年間1000万台（リーマンショック以前は1600万台）になっても利益が出せるように約3割ほど縮小した計画となっている。つまり、身の丈に合うように過剰の削ぎ落としをした計画である。&lt;br /&gt;
一方、少数ではあるが株式市場のアナリストなどは、米国発の金融の暴走によって起こされた実体経済への波及であり、その根っこが解決されれば元に戻ると。特に輸出企業は生産量を削減する必要はないと、いわば一種の空騒ぎであったとした意見まで出ている。「100年に一度の・・・・」は政治パフォーマンスの側面を見なければならないと言う意見である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はこうしたマクロ経済、金融の専門家ではないのでコメントしようがないが、消費という視点に立つと1年後2年後景気回復したときの消費の在り方は見えてくる。タイトルを消費論的に言い換えると、過剰消費の反省に向かうのか、それともライフスタイルそのものの転換（＝構造転換）がなされるのか、という課題に置き換えることが出来る。個人消費がGDPに占める比率は米国では70％弱、日本でも60％弱ある。個人消費の動向次第では産業構造すら変えることにもつながる。&lt;br /&gt;
勿論、グローバル市場にあっての日本であるが、東京という市場を見ていくと、その縮図としての在り方が見えてくる。東京であると共にTOKYOとしての市場である。言葉を変えて言うと、都市生活者市場と言ってもかまわない。あるいは製造業的に言うと、ハイブリッド車の売れ行きは好調であるが、激減した新車購入は元に戻るのであろうか。更には、例えば流通の在り方として、百貨店という業態は縮小に向かうのか、業態そのものが構造転換されていくのか。それら業界の専門家の多くは、No、元には戻らないという意見が大多数である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費不況という言い方をするならば、外食産業は一昨年の秋から低迷していた。リーマンショックのはるか１年前からである。勿論、百貨店も同様である。一昨年の夏以降、都心の地価は下がり始め、リーマンショック以前にゼファーやアーバンコーポレーションといった大手デベロッパーが破綻している。つまり、リーマンショックは日本の景気悪化を加速させ、特に輸出企業に対してであった。間違えてはならない、抱えていた構造的問題がリーマンショックによってあからさまに表に出てきたということだ。&lt;br /&gt;
消費面で、今注目されているわけあり商品も既に１年以上前から消費者の支持はあった。昨年末、低迷する百貨店業界にあって、唯一予約注文が殺到し大人気となった「おせち料理」は、今から思うと消費氷河期にあってひととき贅沢としての「あったか家族回帰」の象徴であったと言えなくはない。ちょうど、その頃から「巣ごもり消費」というキーワードが経済紙に現れるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、日本における消費であるが、わけあり商品を軸に当分の間価格競争は続く。消費不況は、大企業→中小→零細へと進む。この間、残念ながら失業者は増え続ける。消費は勿論更に冷え込み、私の言うところの氷河期に入る。いや、既に入っているのかもしれない。恐らく、東京市場の回復は早く、来年の今頃には2007年頃の消費水準に戻ると思う。しかし、消費は衣食住から戻り始め、観光といった消費が戻るには更に時間がかかる。つまり、地方や中小企業が2007年の水準に戻るには更に時間がかかり、2011年以降だと思う。しかも、同じ消費として、「元には戻らない」ということでもある。つまり、構造的な問題であり、わけあり消費体験をした顧客が変わっているのに、同じことをしていたらつぶれるということだ。勿論、逆にチャンスと見ていくこともできる訳である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは私の仮説であるが、今後の消費の在り方、構造転換を計る上での指標とすべき顧客像は草食系男子（女子もであるが総称した意味で）である。欲望そのものを喪失してしまっているかのように見える若い平成世代である。その代表とでも言われている草食系男女を評し、車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」に「私」が表れているところが特徴である。良い悪いではない、好き嫌いでもない、彼らは生まれたときから激変する1990年代の現実を幼い目で直視してきた世代である。団塊世代が戦後60数年という時を駆け抜けたと同じように、わずか10数年で駆け抜けてきたようなものだ。しかし、モノ不足を体験してきた私のような団塊世代とは全く異なる価値観を持つ。私たち世代の若い頃、例えば車は憧れのモノであった。少ない給料から頭金をつくり、ローンを組んで手に入れる。そして、働きながら少しづつモノを生活の中に満たしてきた。百貨店についても同じような夢のある存在であった。しかし、草食系男女にとって、モノは欲望の対象ではないように見える。モノを含め、あらゆることに「距離をおくこと」で自分を守っているかのようである。しかし、八方美人ではないが、回りとの関係もそれなりに如才なくこなし、誰からも好かれる。優しい世代、ナルシスト、・・・・なかなか良いキーワードが見つからない新しい人間像である。誰でもが知っている人物像として言うと、最近では男子背泳ぎで世界新がおあずけとなった入江陵介や甲子園を沸かせたハンカチ王子齋藤祐樹といったところである。以前、私が使ったキーワード、繭の中の「20歳の老人」が、今のところ最も言い当てているような気がする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、リーマンショック＝就職氷河期、リストラ、賃金引き下げ、非正規労働という現実も含め、時間経過と共に繭にくるまれた「私」は混沌とした「公」へと向かうであろう。そうした意味で成熟した個人へと向かっていく。取り上げたテーマの文脈から言うと、過剰を無くすということではなく、従来のライフスタイルとは全く異なる、ある意味構造転換したスタイル、物欲と少し距離を置いた、そんな生き方に私は新しさを感じる。勿論、消費の表舞台に立つのは5年後、10年後である。その頃には社会の主要なポジションを得て、新しいライフスタイルとして認知されていく。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-10T13:35:24+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-d895.html">
<title>価格競争のゆくえ　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/06/post-d895.html</link>
<description>どんなわけで安いのか、どんなわけで価格が通るのか、既に次の段階の価格競争に入っている。つまり、やっと成熟した消費時代へ向かっているということだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No373（毎週2回更新） 　2009.6.7.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここ数週間、値下げ、激安、今時の価格、価格競争消耗戦、生き残りをかけて、・・・・・こうした価格に関する言葉がTVのニュースを始め日経MJに至る多くのメディアに踊っている。&lt;br /&gt;
銀座出店した紳士服のAOKIは洗濯機で洗えるプレミアムウオッシュスーツなどを50％オフ、目玉商品のワイシャツは525円。5月28日のオープンには3000人以上が行列をつくったと報じられた。6月1日にはパリの老舗宝石店「モーブッサン」が銀座に出店したが、そのイベントに0.1カラットのダイヤを先着5000名に無料配布するといって話題となった。昨年銀座にH&amp;Mがオープンしたが、以降世界のインポートブランドが集まり、主要百貨店が全て集まっている銀座は価格競争のうねりの中にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「マンダリンオリエンタルホテル東京、ビジネス客減り値引き解禁。平日半額・早割プラン」（日経MJ5月22日）、「数字でくすぐる、弁当250円。スーツ２着目1円。」「ロッテリア、低価格で巻き返し」（日経MJ5月27日）、「改正薬事法スタート、小売り2強（イオン、ヨーカドー）大衆薬値下げ」（日経MJ6月1日）、「原宿にぎわす身の丈消費、1万円以下で満足感」（日経MJ6月5日）・・・・・これが最近の日経MJの価格に関する主要記事である。生活のあらゆる領域に価格の波が押し寄せているのがわかる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１年以上前、「どんなに良い商品でも越えなければならないのが価格である」と私はブログに書いた。勿論、個人消費は低迷ではなく、明確に自己抑制していることを前提に書いたがほぼその通りになった。後に日経MJは巣ごもり消費とネーミングした。従来は同じ業種、業界での価格競争であったが、今やそうした境界は存在しない。選択肢は100％顧客の手に委ねられている。その良きケースがある。例えば、流動性の高い駅等のSCの飲食サービスの場合、必ずプライスリーダーが生まれる。1人でも多くの顧客を獲得するために、例えばランチ料金の価格帯をどこか１店が値下げをする。そうすると他の飲食店は見事なくらい価格帯を「右にならい」する。いや、せざるを得ないと言った方が正確であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず考えるべき第一は、価格競争のゆくえの前提である。市場は、パイは小さくなっているとの認識から始めなけれなならない。ブログでも繰り返し書いてきたが、収入が増えないどころか下がり続け、最早日本を安定成長させてきた中流層が崩壊してしまっている。もう一つがそうしたことを含め、未来が見えないという心理的な不安定さから積極的には消費に向かわず余裕がある場合は預貯金へと向かうという2つが主要な背景としてある。&lt;br /&gt;
