エコロジー

2011年6月26日 (日)

パラダイム転換が始まる(2)

ヒット商品応援団日記No510(毎週更新)   2011.6.26.

前回のブログの最後に、少々不便さを感じたり、快適さが失われても、人工的生活を少なくしたい、そんな実感体験してきたライフスタイルへと移行するであろうと書いた。そして、それはLOHAS的ライフスタイルへと向かうとも書いた。再生可能な自然エネルギーへの共感が広がっているのも、「人工」の象徴である原子力発電への一種の忌避感からであろう。それを見事に表しているのは、家族も家も故郷も根こそぎ奪い去った三陸海岸にあって、多くの漁師はまた海に戻りたいと口々に言う。一方、放射性物質汚染のホットスポットである飯舘村の人達は避難に際し、政府・東電への怒りと共に、1日でも早く自然豊かな元の村に戻って来たいと言い、もう原発はいらないと言い切る。
同じ大震災に遭ったにも関わらず、自然と人工は真反対の思いになった。その価値観の違いを鮮明に浮かび上がらせた。

昨年から森ガールや山ガール、最近では釣りガールまで、アウトドアレジャーといった休日の過ごし方、その消費に注目が集まってきた。こうした休日や自由時間には関心事や好みはストレートに表れてくる。そして、そうした関心事や好みは次第にウイークデー、日常生活へと取り入れていく方向に向かう。例えば、森ガールスタイルで街中を歩くといった日常の過ごし方である。あるいは、部屋のなかでバーベキュー的料理を楽しむとき等は、アウトドアスタイルの食器などを使って楽しむといった世界である。
今まで以上に生活のなかに自然を取り入れ、五感で感じ取る生活、それは少々快適さにかけていてもそれ自体を楽しむ生活である。その意味するところは、夏は夏らしい暑さを、秋になればひんやりとした空気を感じ、つまり四季を五感で感じ取れるような生活を取り戻すということである。3.11以降、節電ということからオフィスも商店も、電車も駅も、勿論家庭も、各人が照明を落とし、少しの間は暗さを感じていたが、今はどうかと言えば不便・不快を感じることはない。ただ、薄暗くなったことから交通事故やひったくり事件が増えたことは困りものであるが。

ところで、ここ数年オール電化住宅が戸建・マンション共に増えてきた。あるいはそこまではいかなくとも、ガスや火を使わないIHクッキングヒーターが急速に普及してきた。ところが、計画停電という事態に遭遇し、どんなことが自己防衛策として消費に現れてきたか、このブログにも書いてきた。3.11直後にはカセットガスコンロに殺到し品切れとなり、次第に応急的商品から家庭用の蓄電池やその代用となるハイブリッド車へと注目が集まった。更にはアウトドア好きはそれら商品をインドア・部屋のなかでも使うようになった。
つまり、言葉には表さないが、原子力発電という電力の大量生産、大量消費時代の終わりを感じているということだ。日本は五風十雨と言われてきたように、湿潤な気候風土の国だ。それを快適である一定の気温、湿度に電力をもって1年365日保つ電力消費生活を見直す方向へと向かっている。食で言うと、旬のある豊かな国であるが、既に365日旬のある環境が出来上がっており、旬の持つ限定という期待感は喪失しまっている。これも大量消費時代が生んだ一種の奇形であろう。

この大量消費生活への見直しは電力だけではない。食料自給率の低さが問題になったことがあったが、以降年間2000万トンを超していた廃棄食品はどんどん少なくなった。あるいは10数年前であればいち早くトレンドとなったファッション商品を手に入れたいと、季節ごとに購入していた。が、収入が減り続ける時代にあっては、オシャレにお金を使うことができなくなった。勿論、オシャレごころが無くなった訳ではなく、買うのならばネットで一番安く買うか、あるいはアウトレットで買う、あるいは着こなし着回しで間に合わせるといった具合だ。
このような時代環境の変化に伴い、その都度問題が指摘され自覚もし、その先にどんな生活を思い描くかである。3.11は大量消費という一つの時代を終わらせた。

それではどんな生活を思い描くのか、既に行動を起こしている人達がいる。それは被災地東北、特に福島という原発事故に遭った家族の行動のなかに現れてきている。政府、というより現場を把握している自治体自身も被災していることから正確な情報は発表されていないが、かなりの家族が他府県へと避難している。3月末時点ではNHKによれば3万4000名弱と報道されていたと思うが、その後の原発汚染の実態が明確になるに従い避難家族は増大していることは間違いない。
そして、通常であれば親戚縁者を通じた避難であるが、今や各道府県には避難受け入れのサイトがあり、それら情報を踏まえた避難である。更に、Yahoo知恵袋のように個人での避難家族受入れサイトも無数にあり、かなりの家族が避難している。しかも、仕事それ自体も避難先で見つけ、新たな出発をする家族もいる。こうした家族も、福島新館村のように再び故郷に戻る計画で避難する家族もいる。共通していることは、0というよりマイナスからの人生スタートであり、その生活原点を見つめての結果である。

多くの情報を踏まえた訳ではないが、その生活原点こそ3.11以降の新しいパラダイムである。そのパラダイムを情緒的に表現すると、

・自然に寄り添い、四季の変化を五感で楽しむ生活
・愛する家族と信頼できるコミュニティのなかの生活
・仕事の場が近くにあり、ごく普通の生活
・そして、明日は今日より少しだけ良くなると希望が持てる生活

一昔前のどこにであった日本の家庭、家族の在り方、暮らしの風景がこの生活原点である。東京には既に無くなってしまったが、地方には今なお残っている生活である。多くの避難家族が報道されていたが、そのなかに沖縄に移住した家族は岩手三陸の漁師を辞めて沖縄の水族館の職員へと転職した家族であった。印象に残った避難家族には京都に移住した家族もあった。沖縄も、京都も、それぞれ固有の自然・生活環境があり、コミュニティの在り方も異なる。しかし、昭和の時代を過ごした私にとって、地方にはこうした生活原点が残っており、新しいライフスタイルの芽として育っていくものと考えている。削ぎ落としてもなお残る、残したい生活である。そうした意味で、前回のブログの最後にLOHAS的生活へとパラダイムが変わると書いた。