つまり、市場が、顧客が変わったということだ。このことは数年後景気が回復したとしても、元には戻らない。何故なら、この２年ほどこうした多くの学習体験を生活者はしてきた。商品の在り方を始め、つまり売上・利益の考え方、つまり経営を変えなければならないということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、その「元には戻らない」消費はどこへ向かうかである。未だ推測の域を出ないが、一番大きな学習体験は「わけあり商品体験」であると思っている。一年以上前から始まり、今も続いている「わけあり競争」の体験実感がその後の消費を大きく変えていくことになる。価値価格化というキーワードがあるが、価格実感を生活者自身が持ってしまったということだ。規格外商品、消費期限目前商品、問屋に眠る在庫商品、中古商品、アウトレット商品、大量仕入れ商品、流通中抜き商品、・・・・・・こんな「わけあり商品」を使用体験してきた生活者である。最近では築地などの卸売り市場の売れ残り商品を安く仕入れ販売するところが増加している。特に、まぐろ等は値下げしても売れずに残ってしまい、それら商品を極めて安く仕入れ急成長している回転寿司が見られるように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前、東京郊外の駅周辺の市場を見て感じたことをブログに書いたことがあった。その中にお弁当価格があり、従来より100円ほど安くなっていると。従来だと400円〜600円の3タイプであったものが、300円〜500円へと変わったという内容であった。このプライスゾーンの仕掛人の一人は西友であるが、こうした考え方と価格設定は他の業種・業態へと伝播していく。食ばかりか、リニューアルした新宿マルイ、あるいは原宿にオープンしたフォーエバー21のプライスゾーンは「上から下まで揃えて1万円以内」である。周知のようにファストフードにおいても牛丼戦争が始まっている。あらゆる業種において、ある一定レベルの価格帯のところまで進んでいく。この価格帯を私は「身の丈価格」と呼んでいる。単なる低価格ではない。顧客が選んだ価格ということだ。残念ながら、この「身の丈価格」競争に負け、市場から撤退していくところも出てくると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、価格を維持し、予約してもなかなか食べられない隠れた人気店・ヒット商品を取り上げた雑誌がある。Casa BRUTUSが過去取り上げた食の記事を再編集したムック版「日本で一番おいしいもの」である。ミシュランガイドとは全く異なる着眼で、地方の寿司店や2年ほど前に話題となった石垣島ラー油まで取り上げていて、BRUTUSらしさが良く出ている編集である。取り上げた店や商品の評価は別として、表紙には「厳選327店、すべて実食済み！」とある。「すべて実食済み」と書かなければならないほど、メディアはいいかげんな情報を基に記事を書いてきたということでもある。つまり、情報に左右されない、わけあり消費体験顧客が増えてきたという証しでもある。いずれにせよ、これも身の丈消費、身の丈価格の一つの例であろう。&lt;br /&gt;
どんなわけで安いのか、どんなわけで価格が通るのか、既に次の段階の価格競争に入っている。つまり、やっと成熟した消費時代へ向かっているということだ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-06-07T13:20:34+09:00</dc:date>
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<title>都市の無縁空間</title>
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<description>表と裏、昼と夜、あるいはビジネスマンとオタク、風景と風俗、デジタル世界とアナログ世界、更にはカルチャーとサブカルチャーといってもかまわない。こうした相反する、いや都市、人間が本来的に持つ２つの異質さが交差する街、それが秋葉原の魅力である。その秋葉原は２つの異質さを取り込むことをエネルギーとして、商品を産み、育て、マスプロダクト化させた典型的な街である。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No372（毎週2回更新） 　2009.6.3.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先週久しぶりに秋葉原駅周辺の街を1時間半ほど歩いた。あるデベロッパーからの相談で、どんなテナント編集をしたらよいのかサジェッションして欲しいということからであった。ちょうど１年前には17人が死傷した秋葉原無差別殺傷事件が起きたあの秋葉原である。当時を思い起こさせるものは残ってはいないが、私の脳裏には当時のニュース映像がくっくりと残っていた。あと数日で1年を迎え、事件被害に遇われた多くの方々が秋葉原を訪れ、献花されることであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで秋葉原を歩いて感じたことだが、都市がもっている２面性が極めて分かりやすく街を構成していることであった。その背景には、東京都とJR東日本による巨大な再開発プロジェクトが進んでいることによる。秋葉原駅の北側は既にいくつかの超高層ビル群が建ち、その入居企業の多くはIT関連企業、携帯電話から情報通信機器やデジタル家電などの各種ソフト開発を行う企業群である。もう一つのプロジェクトが東北、上越、長野、山形、秋田の新幹線を東京駅へと直接乗り入れさせる計画である。そのために御徒町ー秋葉原間の高架工事が既に始まっており、４年後には御徒町ー秋葉原ー神田ー東京駅間が高架化される計画である。つまり、この線路の高架下に巨大商業施設が出現するということである。そして、この計画に沿って、秋葉原駅も大きくリニューアルし、駅上には高層ビルが建つと聞いている。都市がもつ2面性の一つがこうした地球都市とでも呼べるような先端技術ビジネスを行う街並である。既に高層ビルの一階にはオープンカフェがあり、ゆったりとした駅前をネクタイ姿のサラリーマンやOL、更にはアジア系のビジネスマンが行き交う、そんなハイスタイルな空間となっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、都市が持つもう一つの特徴はと言うと、まさに秋葉原駅北側とは正反対の街並が駅南側及び西側にある。周知の電子部品や電気製品のパーツ、半導体、こうした電機関連商品を販売している専門店街。あるいはオタクの聖地と呼ばれるように、コミック、アニメ、フィギュアといった小さな専門店。数年前話題となったメイド喫茶も、こうしたごみごみとした一種猥雑な街並に溶け込んでいる。まるで地下都市であるかのように、ロースタイルと言ったら怒られるが定番のリュックサックを背負ったオタクやマニア、あるいは学生が行き交う街である。駅北側がオシャレなオープンカフェであるのに対し、この一帯は、おでんの缶詰で話題となったようにユニークな自販機が置かれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は秋葉原の駅北側の再開発街とそれを囲むように広がる南西の旧電気街を、地球都市と地下都市という表現を使った。更に言うと、表と裏、昼と夜、あるいはビジネスマンとオタク、風景（オープンカフェ）と風俗（メイド喫茶）、デジタル世界（最先端技術）とアナログ世界（コミック、アニメ）、更にはカルチャーとサブカルチャーと言ってもかまわないし、あるいは表通り観光都市と路地裏観光都市といってもかまわない。こうした相反する、いや都市、人間が本来的に持つ２つの異質さが交差する街、それが秋葉原の魅力である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２つの異質さが交差するとは、２つの世界の境界といった方が分かりやすい。境界という概念を教えてくれたのは歴史学者網野善彦さんであるが、結論から言うと、日本商業発展の場である市場（古くは市庭／交易）の原初は荘園と荘園との境界、縁（ふち）で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁空間（今で言うと、縁のない人が行き交う多国籍空間）で無法地帯化しやすいということだ。そうした境界の無縁空間は、そこに寺社を立てコントロールしてきた、と網野さんが教えてくれた。まさに、秋葉原はそうした２つの異質さが出会う境界にある街である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;都市市場は必ずこうした異質な２面性を持っている。秋葉原ほど明確ではないが、新宿も同じような2面性がある。例えば西口には都庁を始めとした高層ビル群のオフィス街、東口から更に東には歌舞伎町を始めとした歓楽街が広がっている。更に、北側には新大久保駅周辺には韓国の人達が多く住み、コーリャンタウン化しているように。&lt;br /&gt;
こうした異質さが交差する都市の境界、無縁空間に、実は新しい「何か」が生まれてくる。今やオタク文化もサブカルチャーとして社会の表舞台に上がっているが、その芽が出てきた1980年代にはほとんど無視された存在であった。オタクという名前は中森明夫氏がつけたものだが、当時は一種の蔑称で市民権を得たのはここ10年ほど前からである。周知のように、2チャンネルのスレッドから始まった「電車男」の書籍化・映画化、萌え系、メイド喫茶、少し前にはAKB48といったオタクのマスプロダクト化によって広く知られるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このように、秋葉原は２つの異質さを取り込むことをエネルギーとして、商品を産み、育て、マスプロダクト化させた典型的な街である。同時に、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告のような「不善のやから」も残念ながら出てくる。異質さが交差する境界、無縁空間の街だからだ。網野善彦さんの言葉を借りれば、こうした境界・市場の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。&lt;br /&gt;
久しぶりに秋葉原の街を歩き、そのエネルギーを感じながら、有形、無形の縁日が必要だなと思った。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<title>自由時間に見る価値観変化</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-f7c8.html</link>
<description>自由時間の過ごし方は、省マネーを背景に、遠くから近場へ、外から内へと明確に変化してきた。その近場で内で遊ぶ最大のヒット商品があの任天堂のWiiであり、安近短のシンボル的商品と言えよう。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No371（毎週2回更新） 　2009.5.31.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、東京ディズニーリゾートの集客数が減少に転じた時、消費氷河期へと本格的に入って行くと書いた。私の理解としては、東京ディズニーリゾートは「プロが提供するエンターテイメント」のシンボル的存在であり、家族が過ごす自由時間の遊びの中で他に変え難い固有の世界であると考えている。つまり、家族の日常的な遊び費用や食費などを減らしてでも、東京ディズニーリゾートには行こうという価値を認めたプロ消費の意味合いとしてである。あるいは数年前に閉園に追い込まれたが、今や再生し大人気の北海道の旭山動物園でも同じである。東京ディズニーリゾートがプロによる高度に創られた人工的なエンターテイメント世界であるのに対し、旭山動物園はプロの目によって着眼された動物の行動展示という自然のエンターテイメントであって、自由時間にお金をどう使うかの違いがあるだけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費変化を俯瞰して見ていくには、まず時間に対する価値意識の変化を見ていくことが重要である。例えば、コンビニという業態は24時間営業、いつ行っても買う事ができる便利さにもお金を支払っている。仕事に追われると良く言うが、就業時間はその生産性を上げることに企業も個人も努力をしている。時間は限られており、その価値にお金を支払う訳である。まるで高速料金を支払って高速道路を走っているかのような社会に私たちは生活している。省時間（＝小時間）という便利さに価値を見出してきた訳だが、コンビニも値下げせざるをえない情況のように、時間価値意識にも変化が見え始めた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仮説はこうである。ここ１０数年、生活時間を切り詰め、あらゆる生活の省時間化が進められてきた。その象徴例が冷凍食品の常態化であり、解凍調理の電子レンジの100％近い普及であった。あるいは家族一緒の外食であった。しかし、今や切り詰めるのは時間ではなく、生活費、経済に向かっている。省時間から省マネーへの転換である。省マネーによって起きたのが内食化である。そして、食において大きな支持を得たのが「わけあり商品」であり、今やお弁当持参の時代に向かっている。３年ほど前のブログに、今やおふくろの味はコンビニ弁当や学校給食になってしまったと書いたが、おふくろの味が試される時代となった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、従来は省時間によって得られた自由時間の多くは「外」へと向かっていた。その象徴が海外旅行や東京ディズニーリゾートであった。そして、渡航歴の多い人ほど日本から遠い国へと出かけていた。しかも、単なる名所観光ではない明確な渡航目的・テーマを持ってであった。しかし、昨年夏のお盆休みは原油高によって海外旅行者数は前年を割り、昨年末は同様の傾向と共にウオン安で近場の韓国が人気となった。国内旅行はと言うと、ダントツ京都人気で表通りから裏路地まで人で溢れ返っている。&lt;br /&gt;
つまり、自由時間の過ごし方は、省マネーを背景に、遠くから近場へ、外から内へと明確に変化してきた。その近場で内で遊ぶ最大のヒット商品があの任天堂のWiiであり、安近短のシンボル的商品と言えよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自由時間はその言葉通り、自由ということから生活者の価値観がストレートに行動に出る世界である。つまり、素の世界、本音の世界、勿論好みの世界が出るということである。どのように自由時間を使うかによって、巣ごもり状態なのか、冬眠へと向かう氷河期に至ったのかライフスタイルの変化が分かる。そうした意味で東京ディズニーリゾートの集客数の変化に生活者のライフスタイル変化が表れるということである。勿論、日常的にどうであるかということも重要である。しかし、単純化していうと、「他に変え難い固有の世界」を中止もしくは延期せざるを得ない自由時間があるとすれば、消費氷河期に入ったと言わざるを得ない。ある意味、生活経営の深刻さの表現としてあるということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう一つの指標が子供への教育投資の低下である。最近の家計調査のデータを集計してはいないが、昨年の夏から秋にかけては大きな支出低下は起きてはいなかった。見えない不安の時代にあって、唯一未来を感じ、お金を使うのが子供への教育である。生活保護世帯の増加と共に、高校への未就学生徒が増えていると聞く。未来を感じられない生活こそ、実は氷河期ということだ。&lt;br /&gt;
ところで、私の住むマンションの隣に公園がある。ここ１年ほど前から、土日には父子がキャッチボールやサッカーボールで遊ぶ光景を目にするようになった。お金を使わない遊びもまた素敵である。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<title>激変する消費への指標</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-b008.html</link>
<description>こうした代替消費も氷河期ならではの消費移動であろう。ところで、新しいアトラクションを次々と導入し、唯一来場者数を伸ばし続けているのが東京ディズニーリゾートである。この東京ディズニーリゾートの来場者数がマイナスに転じた時、本格的な氷河期に入ったと見なければならない。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No370（毎週2回更新） 　2009.5.27.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここ数ヶ月、特に1ヶ月ほどは危機に関する内容ばかりであった。先日政府は1月〜3月期のGDPが戦後最悪である−15.2％を踏まえ、こうした最悪の状態を脱したと発表があった。が、３月度の完全失業率は4.8％、失業者数は335万人と増え続けている。日本商工リサーチによる4月度の企業倒産件数は11ヶ月連続して増加し1329件。その内容であるが、件数は増加しているが負債総額は減少している。つまり、昨年は主に大企業の破綻の年であったのに対し、今年は中小企業に破綻が向かっているということであろう。つまり、危機は70％以上を占める中小企業、多くの労働者、つまりごく一般的な日常に本格的に押し寄せてきたということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、消費は氷河期に向かっていると書いた。関西での新型インフルエンザに対し、通勤客・通学生徒のほとんどがマスク姿という異様な光景を自己防衛の象徴として指摘した。政府は「心配ありません、冷静な対応を」とCMまで動員するが、つまり誰もCMなど信用しないからであろう。信用できるのは自分と家族、それに長く付き合った分かり合える人達だけと思っているからだ。今年に入り、外需頼みから内需、個人消費の活性をと言うが、単純に消費のことを言えば、消費に回せる収入と、この「信用」足り得る社会が存在しえて初めて消費は活性される。数式として単純化してみると次のように表現できる。&lt;br /&gt;
y（消費）＝a（収入）x（信用）&lt;br /&gt;
不安の時代とは信用できない時代のことであり、信用が小さくなれば消費も小さくなる。収入から消費を引いた残りは投資ではなく、安全な国債や預貯金へと回る、これが経済の原則であり常識である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;信用収縮は金融ばかりではない。社会や生活のあらゆる領域、局面で信用収縮が起きる、これが消費氷河期の特徴である。ヒト、モノ、カネ、情報の移動が小さく、しかも遅くなるのが特徴である。こうした氷河期の生活ビジネス潮流の第一は内製化として始まる。出来る限り自分で作るということである。既に1年以上前からこうした傾向は始まっている。東京の浅草近くの道具屋街には、普段はプロが買い求める調理道具専門店に素人である生活者が道具を求めて訪れている。いわゆる内製化であるが、もう少しかっこつけていうと、ホームクリエーションということになる。家の中のことを自ら楽しみながら費用を節約し、しかも自ら作ることで究極の安心を得る生活である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寒い氷河期を暖かく過ごすための消費は活性する。極論ではあるが、衣食住遊休美知といったジャンルの全てにおいて家庭内もしくはホームグランドで行われるということである。宅配ピザやネット通販の好調さばかりでなく、従来高額サービスといわれてきたホームパーティのデリバリーサービスもかなり安価なメニューが生まれてくると思う。一昨年からの大ヒット商品であるWiiも継続した売れ行きを見せると思う。薄型TVもエコポイントの後押しも若干あって売れていく。外出着は売れないが、家庭内のカジュアルなものは売れるという事だ。消費移動という言い方をすると、外側にあった商品やサービスは内側・家庭の中に移動して消費されるということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に、従来は便利さに価値を認めたり、プロの専門性に価値をゆだねてきたが、そうした付加価値と呼ばれてきたものへは支出を減らすようになる。飲食サービスで言うと、お任せ料理、コース料理からアラカルト料理に移動が起きる。つまり、GSと同じようにセルフ式になるということだ。お金の使い方は専門家に任せるのではなく、自身の納得の上でお金を使うという事である。今以上に理容や美容・エステといったサービスもセルフ式へと変化していくであろう。便利さの代表的な業態であるコンビニも価格を引き下げ始める時代である。便利さとは、プロとは何かが更に問われていく時代だ。逆に、プロは個人がどうしても追いつけない世界を創っていくということである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした内側への巣ごもり生活を見ていくには時間がかかるが、氷河期であることの指標としては、やはり行楽・観光といった遊びの分野の消費変化を見ていく事であろう。昨年夏、あるいは昨年末の旅行のキーワードは安近短であった。この春から燃油サーチャージが無くなり、安いツアー料金が目白押しとなり、気軽に手軽に旅行を楽しめる環境とはなったが、今年の夏も安近短志向は変わらないと思う。行動半径は小さくなり、新しい場所ではなく以前旅行した経験のあるところに行くことになる。こうした傾向と共に、以前から指摘してきた「替わり消費」や「つもり消費」が出てくる。昨年のヒット商品であったデパ地下のおせち料理のように、「××へ出かけたつもりで家でチョット豪華なおせちで正月を祝う」こうした代替消費である。私の言葉で言うと、「消費移動」であるが、おそらく考えつかないような消費移動がこれから現実化する。昨年夏、都心のホテルで実施された消費移動の実例であるが、ホテルの庭にカブトムシなどを放し、昆虫採集メニューを作り、家族集客を計ったホテルがあった。こうした里帰りした実家での「昆虫採集体験の替わりメニュー」といった「替わり消費」である。今年の夏休みの過ごし方にもアイディア溢れるメニューが出てくるとということだ。こうした消費も氷河期ならではの消費移動であろう。ところで、新しいアトラクションを次々と導入し、唯一来場者数を伸ばし続けているのが東京ディズニーリゾートである。このリピーターの多い東京ディズニーリゾートの来場者数がマイナスに転じた時、本格的な氷河期に入ったと見なければならない。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:date>2009-05-27T12:59:44+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-74c0.html">
<title>氷河期の消費心理　</title>
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<description>もっと分かりやすく言うと、親しい家族のような関係の中で消費が行われる。曖昧さ、不確かさを可能な限り排除することに、あらゆる投資、あらゆる粗力が求められているという事だ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No369（毎週2回更新） 　2009.5.24.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新型インフルエンザによるビジネス被害が次々と明らかになってきた。弱毒性ということから患者への大きな被害は未だ出ていないようであるが、市場が心理化している時代の有様を見事に映し出している。1970年代の石油パニックの時はトイレットペーパーであったが、今回は防御マスクである。奇しくも、石油パニックの時のトイレットペーパー騒動の震源地は大阪の千里ニュータウンであった。&lt;br /&gt;