そのLOHASは、たしか2000年頃に新聞各社で新しいライフスタイルが米国で生まれたと報じられ、翌2001年にLOHAS運動の概要が雑誌などで取り上げられ注目された。そのLOHASが尻すぼみ状態になって失敗したのも、ロハスブランド、商標としてのライセンスビジネスとして展開し始めたことによる。多くの批判にさらされ商標の使用をオープンにして今日に至っている。私がLOHASに注目したのも、スタンフォード大学でMBAを取得したビジネスマンが中心となって、自ら創り上げてきた米国文明への批判・見直しから生まれてきた点にあった。
そして、このLOHASの良き事例として私が取り上げてきたのが京都であった。例えば、「始末(しまつ)」ということばがあるが、単なる節約を超えて、モノを最後まで使い切ることであり、その裏側にはいただいたモノへの感謝、自然への感謝の気持ちが込められている。そして、「始末」には創意工夫・知恵そのもでもある。誰でもが知っている、京都の食に「にしんそば」や「鯖寿司」があるが、内陸である京都が生み出した美味しくいただく生活の知恵・文化である。もう一つ素晴らしいのが、季節、祭事、といった生活カレンダー(旧暦)に沿った暮らし方をしており、「ハレ」と「ケ」というメリハリのある生活を楽しんでいる点にある。京都をLOHASの代表としたが、こうした風土に沿った固有の文化ある暮らしは地方を歩けばいくらでもある。3.11はこのことを再び気づかせ、自覚へと向かわせている。LOHASが米国文明への批判・見直しから生まれたように、日本もまた原発を頂点とした文明への見直しが始まったということである。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月19日 (日)

パラダイム転換が始まる(1)

ヒット商品応援団日記No509(毎週更新)   2011.6.19.

今年の「父の日」は6月19日であるが、通年はあまり活発な消費は見せないが、今年の母の日ほどではないにしろある程度は動くであろう。これも大震災の影響を受けた消費傾向の一つであるが、人と人との関係を見つめ直す、特に家族との関係を自ら再認識する一つのきっかけとなる記念日市場である。
本来記念日は個人的なものであるが、無縁社会という言葉が流行語になるように関係を失ったバラバラ社会にあっては、こうした創られた「きっかけ」であっても大きな市場機会となる。

大震災をテーマにブログを3ヶ月ほど書いてきたが、少し整理してキーワード化すると以下のようになる。

○奪われた家族・故郷、絆、コミュニティ、自治、
○がれきのなかの記憶と思い出、
○喪失と再生、子ども、生命力、
○公助なき共助、ボランティア、ツイッター、ネットワーク、国内外からの支援、、
○自然への畏敬と感謝、今なお残る自然思想、海に戻る、
○想定外という人災、安全神話の崩壊、科学者であることの恥、
○放射性物質汚染、無計画停電、自己防衛、内なる安全基準、
○情報隠蔽による風評汚染、嘘の蔓延、ダーティジャパン、海外客激減、
○炉心だけでなくメルトダウンする言葉、安全デマ、
○ライフスタイル変化、節電、省エネ、脱原発、自然エネルギー、
○幸せって何!、日本って・・・、

少し前にライフスタイルの変化が始まったとブログに書いた。それはあの3.11の押し寄せる大津波の衝撃的な映像によって、奪われる家族・故郷、そこに人と人との絆の大切さを思い起こさせた。それはまた、がれきのなかの記憶と思い出探しの映像は象徴的であった。以前ブログにも書いたが、3年前に話題となった作家天童荒太が描いた「悼む人」そのものである。
こうした一人ひとりの人生を思い浮かべ、記憶を辿る。無縁社会にあって、近しい人との関係の大切さへと向かい、若いカップル世代であればその徴(しるし)としてのリングの交換や婚約といった道筋まで進んだ。消費という側面を見れば、この延長線上に「母の日ギフト」もあり、父の日ギフトもある。創られたギフト市場ではあるが、これも一つの「縁日」と呼べるものだ。今後もこうした有縁を結ぶ出来事や商品あるいは場が注目される。

福島原発事故に対する自己防衛というキーワードを3.11直後から使い多くの現象を解き明かしてきたが、マスメディアはあまり取り上げないが急激に多様な市場として生起している。
その第一は福島県を中心とした子を持つお母さん達の行動であった。勿論、放射能汚染に対する不安、恐怖に対するもので、関西方面や九州、沖縄へと避難する人が後を絶たない情況だ。3月の時点では政府も原子力の専門家も安全ですと繰り返しアナウンスしてきたが、その安全の「不確かさ」によって不安、恐怖が更に増幅させてしまった。しかも、3.11以降、時間を追うごとに事態の深刻さ、それを表す情報が小出しにアナウンスされるようになった。3月時点ではチェルノブイリと比較すること自体がおかしいと専門家やマスメディア、特に大手新聞はは口を揃えて言ってきたが、最近の政府からのアナウンスメントではまき散らされた放射性物質は77京ベクレルであったという。悲しいことだが、政府のことは信じず、放射線量を計る機器を個人で、お母さん仲間で購入し、自宅や周辺の公園等子が遊ぶ場所を自ら計る行動にまで至った。放射性物質だけでなく、安全デマまでもがまき散らされたということだ。

昨日、仏政府は空輸された静岡県産の茶葉から基準値以上のセシウムが検出され廃棄処分にしたと発表した。国内においても既に汚染問題として発表されているが、静岡県知事は飲用する場合は放射能も薄まるので問題ないとコメントしてきたが、世界の基準・常識ではそんなことはありえないということだ。静岡県産の茶葉の汚染は取り扱っている食材宅配会社「らでぃっしゅぼ〜や」の自主検査によって検出されたものである。しかも、静岡県はその発表を遅らせたと聞いている。
私は自主検査によって基準値以上の放射性物質が検出され公表した神奈川の足柄茶に対し、その考えと行動を高く評価した。それは汚染米事件で風評により倒産寸前まで追い込まれた焼酎宝山が全てを廃棄処分まで行し、公開したその経営ポリシーを高く評価するものであった。神奈川の足柄茶も同様である。誰を信じ、誰に本当の情報を公開するのか、そのことを顧客は、消費者はしっかりと見ているということである。しかし、静岡県知事は福島原発事故の政府の公開性と同じように、誰に対して「問題なし」「安全である」と言っているのか。福島県民、農畜産業、水産業、各種の工場、商店、・・・・住民全てが苦しんでいる課題は静岡県も同様であるとの認識を持たなければならない。

自己防衛とは不信の時代のことである。信じられるもの、それは自らの体験と近しい人だけである。政府も、政治家も、原子力発電も、そして大手マスメディアも、全て「遠い存在」としてある。一年前まで、クリーンエネルギーであると、地球温暖化への切り札であると、エネルギー政策を掲げてきた政府は福島原発事故から一転して再生可能な自然エネルギーへの転換を言葉だけで言う。私は原発推進論者ではないが、嫌な話であるが電力需要が供給をオーバーし大規模停電が置きた時、またもや一転して原発推進政策へと舵を取る。そんなことがころころと変わり得る政府であると不信の目が注がれている。あるいは、マスメディアもそうした政府を擁護するかのような報道を続けてきた。しかし、福島の一部のお母さん達が多くの非難をされるなかで汚染された校庭の土の除去を求めた。この行動は放射能に対するモンスターペアレントというレッテルを貼ったのは教育委員会を始めとした学校関係者であった。そうした事実を知りながら大手マスメディアは一切報じることはなかった。しかし、汚染が深刻であることが徐々に分かるに従って、ホットスポット住民への支援策を、政府も、自治体も、マスメディアも、汚染のモニタリングを実行し、報じ始めた。汚染から3ヶ月も経ってからである。

こうした不信ばかりに取り囲まれた時代にあればこそ、自らを信じ行動する生活者が多数を占めてくる。そして、そうした行動を取ることによって、より価値観は明確になっていく。今回の原発事故によってどんな価値観が生まれてきているか、文明史的な考察が必要となるが、人の手によって作られた、しかし人の手によって制御できない「人工」への忌避感が生まれている。現在は、放射能汚染への不安や恐怖であるが、次第に反人工的世界へと、つまりより自然を取り入れた、自然に囲まれた、少々不便さを感じたり、快適さが失われても、人工的生活を少なくしたい、そんな実感体験してきたライフスタイルへと移行する。これは後戻り、20年前、30年前の生活に戻るということではない。ある意味、LOHAS的生活であるが、10年程前の失敗したLOHASの教訓を踏まえたライフスタイルに向かうであろう。後半ではそのライフスタイルについて書いてみたい。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

小さなブータン国に学ぶ 

ヒット商品応援団日記No508(毎週更新)   2011.6.11.

人間がもつ多くの欲求を5段階に整理し、各段階が適度に満たされていくと、より高次な欲求へと発展していくとした「マズローの法則」がある。マーケティングや広告を志望する人であれば若い頃必ず使ったことのある法則で、どの欲求をどのように動機づけたら良いのかといったテーマで使われてきた。

①生理的欲求(食欲・睡眠・性欲)
②安全性欲求(住居・衣服・貯金)
③社会的欲求(友情・協同・人間関係)
④自我の欲求(他人からの尊敬・評価・表現欲)
⑤自己実現欲求(潜在能力の開花)

1970年代当時は①→②→③→④→⑤へと「豊かさ」は発展・進化していくと説明されてきたのだが、現実はそれほど単純なものとして進んでは行かない。但し、あくまでも一つの整理軸として、そのように使えば今も使えるものとしてある。

何故、こんな古い物差しを持ち出したかというと、前回のブログで小国ブータンを例に挙げて国民総幸福量(GNH)という新しい価値概念にふれたからである。物質的豊かさから一旦離れ、他人の喜びを我が喜びにする、そんな幸福世界を可能とするコミュニティ欲求、自治欲求、といった国づくり欲求の世界である。
私の場合、東日本大震災を通じこうした世界を感じ取ったのだが、上記の整理を踏まえると被災地には数日間から数週間にわたり、①生理的欲求②安全性欲求という生きる為の基本的な欲求を満たすことが全くできなくなってしまった。あるのは③社会的欲求と④自我の欲求(⑤も含まれるかもしれない)、それら欲求の発露である姿を、人は宮沢賢治の言葉を借りて東北人の底力と言い、ある人は失ってしまった日本人のこころ、故郷がまだ残っていたと語られた。

恐らく①から⑤の先に未だ明確ではないが⑥を見出す方向に向かっているということであろう。東北3県の復興についても新しい価値観、新たな視座が求められている感がする。
数週間程前の震災に関するニュースであったが、岩手三陸の牡蠣養殖復興のためのファンドが生まれたという。若い世代の流出が続くなかで、働く場を早くつくる為の資金づくりである。ツイッターのつぶやきから生まれたファンドと言われているが、1口1万円の「支援オーナー制度」ということである。これは緊急支援であり、義援金的であるが、長野県飯田市で3年前にスタートした太陽光発電事業の「おひさまファンド」(http://www.ohisama-fund.jp/)という市民ファンドのような仕組みとしてビジネスとして成長されたらと思う。

今回の大震災で驚かされたのは、地域の生活者と共に、いかに地域を思い、現場で必死になって復旧の指揮を執っている地方自治体の首長が多かったことだ。南相馬の桜井市長を始め、陸前高田市、南三陸町、福島飯舘村、・・・・・恐らくマスメディアの報道に載ってはいない賢明なリーダーシップを持った町長、村長が多く活動されていると思う。
そして、大震災の教訓として、政治、経済などの分散化が指摘され、その文脈のなかで地方分権が語られている。が、復興計画こそこうした被災地の首長の手によって行われるべきであろう。そして、まず権限と予算を渡すことだ。例えば、2500億円を超える義援金の支給についても、公平性と迅速性という理想に近づけることに議論がさかれているが、一定のガイドラインを決めたら後は自治体の首長にまかせたら良い。岩手、宮城、福島の各知事の意見の違いが伝えられるが、そんなことは地域の実情は異なっており、至極当然のことだ。使い道は被災者のことを一番理解している現場の首長に任せることである。