そして、連日のように関西方面への修学旅行の中止や百貨店を始めとした商業施設の客数減少や売上不振が報じられている。また、逆のケースである関西から沖縄などへの修学旅行も中止が相次いでいる。人の移動を前提とするビジネスは軒並み大きな損失が生まれ、株価もそうしたことを表している。しかも、政府の方針転換により幾分規制が緩和され、明日から通常通り授業が再開されるが、自粛という一種の心理的強制は残ったままだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、あたかも水際対策が万全であるかのような発表＆報道から、神戸で渡航歴のない高校生が発症患者として見つかり、一転して無関心は恐怖へと振り子のように振れたと書いた。心理化された社会に及ぼす情報の時代の特徴であるが、神戸の高校生の発病を発見したのは地元の開業医であり、今なおその感染源ルートは不明である。曖昧さ、不確かさがうわさの発生源になるのだが、強毒性のうわさは見られないものの、見えないウイルスへの恐怖は心理の奥底に残っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、新型インフルエンザを期に今後の消費はどう変化していくか、あまり予測的な事は書きたくないが、生活者の消費行動は大きく変化していくものと考える。その参考となる良き事例は1年半ほど前に起きた中国冷凍餃子毒物混入事件である。当時、日経POSデータによると、事件報道後4日間で冷凍食品全体では36％の減少、冷凍餃子では61％の減少という買い控えが起きていると報じられた。一方、家庭で餃子を作るのであろう餃子の皮は今なお売れ続けている。これも一種の消費移動現象であるが、こうした傾向、便利さより安全・安心を求める傾向は少し前に注目された農家レストランや農家直売所人気にもつながっている。今回の新型インフルエンザによる観光客の減少は前年比−68.8％に至ったと神戸市は発表した。冷凍餃子と単純比較はできないが、2／3の減少という数字は心理的ショックの大きさを表している。しかも、食に於ける中国製品あるいは冷凍食品への顧客支持は元には戻らなかったということである。また、不況が深刻化していることから、外食→中食→内食という大きな消費傾向へとつながっていく。果たして、神戸を始め関西経済だけでなく日本全体の今後はどうなるであろうか、そうしたことを含め何回かに分けて考えてみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、今回の新型インフルエンザは更にどんな消費行動へと変化を促すであろうか。マスメディアが報じるように、レトルト食品や宅配スーパーへの依頼増加といった巣ごもりへの備蓄現象は勿論あるのだが、消費心理は氷河期を迎える準備に入ったと理解した方が良い。それは雇用不安、特に中小企業の雇用や変わらぬ非正規労働者の不安定さにある。更には今なお不確かな年金問題もある。そうした不安が氷河期を造っている。&lt;br /&gt;
こうした不安が増大し続ける時代の消費心理に挙げられる第一は、新しい、珍しい、おもしろい、といった外へと向かうことへの躊躇が強く働くということである。単純に言えば、興味はあるが今回は止めておこうという心理である。冒険より安定、新規より継続、つまり慣れ親しんだ商品、店、人物から買い求めたいという心理である。表面的には保守的な消費に見えるであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、新型インフルエンザの影響を確認するには観光の実体を見ていくのが分かりやすい。ところで、その夏休みに向けた観光であるが、これから予約時期に入る。間違いなく新型インフルエンザの発生情況の推移を睨みながらギリギリまで待つ事となる。更に、従来であれば観光先は未知の国やテーマとなるが、今年はそうした希望者は減るであろう。そして、昨年の海外旅行者数は前年比マイナスであったと思うが、今年は更に悪くなる。国内外を問わず、旅行先は新型インフルエンザ発生エリア以外のところとなり、昨年以上に実家への里帰り休暇が多くなる。ただ燃油サーチャージがなくなり、ツアー料金は更に安くなり、昨年末の韓国人気のように近場のアジアなどには出かけていくと思う。3年ほど前に「ヒトリッチ」というキーワードと共に消費の舞台に上がった、女性のお一人旅仕様のオーベルジュなどの経営は深刻なものとなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;残念ながら今回の新型インフルエンザは増々不安心理を増幅させることとなる。消費行動の物理的な収縮ばかりでなく、最も重要なことは心理的な収縮である。いずれにせよ氷河期の消費は物理的な行動半径が小さくなるばかりでなく、心理的距離も同様に近くなるということに、実はビジネスチャンスが生まれるという事だ。もっと分かりやすく言うと、親しい家族のような関係の中で消費が行われる。曖昧さ、不確かさを可能な限り排除することに、あらゆる投資、あらゆる粗力が求められているという事だ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-05-24T19:36:34+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-e1f8.html">
<title>新型インフルエンザに見る振り子現象　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-e1f8.html</link>
<description>今生活者は巣ごもり状態にある。多様なメディアの情報を手に入れ判断することが難しく、マスメディアからの情報に翻弄されやすいということだ。今回の新型インフルエンザにおいても、「無関心」から一挙に「パニック」へと大きく振れる振り子現象が見られた。高度情報化社会の特質であるが、言葉が伝わらない時代でもあるということだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No368（毎週2回更新） 　2009.5.20.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新型インフルエンザについて、今関西で起こっている事は「過剰反応の連鎖」が起こっているように思える。その理由の一つは強毒性の鳥インフルエンザを想定した初期段階での空港等の水際対策にあったことによる。物々しい防護服の係官が検疫する様子が繰り返し繰り返し報道され、検疫礼賛であるかのようであった。つまり、水際対策で大丈夫という「安心」の種がまかれることになる。しかし、5月15日渡航歴の全くない、しかも空港とは関係のない地域の高校生が突如発病する。しかも、その発見は地元の開業医によってである。水際対策によって蒔かれた種は「安心」から「恐怖」へと変化する。恐怖は不確かな情報によって増殖され、「うわさ」となって恐らく全国に伝播されていくと思う。そうなると、「無関心」から大きく「パニック」へと振れる現象が起きる。これが高度情報化社会の特徴である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、3年前に「うわさの法則」について書いた事があった。その原点ともいうべき「うわさの法則」（オルポート＆ポストマン）を簡単に説明してみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;R＝うわさの流布（rumor）,  I＝情報の重要さ（importance）,   A＝情報の曖昧さ（ambiguity）&lt;br /&gt;
＜　うわさの法則：R∝（比例）　I×A　＞　　&lt;br /&gt;
つまり、話の「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい、という法則である。但し、重要さと曖昧さのどちらか１つが０であればうわさはかけ算となり０となる。つまり、うわさは伝播しないということである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回の新型インフルエンザ事件に当てはめてみると、まず情報の「重要さ」においては、新しいウイルスであり人命にかかわる重要さである。もう一つの情報の「曖昧さ」については、どのような新種のウイルスであるか解明されていない。うわさが流布される要件は満たしているが、やっと最近になって感染症の専門家によるコメントが報じられるようになった。今回の新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと同程度の毒性を持つものであると。しかし、糖尿病や腎臓病、ぜんそくなどの患者、あるいは免疫力のない妊婦は重篤になる恐れがあるとも。やっと、曖昧さと重要さの一部ではあるが明確になり、自己防衛の在り方が見えるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の場合、大きな社会的事件が起きるときだけ「2チャンネル」の掲示板を見る。「うわさの法則」どおり、2チャンネルには複数の掲示板が立てられ、発症した高校生の高校探しが書き込まれていた。あるいは、既に大阪ばかりでなく東京でも数千名単位の発病者がいるといった憶測の書き込みもあるが、現時点においては全国へと伝播するだけの強いうわさは無い。新型インフルエンザの例に倣えば、弱毒性のうわさであった。何故なのか。それは新型インフルエンザの持つ「不可解さ」に対し、謎解きできるだけの専門性も知識もないということに他ならない。単純に言うと、発症した高校探しは出来ても、何故発病したのが渡航歴のない高校生なのか、何故兵庫県なのか、その謎解きにのめり込めるだけの「うわさ」が伝播されるだけの土壌、そうした情報をほとんどの人が持たないからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、問題は他にもある。初期段階におけるマスメディアの報道はどうであったか。防護服の検疫体制というおどろおどろした映像は心理の奥に焼き付けられている。更に大阪の通勤時間帯ではほとんど全員が防護マスク姿の異様な光景、閑散とした神戸南京街、マスクはどこへ行っても買う事が出来ない、関西方面への修学旅行の相次ぐキャンセル、逆に関西の中学生の修学旅行先のキャンセル、そんな情報ばかりが繰り返し報じられる。まるで、蒔かれた安心の種は既に恐怖へと変異しているにも関わらず、更にに水をまいているかの如くである。&lt;br /&gt;