大震災後、3ヶ月経ってやっと復興基本法案が国会に提案された。政治の無能、無責任、ていたらくさについてはこれ以上言う気はないが、政治を無視した経済、その結果である消費はあり得ない。ところで、日本とブータンを比較してみるとわかるが、震災3県がいかに大きな経済力をもっているかが分かる。(http://ecodb.net/exec/trans_weo.php?d=NGDPD&s=1980&e=2011&c1=BT&c2=JP)と同時に、小国ブータンの成長には目を見張るものがある。ブータンというと、何か縮小しているような感覚にとらわれるが、着実に成長していることが分かる。
復興基本法案の一つに税制支援を踏まえた「特区構想」がある。勿論、独立国家とまでは言えないが、国民総幸福量という視座も構想の一つになりえると思う。もう一つの国づくりを東北で行うということである。つまり、東北3県に無数の小さなブータン国が生まれるということだ。

そして、消費はどのように変わるであろうか。従来の消費は、大量生産、大量販売、大量消費であり、理屈として飛躍するがその象徴が原子力発電であった。今後は生産も、販売も、消費も身の丈サイズになる。別のキーワードで表現するとすれば、「ロングライフ志向」といった価値観となる。永く使い続けたい、愛着が湧く、馴染んだ感じ、どこかほっとする、最初購入する時はチョット高いが、永く使えば結果としてお得、そんな価値世界である。このことは決して市場が縮小することではない。量から質への転換が始まったと理解すべきである。
次々と新製品や新規店のオープンといった変化情報(=刺激)が押し寄せるなかで、それでもなお使い続けたい、食べ続けたい、住み続けたい、とする価値観である。こうした消費の潮流は以前からあったが、これからは本格化する。復興を目指す東北3県はこうした都市消費を踏まえた生産と共に、それこそ小さなブータン国として都市生活者と永いつきあい関係を結ばれることを願いたい。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月30日 (水)

3.11 大きくライフスタイルを変えた日 

ヒット商品応援団日記No492(毎週更新)   2011.3.30.

東日本大震災から20日が経過した。今なお助けることが出来ていない多くの行方不明者がいるが、復旧から復興へと専門家を始め語り始めた。私の専門分野は「消費」である。消費という人間がもつ一つの欲望の変化のさまを分析するのが仕事である。明後日には4月となり、月末には百貨店協会から3月の地区別、商品別の売上が発表される。勿論、スーパーもチェーンストア協会から同様の発表があるが、今後の消費動向、ひいては日本経済のゆくえを見ていく上で極めて重要な指標となる。それは次の理由からである。

1)日本のGDPの60%弱を占める個人消費のゆくえ、特に首都圏のゆくえは日本経済に多大な影響を及ぼす。
2)消費市場は心理化されており、福島原発事故の影響は極めて大きく、私の言葉でいうと「冬眠生活」、自己防衛的、自己抑制的生活へと向かっている。この原発事故が仮にすぐさま収束に向かったとしても、心理の奥底には拭いきれない放射能汚染への恐怖が残る。(中国冷凍餃子事件の後遺症も大きかったが、その比ではない)
3)東電による計画停電は流通・サービス業にとって消費を確保出来ない致命傷となる。現在は被災地のことを考え、節電や営業時間の短縮や時間帯変更など、「停電マニュアル」に沿って実施されているが、夏場には再度計画停電が予測されており、つまり電力不安が解消されずに長期にわたる場合は、閉店や撤退、ひいては雇用不安などが生まれる。そして、既にその兆候は出ている。
4)消費とは直接関与しないが、今回の大震災によってトヨタやホンダが操業中止になったように東北には多くの優秀な部品製造工場がある。こうした工場の再開が急がれるが、被災地の復興計画というグランドデザインにもよるが、場合によっては東南アジアなど海外へと工場移転をしていく企業も出てくる。あるいは阪神淡路大震災後の競争力を失った履物製造業のように、廃業してゆく産業もでてくる。

こうした背景から参考となる指標を上げておくこととする。まず最初の指標はリーマンショック後の日本経済である。まだ、その実感は残っていると思うが、「派遣切り」といった流行語になるような失業という問題が起こる。消費においてはデフレが加速し、250円弁当に注目が集まり、日経MJのヒット商品番付にもやしやひき肉が入ったことは記憶に新しい。

・2008年10−12月 ▲13.5%(実質GDP)
・2009年1ー3月  ▲14.2%(実質GDP)
・2009年4ー6月  6,9%(実質GDP)
・2009年7ー9月  0.4%(実質GDP)
・2009年10ー12月 4.6%(実質GDP)
・2010年1ー3月  5.0%(実質GDP)
出所:内閣府

このリーマンショックの翌年、2009年の消費はどうであったか思い起こして欲しい。ちなみに日経MJのヒット商品番付けは以下であった。
東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター
東西前頭 アタックNeo、ドラクエ9、ファストファッション、フィッツ、韓国旅行、仏像、新型インフル対策グッズ、ウーノ フォグバー、お弁当、THIS IS IT、戦国BASARA、ランニング&サイクリング、PEN E-P1、ザ・ビートルズリマスター盤CD、ベイブレード、ダウニー、山崎豊子、1Q84、ポメラ、けいおん!、シニア・ビューティ、蒸気レスIH炊飯器、粉もん、ハイボール、sweet、LABII日本総本店、い・ろ・は・す、ノート、
そして、以下のような分析の要約をブログに書いた。
1、「過去」へ、失われた何かと新しさを求めて
2、「エコ」は生活そのもの、持続する新しい合理的ライフスタイルへ
3、「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える
そして、まとめのコメントとして『私は数年前から消費は好みといった厳選から量や回数を減らす減選へ、便利さからセルフ方式へとゆるやかに移行してきたと指摘してきた。生活仕分けという俯瞰的視点に立ったキーワードであれば、まさに「省」の時代に入ったということだ。今年の流行語大賞は「政権交代」であったが、消費も「便利さ」から「省」へと交代したと言うことである。』と。

推測に過ぎないが、既に2011年4−6月のGDPが二桁台のマイナス成長になると言われている。つまり、リーマンショック後半年間のような景気になるであろうということである。少し古いデータで申し訳ないが、今回被災した県や影響を直接受けた都道府県のGDPは以下の通りである。(2006年度)
東京/92.3兆円、宮城/8.5兆円、青森/4.5兆円、岩手/4.5兆円、福島/7.9兆円,
地域を計画停電の範囲に広げ、首都圏や茨城、栃木、群馬などを入れれば優に200兆円を超すGDPとなる。つまり、日本の半分が直接・間接大震災の被災影響を受けているということである。つまり、大震災を直接・間接受けた地域のこれからの変化が日本のこれからの政策方針となり、個人においてもライフスタイルモデルとして生活のなかに取り入れていくこととなる。

リーマンショック以降、停滞していた経済、消費にも明るさが出てきたことはブログにも書いた。そして、数日前には日本百貨店協会から2月度の売上が発表された。東京地区の2月の売上高は約1081億円(前年同期比1.7%増)で、2か月連続のプラスとなった。主要5品目では、衣料品が4か月ぶり、身のまわり品が3か月連続、雑貨が2か月連続、家庭用品が6か月連続のプラス。マイナスは食料品が0.1%の微減となった。
また、紳士服・洋品が5か月連続、化粧品と家電が2か月連続、その他家庭用品が8か月連続、婦人服・洋品と菓子が3か月ぶり、美術・宝飾・貴金属が2か月ぶり、家具が4か月ぶりのプラスとなった。
つまり、衣料品も動き始め、紳士服といったお父さんにもやっとお金が回るように、少しだけ消費に明るさ、ゆとりが戻ってきたということである。しかし、一挙に消費は落ち込むことになる。おそらく誰もが暗澹たる思いで見つめる数字になる。

約1ヶ月後、その結果がでるが、単なる百貨店やスーパーの売上が落ちたということではない。消費というより、ライフスタイルそのものが変わる、その根底にある生活価値観が大きく変わるということである。
前回のブログで大震災を感じ取った徴(しるし)があると書いた。その時の表現として「戦後世代である私が言う言葉ではないが、何か両親が語っていた戦時中の生活のような感がする」と。この表現には何ヶ月とか、3年間とか、そんな時間単位ではない。道路の復旧とか、ライフラインが戻ったとか、スーパーの棚に再び商品が並んだ、そうしたことでもない。戦後の復興と同じように、大きな価値観の転換が一人ひとり問われているということである。その転換の一つが原子力発電、そのエネルギー政策についてであろう。快適で、便利で、そうした豊かさを、安いコストで享受することができたのが電力、とりわけ原子力発電である。しかし、一旦事故となるとクリーンエネルギーは放射能汚染を起こし、復旧には多大なコストと時間がかかる。当事者である東電に対し、国がエネルギー政策として原子力発電を推進してきたという責任を含め、これから行われるであろう補償費用に対応するための資本注入を国が引き受けると言われている。直接被害を受けた出荷禁止の農畜産生産者や汚染地域内で休業せざるを得ない工場や商店などの休業補償、更には、風評被害や計画停電による損失補償といった二次被害を含めたとすると、東電の売上規模を大きく上回るような補償費用となる。当事者である東電以外に国が関与するとなればそれは税金でまかなうこととなり、間接的に国民が負担することとなる。

おそらくこうした論議が一般生活現場のところで行われることとなる。もっと小さな単位の自然エネルギー政策、エコロジカルな生活、多少不便さを甘受するような生活を志向すべきか。あるいは快適で便利な生活はやはり必要であるとし多大なコストもやむを得ないとするのか。少し短絡的表現となるが、こうした価値観が論議されてゆく。勿論、この答えを出すとは二者択一といったことではなく、アイディアを含め極めて多くの時間を必要とするということである。そして、ライフスタイルが変わり、結果今までとは全く異なる商品が売れ、今まで使ってきた商品は全く売れないようになる。今まで概念として言われてきたパラダイムチェンジ(価値観転換)が具体的消費を通じ表現されてゆく。つまり、過去の延長線上にはなく、生活経営という視点に立てば、全くの0(ゼロ)から創り上げてゆくということになる。そして、5年後、10年後、3.11は大きな転換点であったと言われるであろう。このブログもそうした視座をもって書いていくつもりである。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

新しい価値観を求めて 

ヒット商品応援団日記No477(毎週更新)   2010.12.27.

例年であると2011年の予測コメントをブログに書いてきた。来年の経済予測について、日経ビジネス、週刊東洋経済、週刊ダイヤモンドといった経済誌を読んだが、今年は特にそうであるが、ピンとくる記事はなかった。予測は当たらないというのが私の持論ではあるが、各業界の動向についてはそれなりの変化予測はあるものの、生活者変化、生活価値観について特筆すべき何かを書いたものはほとんど見当たらなかった。

今年の年末年始も、昨年同様巣ごもり生活という内向きなものになる。百貨店の福袋は既に販売されており、単に時期が早まったと言うことではなく、従来のバーゲンのバリエーションの一つとなった。福を招き入れるのではなく、お気に入りを安く手に入れるセールである。こうした大人世代だけでなく、若いティーン世代も同様である。ティーンの聖地である渋谷109の初売り「5daysバーゲン」には全国からオシャレ好きが集まり行列をつくるが、数年前から福袋購入後、109の周辺路上には「交換市」が自然発生的に開かれる。お気に入りファッションを互いに交換し、とにかく安く確実に手に入れるといった正月風景が繰り返されて来た。こうした消費心理は年代の区別なく広く浸透してきた。そんな風景を安定したデフレ風景と私は呼んだが、まだまだ続くと誰もが感じている。