既に東京に於いても防護マスクを買い求めるには至難のことになっている。巣ごもりできるように、レトルト食品を買い求め、あろうことかタミフルの個人輸入代行まで始まった。大阪のブロガーの一人は学校の臨時休校だけでなく、多くの人が集まるUSJや商業施設を閉鎖しろとまで言う。重要な事は、専門家による確かな判断と情報しかないのだ。初期段階でメキシコ政府による誤った死者数情報があったことを含め、私は新型インフルエンザの今を知る専門情報としてWHOのHPを見る事にしている。日本以外、不確かな過剰情報による過剰反応はない。ちなみに、ＷＨＯは今回水際対策を行った日本と中国に対し、隔離や停留のような人権侵害を伴う対策を実施する国は、その根拠を示すべきだと言っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、少し前に巣ごもりから冬眠へ、と最近の消費傾向について書いた。今、関西地域は冬眠状態へと向かっている。前回書いた心理面だけでなく、物理的にも移動が自粛という形で制限され、家に、内に籠らざるを得なくなったからである。大阪府知事が正確な専門情報として水際対策からの転換を政府はメッセージを出すべきと発言したことは当然である。冬眠状態が続けば、経済ばかりか社会生活までもが危機となる。既に、糖尿病や腎臓病、ぜんそくなどの患者、あるいは免疫力のない妊婦といった方達を収容すべき病床が無く、危機は目の前にある。あるいはお年寄りのデイサービスが休止となっているが、それはいつまで続くのか、そんな不安が渦巻いていると聞く。手洗いやうがいの励行、マスクの着用は一度聞けば良いのだ。不安解消はこうした新型インフルエンザ難民の人達の問題を解決することにある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に問題は他愛もないうわさが新型インフルエンザと同じように、いつか変異して流行する恐れがあるということだ。その背景には、全国へと広がるであろう新型インフルエンザは必ず制圧できるが、またいつかどこかで更なる変種として現れる可能性を否定できない。強毒性の鳥インフルエンザは今なおベトナムやインドネシアに眠っていると専門家は指摘する。拡散したように見えるうわさも実は沈殿しているだけで、再び変異し動き出すであろう。&lt;br /&gt;
今、東京では新型インフルエンザが蔓延した場合の対策が、医師会を中心に街の開業医という現場で自発的に組まれ始めている。感染症の指定病院だけではあらゆる意味で患者に対応しきれないためだ。感染の疑い、もしくは軽症と見られる慢性的な持病をもつ患者には訪問治療まで検討されているという。つまり、不安の時代にあって、新型インフルエンザも、うわさも、現場でしか払拭し解決し得ないということだ。神戸の酒鬼薔薇聖徒事件の時もマスメディアは揃ってうわさを基に真犯人探しをした前科を持つ。今回、関西では大きなパニックには陥らなかったが、いつでもその恐れがあるということだ。今生活者は巣ごもり状態にある。多様なメディアの情報を手に入れ判断することが難しく、マスメディアからの情報に翻弄されやすいということだ。私は消費における振り子現象について数多く書いてきたが、今回の新型インフルエンザにおいても、「無関心」から一挙に「パニック」へと大きく振れる振り子現象が見られた。高度情報化社会の特質であると言ってしまえばそれで終わりであるが、言葉が伝わらない時代でもあるということだ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-05-20T13:53:31+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-2724.html">
<title>意味ある消費時代</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-2724.html</link>
<description>提示されたエコポイント制度の内容を見る限り質の悪い販促事業である。生活者は意味ある支援、助成を求めており、その「意味ある」とは未来につながる政策に対してであり、その道筋さえ示されれば、徐々に巣ごもりから脱するであろう。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No367（毎週2回更新） 　2009.5.17.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;5月15日から「エコポイント制度」がスタートした。後期高齢者医療制度の時はその内容もさることながらネーミングに本音が見え隠れしてしまいブーイングの嵐であった。今回はそんな失敗から、馴染みのあるエコ製品とポイント制度とを結びつけたネーミングによる追加経済対策の中の内需拡大策である。しかし、そのポイントの使い道や第三者委員会による運営が決まっていない見切り発車となっている。エコポイントをキーワード検索すると分かるが、自治体や企業、NPO、街の商店街に至までエコロジーを進めていくための小さいが丁寧な助成制度や仕組みが組まれている。定額給付金支給もそうであったが、高速道路割引制度においても生活者の消費価値観の変化を熟考することなく見切り発車するとどれだけの混乱を起こすか理解されていない。しかも、今回の国による「エコポイント制度」は、一言でいうと、質の悪い販促事業である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費の価値観を考えていく場合、生きていく上での必需消費と旅行や娯楽のような選択消費とに分ける事が出来る。正確なデータではないが、バブル絶頂期であった1989年に食費や住居費といった必需消費が家計支出全体の50％を切り、娯楽や教育費といった選択消費への支出が上回っていく。以降、豊かな時代を迎えたと言われてきた。しかし、1998年以降収入は減り、ITバブルがはじけるが、円安誘導もあって輸出企業が復活し、金融分野においても規制緩和によって投資ファンドの活動が活発化し、新富裕層と呼ばれる新たな市場を産み出した。また、同時に格差といった問題もであるが。そして、昨年9月のリーマンショックを含め、今日の「巣ごもり状態」へと至るのである。巣ごもり状態とは、選択消費ばかりでなく、必需消費すら切り詰め、家計を成立させる自己防衛の別名である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、生活者の中に２つの大きな消費価値観の潮流が見られる。1つは家計収入の大きな伸びを期待しない、あるがままを受け入れる、とする成熟派。もう1つは、いや収入は伸ばせるし、少々の無理は承知で頑張る、とする成長派。更に単純化すれば前者をアリ、後者をキリギリスに例えてもかまわない。国家レベルでいうと、現政権でいうと、前者を財政均衡主義者（与謝野金融大臣）、後者を成長への財政積極論者（中川秀直氏）としてもかまわない。今回の15兆円に近い追加経済対策について、赤字国債というつけを子や孫の世代に回す事はならないとする意見と、景気への緊急避難措置でやむを得ないとする意見。こうした対立軸は生活経営においても同じように行われてきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この１年間、私は価格について多くの注目すべき事例を書いてきた。エブリデーロープライスのOKストアから始まり、ユニクロ、H&amp;M、更には雑誌の宝島社に至るまでだが、それは前者の成熟派が圧倒的に多くなったということでもあった。繰り返し書かないが、百貨店の衰退を見ても明らかであるように、日本市場の象徴であった中流層は1990年代後半から崩壊が始まり、この市場に準じていた新富裕層は金融破綻によってこの1年で崩壊した。結果、成熟派はマス市場化し、その市場を更に分解してみると、&lt;br /&gt;
・買いたいけれど買えない、我慢派（収入ダウン等による）&lt;br /&gt;
・買えるけど買わない、新合理主義派（前々回書いた平成世代）&lt;br /&gt;
それと既に半分死語と化してしまった「パラサイトシングル世代」である。1990年代後半、都市部サラリーマン世帯に現れた固有の世代で、当時はフリーターという新たな職種として呼称された時代であった。この世代は今30代後半を迎え、その予備軍である20代後半世代をハッピーパラサイトと呼ぶそうであるが、いずれにせよ両親の家に寄生する非正規労働者群で「買いたいけれど買えない我慢派」に属している。日本の労働人口の34％を非正規雇用が占めており、こうした成熟派が中心となって、「巣ごもり消費」現象がいたるところで見られるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国は内需拡大・消費活性というが、未来に対し醒めた目でしか見る事ができない成熟派がマス市場化している現状にあって、「エコポイント制度」を活用する市場は一部に終わるであろう。求めているのは「未来」であり、若い世代にとっては何を置いてもまず仕事・雇用の確保で、無ければ新たな産業起こしをしなければならない。子育て世代にとっては安心できる育児や医療の体制であり、シニア世代にとっては年金や介護医療の問題解決であろう。根本課題の道筋を明らかにした上でのエコロジーである。しかも、生活レベルではかなりのところまでエコロジーは徹底されている。今、必要とされているのは国家レベルでの新しいエネルギー政策であり、新しい産業起こしであり、お金の使い道が間違えているとしか言いようがない。政治はこうした「未来」を提示することが使命であり、仕事の筈である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、日本は昔も今も、小資源、省エネ国である。少ない資源を最大化させ、その使われるエネルギーを最小にする知恵と技術を持った国である。日本こそエコ先進国であり、エコ大国であったことを指摘する人は少ない。私はこのブログを通じ何回か書いてきたが、現在のライフスタイルの原型は江戸にあり、その変化の先に今日がある。江戸が循環型社会、リサイクル社会であったことを指摘する研究者はいるが、江戸がエコロジー社会であったその裏側にある思想を指摘する人はほとんどいない。&lt;br /&gt;
江戸は幕府ができた当初は人口40万人ほどであったが、「人返し令」が出るぐらい人口は集中し、当時の世界都市であるロンドンやパリをはるかにしのぐ130万人都市となる。しかも、流れる上水道をもっていたのは江戸だけで、識字率も高く文明の高さからも群を抜いた都市であった。つまり、世界でもまれに見る都市化がどこよりも早く進んだのが江戸であった。いわば都市化先進国であったということだ。別の視点に立てば、人口増加による環境問題も発生し、どのように解決していったかという良き社会モデルとしてある。&lt;br /&gt;
こうした良きDNAを受けていると思うが、東京都内では家電リサイクルショップが相次いでオープンし、服や靴のリペアショップも同様である。衣料品や靴などの下取り企画は圧倒的な支持を得てヒット商品となった。ところが、今回のエコポイント制度では薄型TVのサイズの大小によってポイント還元される。家電量販店は当然同じ費用であれば大きめのサイズを勧めるであろうし、顧客も大きめのサイズを選ぶと思う。結果、大型のものとなり、消費電力においては省エネというエコロジーには反することにつながる。まだ、法案が審議中であり、内容それ自体が変わると思うが、提示されたエコポイント制度の内容を見る限り質の悪い販促事業である。生活者は意味ある支援、助成を求めており、その「意味ある」とは未来につながる政策に対してであり、その道筋さえ示されれば、徐々に巣ごもりから脱するであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、このブログを書いている最中に兵庫だけでなく大阪にも新型インフルエンザの患者が発見され21名になったと報じられた。予定されていた神戸まつりは中止となり、パンデミックである。残念ながら、私が予測した通り、心理的には巣ごもり消費から冬眠消費へと向かいつつある。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-05-17T13:39:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-e03e.html">