今年の社会に敷衍した心理の一つに「パワースポット」がある。全国各地の神社を始めとした「いわれ」を感じたい、そんな世代を超えた人達が訪れた社会現象である。これも1990年代後半から発生した「占いブーム」と根幹は同じである。全てが不確かである時代の特徴で、やはり1990年代初頭のバブル崩壊、特に収入が下がり始めた1998年以降の不安の時代、俗にいうところの失われた20年の時代特徴である。「今」を変えたい、「何か」を突破したい、とした「力(パワー)」願望時代ということだ。

このことは過去回帰、歴史回帰にも良く出て来ている。人は「今」に行き詰まり、未来を思い描くことが出来ない時、力を求めて浮遊する。一昨年の「歴女ブーム」のように、逆境に立ち向かう悲運の人物として真田幸村が一番の人気であったことにもよく表れている。全てが不確かな時代に立ち向かうにはどうしたら良いのか、歴史上の人物に学ぼう、力はどうしたら生まれるのか学ぼうということである。今年売れない書籍、ビジネス書にあって、200万部を越えた「もしドラ」も同じような意味であろう。
未来は不確実であり、確かめようのない世界である。少しでもそうした不安心理を払拭するために、未来へとつながるであろう「過去」に遡り、学ぶということである。過去から学ぶということは未来を描き・展望するということだ。

こうした回帰現象は既に10年ほど前から始まっており、1年半前に私は「過去のなかの未来」というタイトルでこのブログに書いた。

『個人化が進行していくと、情報源であれ、体験であれ、全てが個人単位となる。個人単位の世界を広げるために、SNSといったネットワークや地域&クラブコミュニティに参加し、少しでも判断視野を広げようとしてきた。しかし、そうしたある意味興味関心領域の横への広がりと共に縦への遡及が始まっている。
昭和の時代ぐらいまでは「家」という社会単位で受け継がれてきた常識、やり方や方法に基づいて日常行動や消費が行われてきた。今、そうした過去の常識、例えば「家庭の味」とか「しきたり」「慣習」といったことへの遡及&見直しが始まっている。つまり、自分の中に、いつの間にか横から得た情報によって「作られてしまった」常識を見直してみようという気づきである。』

これが多くの回帰現象の本質である。過去に戻り、何を捨て、何を継続して継承するのか、個人単位での検証が始まっているということだ。そうした個人検証の入り口にあるのが「思い出」である。夥しい思い出消費現象を見ていくと分かるが、これも若い世代・シニアといった年代による違いはない。

前回断捨離について書いたが、新たな価値観を探る動きが出てきている。ここ10数年、「キョロキョロ消費」を続けてきたが、巣ごもりという熟成時間を経て出てきた一つがニュー・シンプルライフだ。まだ読んでいないのでうかつなことは言えないが、日本の禅文化に魅せられフランス人に伝える目的で書かれた「シンプルに生きる(原書/シンプル主義)」(著者ドミニック・ローホー、幻冬舎刊)が話題になることもなく24万部ほど売れている。フランスでは50万部ほど売れたベストセラーとのことだが、足下に埋もれた日本文化にやっと日本人も気づき始めたということであろうか。私のブログを読んでいただくと分かるが、単なるブームに終わらせてしまったLOHASに関連して次のように4年半ほど前に指摘をしていた。

『LOHASが今なお最も生活現場に色濃く残っているのが京都である。「始末(しまつ)」ということばがあるが、単なる節約を超えて、モノを最後まで使い切ることであり、その裏側にはいただいたモノへの感謝、自然への感謝の気持ちが込められている。そして、「始末」には創意工夫・知恵そのもでもある。誰でもが知っている、「にしんそば」も「鯖寿司」も、内陸である京都が生み出した美味しくいただく生活の知恵・文化である。もう一つ素晴らしいのが、季節、祭事、といった生活カレンダー(旧暦)に沿った暮らし方をしており、「ハレ」と「ケ」というメリハリのある生活を楽しんでいる点にある。京都をLOHASの代表としたが、こうした風土に沿った固有の文化ある暮らしは地方を歩けばいくらでもある。好きな沖縄には、今なお沖縄らしさが残っている糸満では、漁師料理である「バクダン」があり、鳥取米子には鯖のぬかずけ「へしこ」がある。・・・・・・・・・・・・地方には京都でいう「始末」という知恵ある生活文化があり、ロハスクラブは「ソトコト」を通じて、宝の知恵を集め公開することに再シフトしなければならないと思う。「地方」が困っているのは、今ある商品へのもう一工夫、都市生活者へのプレゼンテーションが分からないだけである。』

10数年もの間閉塞した時代が続くが、良く言われる「モノの豊かさから心の豊かさ」という言葉も単なる表層をなぞるだけのものから、やっと一歩踏み出そうとしている。過剰なモノを削ぎ落とし、それでもなお残るモノとの生活を楽しむ質的転換が始まったということである。「シンプルに生きる」ではないが、禅語にある「無一物中無尽蔵」という言葉を思い起こす。何一つないところに、すべてのものが蔵(かく)されているという意味で、道元禅師は生きていくのに最小限のものがあればいい、「放てば手に満てり」と教えてくれている。
四十年ほどマーケティングを仕事としてきたが、過剰のなかに不足を見出すというマーケティングの原点に、今一度立ち戻ろうと思っている。
途中更新が途絶えたこともありましたが、にもかかわらずこの1年アクセスしていただき本当にありがとうございました。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月12日 (水)

ライフスタイル変化の今 

ヒット商品応援団日記No466(毎週2回更新)  2010.5.12.