<title>個人サイズの合理主義　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-e03e.html</link>
<description>1980年代から始まった個性化の時代、好き嫌いが消費の第一義であった時代を終え、価格認識に基づく個人サイズの合理主義　の時代に入った。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No366（毎週2回更新） 　2009.5.13.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、「顧客に近づく」という日本小売業調査結果を踏まえ、なかなか消費の表舞台に出てこなかった「平成世代」について少し書いてみた。旧来の価値観や慣習がもろくも崩壊していく様を物心つくやわらかな幼少期〜青年期にかけて目の当たりにしてきた世代である。私はそんな醒めた目で見ざるを得ないこの世代を「20歳の老人」と呼んだが、その根底にある新合理主義がこれからの消費のキーワードになると仮説した。&lt;br /&gt;
実は、この新合理主義の前提となるのが、「過剰認識」である。逆に「不足認識」と言葉を変えても同じである。生活していく上で、何が過剰で何が不足しているかという認識である。これはコインの表裏であり、個人間、世代間、あるいは時代間で、この生活認識は大きく変わる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日、伊勢丹吉祥寺店が来年3月に閉店すると報じられた。少し前には三越池袋店が51年間にわたる営業の幕を閉じた。流通の統廃合は競争市場下にあって常にある事だが、以前から指摘してきたように百貨店が対象とする市場は、いわゆる中流層で、この市場は既に崩壊してしまっている。昨年、H&amp;Mが銀座に出店した時に、GAPやZARA、ユニクロによって最も影響を受けるのが百貨店のファッション売り場であると指摘したが、百貨店の収益を決めるファッションの不振は閉店という現実となった。今注目されているフォーエバー21も新宿マルイのリニューアル後のMDも全て同じである。マスメディアは総称してファーストフードのように気軽に手軽に買えるファッション業態として「ファストファッション」と呼んでいるが、ここにも新合理主義が見られる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;平成世代を老人のような醒めた目という表現を私は使ったが、おそらく回りからは過剰な情報が日々聞こえてくるのに、自分の声が届かないという失語世代であると思っている。「私は」、と発語する時、一体誰が認め、あるいは保証してくれるのかが分からない。自分自身を確認する手段を持ち得ない、手段を失ってしまっているように見える。今回の派遣切りの延長線上に内定切りもあり、マスメディアはかなり報道していたが、誰一人怒りや義憤をぶつける事はなかった。「言ったところで」、と沈黙する学生が多かったように言葉からも見捨てられているように見える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この世代を「巣ごもり消費」の典型であると書いたのも、自分の手が届く範囲内でしか消費しない、行動しない、発語しない、という意味である。キリギリスよりアリ、冒険より安定、変革より保守、不満より不安、大より小、言葉より実感、・・・・・これからも続々とキーワードが出てくると思う。ベストセラーとなった森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」ではないが、身の丈サイズの幸せを手に入れる、そんな個人サイズの合理主義を想起させる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この個人サイズの合理主義は平成世代ばかりでなく、他の世代、他のエリア（都市と地方）においても浸透していくと考えている。「何が合理であるか」が、あらゆる消費の最大キーワードになってくる。昨年のヒット商品の一つであるパナソニックの電球型蛍光灯のように価格は高いが長持ちし電気代も節約できて結果として安く済む、といった費用対効果を物差しとした合理主義もある。1年前から生活者の消費キーワードとなっている「わけあり消費」も、その「わけ」が合理的判断の物差しとなっている。数年前から始まっている単位革命、例えば大家族の場合は業務用食品ショップで大量に買うことが合理主義となり、単身者やDINKSのような場合は小単位、食べ切りサイズが合理主義となる。1980年代から始まった個性化の時代、好き嫌いが消費の第一義であった時代を終え、価格認識に基づく個人サイズの合理主義の時代に入った。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-05-13T13:31:16+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-bcb6.html">
<title>平成世代の幸福観</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-bcb6.html</link>
<description>よく若者らしさがない、元気がない、草食系男子などと「大人」は言うが、そんなノー天気な楽観主義の世界に平成世代は生きてはいない。平成世代の「小さな幸福感」は、醒めた合理主義に裏打ちされたものだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No365（毎週2回更新） 　2009.5.10.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;5／8の日経MJに恒例となっている日本小売業調査の速報版が載っていた。巣ごもり消費に対する大手流通各社の考えを調査したものだが、結論から言うと「もっと顧客に近づく」ことが問われているとの認識である。それは価格において顧客に更に近づくためのPB化の促進、出店立地＝より小さな業態出店やネットスーパーへの取り組みで顧客に近づく、あるいは特売といった売り出しの高頻度化で近づく、問題解決にはスピードを持って近づく、更なる経費の削減・・・・・ちょうど１年前に私はこのブログで安近短という消費キーワードを十数年ぶりに使ったが、まさにこのことが経営の現実課題として認識されたようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、昭和と対比する意味で平成世代を取り上げた。その平成世代を私は「20歳の老人」というキーワードをつけてみた。表面的な消費欲望の乏しさだけでなく、多くの人から愛される性格の良さ、競争や闘いを好まない穏やかさ、そうしたことがどこか人生を達観しているかのように見えるからであった。しかし、内側に入れば、老人とは違って何故欲望が乏しいのか、誰彼となく好かれる性格なのか、穏やかであるのか、実はそこに見えてくるものがある。前回、この世代について不満はないが、不安があると書いた。その不安が何故そうなのか、「もっと平成世代顧客に近づく」にはどうしたら良いのか、少し考えてみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、平成世代の内側にある幸福感を見出す視座として、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらが研究したプロスペクト理論を私流に噛み砕いて、幸福観に影響を与える経済的な要因を整理してみた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（A）絶対的な豊かさ：お金（収入や支出）に対する明確な価値認識&lt;br /&gt;
（B）他人と比較した豊かさ：誰と比較するのかによって揺れ動く心理&lt;br /&gt;
（C）以前の自分と比較した豊かさ：昭和のいざなぎ景気のように年々収入が増えるという比較実感した豊かさ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上記（B）が、いわゆる格差意識を醸成しているもので、新富裕層市場を産み出した背景である。勝ち組、負け組といった言葉が生まれる背景にもなっている。今回の世界不況によって、この新富裕層市場の多くは崩壊した。しかし、今年の後半位から新新富裕層市場の芽が出てくる事が予測される。&lt;br /&gt;
（C）は周知の通り、昭和のいざなぎ景気とは反対に、収入は増えず横ばいもしくは下がる情況で、「豊かさ」という幸福感が乏しいと感じている層だ。価格に対し、極めてシビアな認識と行動をとるのが特徴である。今回の高速料金割引制度で一斉に車で出かけた層である。しかし、予想を超えた混雑に対する学習もしており、毎回同じような消費行動を取るかと言うとそうではない。&lt;br /&gt;
（A）の「絶対的な豊かさ」とは、ある意味精神的な豊かさのことである。古くは功成り名を遂げた土光臨調と呼ばれた土光さんのような生き方、「私」を超えた社会価値に基づいた豊かさ実感と言えよう。象徴的に言えば、人生の先が見えたシニア世代の豊かさと言える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;平成世代（実際には25歳以下の世代で物心のつく年齢を平成元年以降とした意味合いで使っている）を見ていくと、絶対的とはいわないが、（A）のような価値観を持つに至っているように私には見える。「私」を超えたというより、「私」を押しつぶし、壊すような大きな時代の転換を目の当たりにした世代だ。政治的にはベルリンの壁崩壊後の米国一国主義による戦争の時代であり、社会経済では競争の時代である。日本ではバブルが崩壊し、多くの旧来価値観が壊れ、しかしゆとり教育を受けて育った世代である。ある意味価値観混乱の当事者ではないが、それらを肌身で感じていたと思う。（B）のような競争を嫌う一種の平和主義者で、しかも人間関係で言えば、愛するより愛されることが自然で楽であると考えている世代だ。しかも、（C）のような未来実感、そんな時代がくるとは思わない醒めた目をもっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費面では、「そこそこ消費」という無理をしない消費で、勿論ブランドなどには全く固執はしない。例えば、シニア世代だとビールはやはりラガーにかぎるといったこだわり志向があるが、それとは逆に、ビールの味に価値を見出すほどの差を感じないので安い第三のビールで十分と考える。女性とデートするにも、チョット無理してホテルで食事をといった消費ではなく、気楽にできる彼女の部屋でデートするといった具合である。勿論、近くのコンビニで第三のビールを買ってであるが、こうした合理性、ある意味安近短の合理性を持っている。ここ数年、若い世代の車離れが指摘されているが、このことも至極当然である。無理して車を所有するより、車を借りるか、もしくは公共の移動手段を利用した方が楽で安く上がる。つまり、所有価値より使用価値を選ぶ合理主義者という訳だ。&lt;br /&gt;