この10年ほどの間に多くの消費キーワードがメディアを通じ流布されてきた。それらキーワードはライフスタイルという価値観のもとで、商品というモノとして生活へと取り入れられてきた。世相を反映したものとしては新語・流行語大賞を見ていけばその変化の有り様が分かるが、消費となるとまた異なるものとなる。ただ、新語・流行語大賞と共通する傾向としては、翌年には死語大賞になる、つまり「あっという間に終わる」速さであろう。消費の世界では、プロダクトサイクルが極端に短くなったと言われていることと同様である。

ライフスタイルを文字通りリードしてきたのが百貨店であった。1980年代始めの頃であったと思うが、西武百貨店が「おいしい生活」という広告キャンペーンを展開し、話題になったことがあった。糸井重里氏によるコピーであるが、「おいしいことに理由はいらない。好きか嫌いかがテーマ」だとする、つまりマス市場を構成する中流層がモノ消費の舞台の中心にあることを前提とした広告キャンペーンであった。ある意味、生活者はモノの豊かさ、おいしい生活を求め百貨店へと足を運んだ。こうした百貨店という業態が右肩上がりに成長していく市場情況とパラレルな関係であった。つまり、百貨店がライフスタイル創造のリード役、シンボル的役割を果たしていた。

1990年代の初頭、バブルの崩壊によってそれまでのライフスタイルの根底にあった多くの価値観(及び中流意識)が崩壊する。いわゆる不動産神話を入り口に、大企業神話、金融神話、終身雇用神話、といった神話崩壊と共に、国内における産業の空洞化、グローバル経済化が始まり、1998年以降収入も減少へと向かう。消費現場ではユニクロを筆頭に「デフレの旗手」が表舞台へと上がっていく。こうした傾向と共に、「違い」を求めた個性を売り物とした専門店群も出現する。この時代のライフスタイルをリードした流通はこうした多様な専門店を編集したSC(ショッピングセンター)であった。より独自な専門領域に特化したライフスタイル提案を行う。しかし、かたわらに神話崩壊による不安を抱えながらの「個性生活」、「上質な生活」がキーワードであった。

さて、これからが本題であるが、2000年代に入り、次のような2つの価値軸の間を振り子のように消費は振れてきた。勿論、過剰な情報の時代であり、その多くは断片情報であることから、振り子はキレイに弧を描くことは無い。ある時はいきなり反対へと振れ、ある時は小さく行きつ戻りつする。

・アーバンライフ(都市)とローカルライフ(田舎)
・ファストフード(ファッション)とスローフード(ファッション)
・エンターテイメント(リゾート)とナチュラル(リゾート)
・ヘルシー系とガツン系
・プロサービスとセルフサービス
・高機能と単機能
・個人単位と家族単位
・所有と使用

大きく言えば、過去と今、和と洋、情報(ヴァーチャル)と体験(リアル)、外向きと内向き、フローとストック、こうした多種多様な「変数」が消費のゆくえを決めている。

これだけの変数があると「正解」を見出すのは極めて困難である。しかも、周りばかりを見るキョロキョロ消費、情報に過剰反応する消費もあれば、そうした消費を冷ややかに見る我が道消費も出てきている。
ただ、こうした変数に囲まれながらも、家計(財布)という経済を考えると自ずと選択肢が狭まり、その範囲内での変数を考えることとなる。例えば、外食の頻度を減らし内食への転換であるが、ご飯を美味しく食べるために高機能な炊飯器は高くても購入する。この延長線上には、お弁当族に対し、5月末には炊きたての炊飯機能付き弁当箱も売り出されると聞いている。長い目で見れば、結果お得で豊かさを享受できるということである。

数年前、スローフード、スローライフが田舎暮らしとして注目されたが、いまやそんな経済的ゆとりはないと、そうしたスローライフ的ゆとりは影を潜めたように見える。しかし、スピード一辺倒の時代にあって、ひととき心和ませてくれているのが植村花菜さんが歌う「トイレの神様」である。亡きおばあちゃんと自身の思い出を歌った曲であるが、時間は通常の曲の倍以上の9分52秒である。全てが圧縮される時代に逆行するようなスローな曲である。あるいは、地方の村起こし、町起こしのB級グルメも新しい郷土料理であり、かたちを変えたスローフード、地産地消のメニューである。更にはファストファッションが今を映し出すトレンドとなり多数を占める中で、同じような低価格帯で買うことが出来る「森ガール」のようなナチュラルテイストのファッションも生まれてきている。これら価格という一つの時代要請を踏まえた、選択肢の範囲内での商品MDである。

つまり、財布のなかでの選択肢という狭まれたなかで、かたちを変えて消費の移動が起きている、あるいは「森ガール」のような隙き間市場も生まれている。わけあり商品も、代替消費も、あるいは何々をしたつもり消費も、全て狭まれたなかでの消費移動や新たな消費創出ということである。昨年特徴的な消費傾向であったのが、歴史・過去回帰とエコはお得とした新合理主義的なものであった。
その良き事例が既に出始めている。低迷する百貨店のお中元ギフトが既に始まっている。三越、高島屋のお中元テーマはエコ・ギフトである。有機野菜の詰め合わせセットなどが代表的ギフト商品となっているが、その中には懐かしい夏の風鈴なども入っており、一つの消費傾向は踏まえていると思う。ただ、想定されるギフト単価が昨年度とほぼ同じ5000円台と聞くと、今ひとつ「お得感」が乏しく、大きな消費移動を起こさせるようなヒットにはならないと思う。

ライフスタイル変化としては、「おいしい生活」から「上質な生活」を経て、今「お得生活」が広がっている。つまり、「お得」であることへの知恵や工夫、アイディアが求められているということだ。消費の変数それぞれに「お得」であるかを加えて検討してみるということである。その「お得」は経済ばかりでなく、時間や便利さといったお得もある。その「お得」がどんな消費の移動を起こさせるものなのか、新たな隙き間市場として創造できるものなのか、マーケティングのストーリーを考えてみることだ。そして、安心、安全という不安が一掃された前提で、そうした中から小さなヒット商品が生まれる。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 4日 (日)

Reという発想の転換

ヒット商品応援団日記No455(毎週2回更新)  2010.4.4.