新しい、珍しい、おもしろいを求めて「外」へと動き回っていた消費は、収入が増えないという経済事由によって、「内」へ、安近短へと向かう状態、これが「巣ごもり消費」である。しかし、平成世代はその若さから本来であれば未知への体験願望があり「外」へと向かうのだが、最初から醒めた目で「巣ごもり」しており、安近短は至極「普通」のこととしてある。これが平成世代の豊かさ認識で、キーワード的にいうと「小さな幸福」願望とでも言えよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、妙に平成世代のことが気になっている。日本の未来を映し出している世代と言ってしまえばそれで終わりであるが、生まれた時から続く今ある混乱を醒めた目で見ていると思うからである。それは、平成世代の「私」は時代の大波に翻弄されるがままに「今」があるからだ。私のような団塊世代以下が創った「重し」、既成によって、「小さな幸福観」が表へと出てくることはない。私は「20歳の老人」と呼んでみたが、平成世代を揶揄するつもりではない。よく若者らしさがない、元気がない、草食系男子などと「大人」は言うが、そんなノー天気な楽観主義の世界に平成世代は生きてはいない。平成世代の「小さな幸福観」は、醒めた合理主義に裏打ちされたものだ。その新しい合理主義がこれからどんな顔で社会の舞台に出てくるか注目していきたい。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:date>2009-05-10T13:28:06+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-9fd6.html">
<title>昭和がまた一人亡くなってしまった　</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-9fd6.html</link>
<description>忌野清志郎さんの訃報を聞いて、ふとこの平成の時代、その申し子である世代を考えてしまった。昭和と平成との段差は大きく、清志郎さんが58歳の若者であるのに対し、目の前で多くの価値観崩壊を見てきた平成世代はまるで「20歳の老人」であるかのようだ。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No364（毎週2回更新） 　2009.5.6.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;5月2日、忌野清志郎さんが亡くなった。井上陽水、吉田拓郎といったミュージシャンの少し後からのスタートであったが、私たち団塊世代にとって、青春の風景には必ず出てきたミュージシャンの一人である。勿論、ロックとフォークというジャンルの違い、好き嫌いでいうと陽水・拓郎派と清志郎派とに大きくは分かれていたと思う。私はどちらかと言うと前者であったが、友人の一人は清志郎フアンであった。しかし、音楽のジャンルを超えて共通していたことは、時代に素直に向き合う、そこに生きている「人間大好き」を表現したミュージシャンであった。陽水と同じように社会問題をテーマとし、「原発賛成音頭」のように時に物議をかもす、反骨のロックミュージシャンのように言われるが、それも多くの音楽専門家が言うように根底にはリズム＆ブルースがある。1990年代末、渋谷109に集まった山姥・ガングロの30年も前に、歌舞伎役者のような婆娑羅スタイルで時代を駆け抜けた。「昭和は死んでしまった」と言い残して亡くなったのは、日本のブルース、歌謡曲を書いた阿久悠さんであるが、また一人昭和が亡くなってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、忌野清志郎さんと井上揚水の二人が創った「帰れない二人」を聞いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;思ったよりも夜露は冷たく&lt;br /&gt;
二人の声もふるえていました&lt;br /&gt;
「僕は君を」と言いかけた時&lt;br /&gt;
街の灯が消えました&lt;br /&gt;
もう星は 帰ろうとしてる&lt;br /&gt;
帰れない二人を残して&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;・・・・・・・・・・・・・・&lt;br /&gt;
・・・・・・・・・・・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう星は帰ろうとしてる&lt;br /&gt;
帰れない二人を残して　　　　&lt;br /&gt;
作詩：井上陽水・忌野清志郎 作曲：井上陽水・忌野清志郎&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「帰れない二人」は、今一人になって、何を想っているのであろうか。井上陽水の初期の楽曲に「人生が二度あれば」がある。この曲は亡くなった父を想って創った曲であるが、清志郎さんを想った曲を私は是非聴きたいと思う。&lt;br /&gt;
一昨日行われた通夜はロックコンサート会場になり、代表曲「雨あがりの夜空に」のアンコールで送り出したという。いってらっしゃい、清志郎さん。&lt;br /&gt;
言葉の原初的発生は、最初はまさに音であった。うれしかったり、悲しかったりそうした感情は音、つまり表音としてあった。そうした音を人類は表意として、地域ごとに時代ごとに言語として制度化してきた。そうした意味で、音楽は原初としての言葉であった。ニュースに声を与えてくれたのは亡き筑紫哲也さんであったが、清志郎さんは時代に言葉を与えてくれた一人だと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回、新型インフルエンザの危機によって、巣ごもりから冬眠消費へ向かう、と私は書いた。自己防衛意識は、更に強まるとも。つまり、言葉が届かない、受け付けない時代に進んでいくということだ。いや、最悪の場合は失語の時代を迎えるかもしれない。病気としての失語症は、脳の言語野が損傷することによって起こるのだが、マスメディアはまるで失語症の如く、言葉を発する言語野が損傷している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昭和という元号が平成に変わったのは1989年であった。周知のように、日本の1989年はバブル絶頂期で株価は38000円を超え、ベルリン崩壊という東西冷戦のイデオロギー対立が終焉した年であった。生活という次元で言えば、収入が右肩上がりであった昭和とバブル崩壊後数年は世帯収入は上がるが1998年以降右肩下がりの時代へと分かれる年である。&lt;br /&gt;
本格的な分析を今後していきたいと思っているが、バブルが崩壊する1992年前後を境に生活価値観は根本から変わる。大きな分水嶺となる時代論であり、世代論でもあるが、1980年代後半に生まれた平成世代、25歳以下の若い世代の消費行動とその価値観、それ以前のポスト団塊世代40代半ば以上の昭和世代とを比較してみると明確な違いが分かる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仮説はこうである。25歳以下の平成世代が物心がついてからどんなことが経済・社会で起きてきたか、物質的にはモノが溢れ、個室ばかりかPHSや携帯電話という個人単位の生活が当たり前の時代であった。しかし、同時に昭和の価値観が目の前で崩壊していく様を実感する。大企業神話、金融神話、終身雇用、年功序列、受験戦争、・・・・・こうした過去の価値観に替わってITビジネス、グローバリズム、成果主義、ゆとり教育、大学全入時代・・・・新しい平成の価値観に遭遇するのだが、経済でいうと右肩下がりの時代しか経験しておらず、不安はあっても不満が生まれる背景は持たない世代である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この昭和世代と平成世代を対比して見ると、不足・欠乏感vs充足・不安感、モノ（ブランド）価値欲求vs情報（個人）価値欲求、消費・変化欲求vs貯蓄・安定欲求、競争vs非競争、変化受容vs保守維持、このように整理できる。不安感はあっても不足感の無い平成世代にとって、草食系男子と呼ばれるように消費欲望としては乏しい。しかし、モノを買わない訳ではなく、先日原宿にオープンした「フォーエバー21」のように、1万円あれば上から下まで全て揃うといった商品であれば買う世代である。また、これも先日リニューアルした新宿マルイの売り場を見てもわかるが、服と同じ位アクセサリーや小物雑貨が置かれ、どれも1000円〜3000円といった安さである。昨年のヒット商品となった柄タイツの主要購買層である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話は元に戻るが、新型インフルエンザを含めこの平成世代こそ自己防衛に走る。いや、既に自己防衛的生活を送っていると言った方が正確であろう。団塊世代は若かりし頃「坂の上の雲」を目指したが、平成世代にとって「坂の上の雲」はない。この世代にとって安定・安心が最大のキーワードである。忌野清志郎さんの訃報を聞いて、ふとこの平成の時代、その申し子である世代を考えてしまった。以前、このブログにも書いたが、昭和と平成との段差は大きいと。清志郎さんが58歳の若者であるのに対し、目の前で多くの価値観崩壊を見てきた平成世代はまるで「20歳の老人」であるかのようだ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>ヒット商品応援団</dc:creator>
<dc:date>2009-05-06T13:32:49+09:00</dc:date>
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<title>巣ごもりから冬眠消費　へ</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/05/post-4fec.html</link>
<description>冬眠消費というと、まるでモノが売れない時代のように考えがちであるが、決してそういうことではない。むしろ逆なのである。勿論、消費全体としてのパイは縮小する。しかし、売れる商品、売れる店、売れるサービスは一カ所に集中する。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No363（毎週2回更新） 　2009.5.3.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;3月31日から東京上野国立博物館で行われている「阿修羅展」には連日1万人を超える入場者があり、4月28日には30万人を超えたと報じられた。奈良・興福寺所蔵の天平文化を代表する仏像が一堂にそろう特別展であるが、入場者はというと、従来であるとシニア世代の愛好家がほとんどであったが、20代、30代の若い女性がかなり多く見受けられた。この「阿修羅展」に先だって東京世田谷美術館で行われた「平泉　みちのくの浄土」も同様に若い世代の入場が多かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小柄で小顔の美少年のようだと、阿修羅像に魅入る女性達を「アシュラー」と呼ぶそうだが、どこかマスメディアのやらせのような薄っぺらさを感じる。が、そんなレッテル貼りに関係なく、ここ数年若い世代の仏像、いや日本文化への愛好家は着実に増えている。修羅場の語源となった阿修羅は帝釈天と絶えず戦争をする鬼神であり、後に仏に帰依する。そんな阿修羅像に魅入る女性を「アシュラー」と呼ばれようが、日本の歴史文化の興味の入り口でありさえすれば良い。中尊寺金色堂のきらびやかさも、平泉一帯を浄土の庭とした仏教文化の入り口でありさえすれば良いのだ。1300年前の仏像を通し、日本の精神世界に触れ、内省する良き機会である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」や「えんぴつで奥の細道」のベストセラー以降、変わらぬ静かなる禅ブーム、宿坊顧客の増加、精進料理や声明への注目。あるいは阿寒グランドホテル鶴雅におけるアイヌ文化の取り入れに代表されるように、地域の固有な風土、文化への注目。こうした今も残る日本の精神文化を取り入れていく傾向の中に、今回の一連の仏像展への注目もある。こうした傾向は、昨年のサブプライムローン問題を引き金とした金融危機や実体経済の危機といったグローバリズムが、ある意味促進しているとも言える。戦後60数年、「外」へ、「世界」へ、ライフスタイル的に言えば「洋」へと振れ過ぎたことに対する振り子現象の一つである。振り子は「内」へ、「日本」へ、そして「和」のライフスタイルへと揺れ戻しの中にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、ここ1年ほどマスメディアが流す情報の中に、実は無くなっているキーワードがある。常に表層をなぞり、情報消費を促すのがマスメディアと言ってしまえばそれで話は終わってしまうが、無くなったキーワードの一つが「スピリチュアル」である。更に言うと「癒し」でもある。つまり、従来あった精神世界、心の世界の商品化が終わろうとしているということだ。終わったのは勿論単なる表層をなぞっただけの「スピリチュアル商品」であり、「癒し商品」である。&lt;br /&gt;
もっと分かりやすく言おう。1年半ほど前までは、占いがブームであったり、あるいは「癒しのリゾート」「癒しの宿」「和に癒される」といったテーマがTV番組を始め、雑誌などを賑わしていた。さて、結果は言うまでもなく、そんな時代ではなくなったということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前号で「パンデミックへの免疫抗体」というテーマ、不安心理のパンデミック（感染爆発）について書いた。案の定、その一つである新型インフルエンザの「感染の疑い」という不確かな情報によって、政府・自治体は右往左往大騒ぎした。1日も経たない内に、メキシコの感染者数や死者数が大きく修正されたが、マスメディアは明確な根拠を示すことなくあいまいなままである。しかし、生活者はそんな情報によってパニック状態に陥りはしない。生活者にとって、問題は新型インフルエンザだけでなく、もっと大きな深い「危機」に対して感じているからだ。そんな本質としてのパンデミックが訪れていると指摘した作家辺見庸が、5月9日早稲田大学大隈小講堂で講演を行う。テーマは「暴力の時代　言葉に見はなされるとき」とある。作家として言葉を紡ぐことを生業（なりわい）としている辺見が、最早自身の言葉で語りえない、誰の言葉も及ばない暴力というパンデミックの時にきているとの認識。いや認識というより、脳溢血で倒れ、更に癌でおかされた辺見庸の叫びである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;消費という人間が本質として持っている欲望の変化と推移を見ていくと、その時々の経済や社会、あるいは政治が見事に映し出されていることが分かる。今回の新型インフルエンザは遅かれ早かれ日本にも感染者が出てくると思う。更には、そのウイルスを制圧しえたとしても、冬に向かって更に変異したウイルスが出現するかもしれない。こうした一連の危機と共に政府の過剰な「隔離政策」によって、ヒトもモノもその移動が制限され、経済ばかりか心までもが否応なく「内」へと向かうであろう。消費の傾向は「巣ごもり」から「冬眠」へと向かう。今までの消費キーワードである安近短は、更に安く、更に近場で、更に短く、「あれこれチョットづつ」は「これだけチョット」となり、回数も更に減る。例えば、食のガツン系は冬眠を前にした栄養補給の様相さえ見せるようになる。既に始まっている家庭内充実は家庭内防衛へと進み、こうした自己防衛の傾向は新たな氷河期時代のライフスタイルキーワードとして出てくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした消費の自己防衛ばかりか、働き方も自己防衛的なものとなる。既に、その兆候は出てきているが、休日や時間外のアルバイト、サイドビジネスが盛んになる。収入の補填もあるが、見えない未来への模索である。この模索は、一つは資格取得という形になって現れてくる。英検や漢検といった就職に有利といった資格ではない。もっと実ビジネスに即した行政書士や中小企業診断士のような安定した仕事に向けた資格だ。つまり、仕事における安定志向を超えて、積極的な防衛策が始まったという事だ。嫌な言葉だが、企業ばかりか個人までもが生き残りをかけた氷河期を迎える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冬眠消費というと、まるでモノが売れない時代のように考えがちであるが、決してそういうことではない。むしろ逆なのである。勿論、消費全体としてのパイは縮小する。しかし、売れる商品、売れる店、売れるサービスは一カ所に集中する。今回の高速料金割引制度による高速道の大渋滞のように、一斉に一カ所に集中する現象が現れる。しかし、GW期間中にあって、高速道の1000円効果は50km60kmといった大渋滞による学習体験によって、効果は一過性で終わる。しかし、氷河期にあっては、メーカーであれ、流通であれ、競争結果として寡占化が進み、上位数社のみが市場を占有するということになる。つまり、そうした意味のヒット商品が生まれるという事だ。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<title>パンデミックへの免疫抗体</title>
<link>http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2009/04/post-da44.html</link>
<description>失いつつあった五感の取り戻しが不安に対する免疫抗体につながっている。不安・不信が渦巻く時代にあって、人間が本来持っている野生の復活、五感の取り戻しが最大のキーワードとなった。</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ヒット商品応援団日記No362（毎週2回更新） 　2009.4.29.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新型インフルエンザがメキシコを震源に世界へと広がっている。既にメキシコでは死者は150人を超え警戒レベルは人から人へと感染するフェーズ4に引き上げられた。過剰な恐怖心を抱く必要はないと思うが、目に見えない不安が静かに押し寄せてきている。初めてパンデミック（感染爆発）という言葉を耳にしたのは、数年前にベトナムで発生した鳥インフルエンザが新型インフルエンザに変異し、WHOの係官がウイルスを制圧するニュースの中であった。パンデミックは世界へと大流行する最悪の場合に使われるフェーズ6であるが、どうしても作家辺見庸が指摘していた事を思い出してしまう。それは「しのびよる破局　生体の悲鳴が聞こえるか」（大月書店刊）にも書かれているが、世界を覆う金融恐慌であり、地球温暖化であり、戦争という暴力であり、そして新型インフルエンザという危機の波が同時進行し破局へと向かっているとの指摘だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、少し前に「値下げ競争」の時代であればこそ、「安心」は何よりも重要なこととして受け止めなければならないとブログに書いた。嫌な事が的中してしまったが、メキシコから豚肉を輸入している松屋フーズはすぐに豚関連のメニューを外した。豚肉は安全に調理され問題はないが、やはり心理的な不安要素を無くし安心を確保するためだ。更に、ドラッグストアにはウイルス対策のためのコーナーが設けられた。こうした動きも全て不安心理への対策である。日本では新型インフルエンザの感染者は未だ確認されていないが、お隣韓国では感染が疑われる患者が見つかっている。人から人へと感染するフェーズ4にあって、人ごみへ行くのは避けて欲しいと専門家は言うが、もしゴールデンウイーク期間中に日本でも感染者が見つかった場合、巣ごもり状態の消費は、一挙に「冬眠消費」に向かうのではないかと懸念される。それは、中国冷凍餃子事件によって冷凍食品が一挙に30数％減り、収入が減るといった経済的なことを含め、内食へと急速に向かったことを考えれば十分想定されることだ。ゴールデンウイークに入ったが、霞のような不安が立ちこめており、素直に楽しめない休日となった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、この安心を創るためにいくつかの施策が始まっている。その一つが有店舗販売とネット販売を組み合わせた方法である。以前から行われてきた方法であるが、最近では大手スーパーが一斉にネットスーパー市場へと参入してきた。また、その逆である楽天も子会社ネッツ（食卓・JP）を使って全国の有力スーパーと組み積極的な展開を始めた。こうした背景には、巣ごもり消費である「内食」市場を新規開拓することにある。この内食市場の根底にあるのが有店舗で商品を手に取り確認できる「安心」、リアリティ感の確保である。つまり、有店舗販売とネット販売を組み合わせることで安心を担保しながら、内食市場を開拓する試みだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方、生活者の側の不安心理情況であるが、マスメディアの加熱報道とは違って、2chを見てもうわさを含めた風評はそれほど飛び交ってはいないようだ。以前このブログにも書いた事があるが、不安とうわさは表裏の関係にあって、あいまいさや不確かさがある場合、それが生命に関わるような重要な事柄が起きたときに発生する。今回の新型インフルエンザも耐震偽装事件から始まる多くの偽装事件、そして昨年の中国冷凍餃子事件など一連の経験から、自己防衛としての免疫抗体が既に出来ているようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自己防衛としての免疫抗体とは、一言で言うならば、体験、体感によって得られた「五感の取り戻し」である。便利さや快適さがスイッチ一つで可能となった現代社会とは、ある意味で「無感社会」でもあった。しかし、こうしたことの矛盾をはっきりと教えてくれたのが、やはり中国冷凍餃子事件であった。見えないところで何が行われているかへの不信と不安である。こうした背景から、安全安心を入り口に、家庭菜園や田舎暮らしに始まり、今や人気となった農家レストラン、あるいは内食へと進む傾向の根底には、自ら体験、体感する「五感」に裏付けされた安心欲求がある。大仰に言うと、失いつつあった五感の取り戻しが不安に対する免疫抗体につながっている。不安・不信が渦巻く時代にあって、人間が本来持っている野生の復活、五感の取り戻しが最大のキーワードとなった。（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:date>2009-04-29T13:25:50+09:00</dc:date>
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