ここ数ヶ月、私のブログにアクセスするキーワードで一番多いのが「未来予測」についてである。未来はわからないということの証左であるが、前回書いた「シニア市場/再び、シニア市場に着眼」についても同様で、わからなかったら原則・基本に立ち帰ることだ。5〜6年ほど前、団塊世代の第二の人生市場について多くのマーケッターが語っており、私も何回かブログに書いてきた。当時論議されていたように、シニア市場は健在である。

先日、はとバスが企画した「昭和の懐メロツアー」に人気が集まり、30分でチケットが完売したと報じられた。過去回帰、歴史回帰は大きな潮流となっていることはこのブログでも指摘してきたが、今昭和歌謡がカラオケを始めシニア世代で大きなブームとなっている。この企画は1日限定であったが、顧客からの強い要請で定期メニューとなった。このはとバスは1990年代後半債務超過で破綻寸前であった会社である。この窮地を救ったのが以前ブログにも書いた宮端社長であったが、この時行ったのが、顧客の本音を聞くということであった。この昭和の懐メロツアーが定期メニューとなったことは、この顧客に聞くという「企業文化」が根付き、継承されているということだ。
話が横道にそれてしまったが、数年前も今もシニア市場だけは元気である。マスコミは注目しないが、このことが基本であることは言うまでもないことだ。

さてその顧客の消費であるが、私が一つの指標としてきた東京ディズニーリゾートの2009年度の来場者数の発表があった。25周年記念を行った2008年度と比較し5.2%減とのこと。しかし、これは昨年度に次ぐ二番目に高い来場者数であり、この巣ごもり消費という不況下しかも新型インフルエンザの流行にも関わらず、りリピーターは足を運んだということだ。
また、この発表に続きJTBからゴールデンウイーク期間の旅行動向の予測が発表された。海外旅行は2009年と比較し4.3%増の50.8万人。そして、欧州方面は6.3%増、上海万博もあって中国方面は12.%増。国内旅行は0.9%増の2150万人の見通しであると発表があった。ここ2年ほどの安近短という旅行傾向から少しづつ以前の旅行へと復調し始めたということだ。

深刻な状態を続けてきた百貨店売上も2月度は前年比5.4%減と昨年11月までの二桁減少から持ち直しつつあるようだ。資産デフレ、消費デフレは相変わらず続いており、消費氷河期的状態から完全に抜け切れたとは言えないが、6月からの子ども手当や高校授業料無料化の実施を考えると少し明るさが戻ってきたと言えよう。
但し、ヒルズ族やセレブといったキーワードが流行った2004年〜2006年頃のミニバブル的消費に戻るということではない。急速に資産デフレから脱却し、新たな雇用も生まれ、賃金も上がるといった劇的な回復に向かうとは誰も考えてはいない。2007年からの3年間、消費も含めて学習し、その上での消費の活性である。

その中で最も顕著に出てきた価値観はキーワード的にいうとReであろう。既にあるものを、再び、生かし切る、復活、復元、再生、再使用、勿体ない、といった価値観である。確か1992年頃であったと記憶しているが、中古車販売台数が新車販売台数を超えて以降、家も家の中にある生活道具も、バッグやアクセサリーに至まで多くのモノが「下取り」や「レンタル」、あるいは「アウトレット」や「わけあり商品」といった方法で生かされてきた。リ・ユース、リ・フォーム、リ・デザイン、リ・バイバル、リ・デュース、勿論リ・サイクルもであるが、このReの世界に多くの知恵やアイディアが創造されてきた。
過疎地の廃校となった小学校をオフィスに転用するといった発想以外に、生ハム製造工場や魚の養殖にも活用されている。都市周辺の工場跡地には野菜工場が作られたり、商店街の空き店舗は保育園になったりしているが、全てのアイディアの根底にはReがある。つまり、Reとは発想の転換ということだ。

こうしたスペース・場以外にも時間という過去・歴史を遡ればリ・バイバルとなり、昨年のヒット商品を見ればいかに多くの商品がヒットしているか分かると思う。はとバスの「昭和の懐メロツアー」もそうであるし、映画「Always三丁目の夕日」以降、大きな潮流となっている。こうした既にある過去や歴史もさることながら、やはり一番Reすべきものは自然である。東京ではこの4月から条例によりCO2削減の義務化と共に、以前ブログにも書いたように排出量取引制度が実施されている。つまり、地方にある自然エネルギーを東京の企業が買うということである。こうした動きに併行し、いわゆるグリーンビジネスが至る所で活性化されてきている。恐らく1年後には屋上緑化、壁面緑化といったことが至る所で見られることであろう。そして、既にある自然を使ったネイチャーウオーキングのような新しい楽しみ方も生まれてくる。
昨年末、2010年を「エコライフ元年」になると予測した。いや予測というより、断言したと言った方が正確であった。エコロジーとは生活そのものであり、そのエコライフの根底には新技術と共にReがある。そして、生活者の視点に立てば、Reを楽しむ時代を迎えたということだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月17日 (水)

キョロキョロ消費文化論

ヒット商品応援団日記No451(毎週2回更新)  2010.3.17.

好きな沖縄に行っていたのでブログの更新に一週間ほど経ってしまった。ところで、前回も相対立する異なる消費、例えばヘルシー系とガツン系を行ったり来たり、振り子のように揺れる消費の様を書いてきた。昨年のヒット商品の最大特徴であった過去回帰型消費、歴史回帰型消費も、過去と今を行ったり来たりする消費である。インターネットで人気の「脱出ゲーム」も、イベント「リアル脱出ゲーム」のチケット入手が困難であるように、仮想と現実、デジタル世界とアナログ世界を行ったり来たり、といった振り子型消費である。古くは古民家ブームのように洋スタイルから和スタイルへ行ったり来たり、あるいは週末の田舎暮らしのように都市と田舎の行ったり来たりも同様である。

何故、こうした振り子のように行ったり来たり現象が起きるかである。以前、和と洋が振り子のように振れる様を「日本の思想」という名著を書いた丸山真男の考えを基に、日本の精神文化の特殊性を「雑居文化」によるものであると、私はブログに書いた。例えば、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘で、何かがある度に振り子のように振れるということである。
つまり、内側に明確な物差し、標準を持たないということである。常に外側を意識し、それによって動かされる。丸山真男はそんな日本人の精神構造を指して、外ばかりを「キョロキョロ」していると指摘していた。今風の消費に置き換えるとすれば、例えば皆が良いと言っているからといったランキング信仰から取り敢えず第一位のものは試してみよう、あるいはマスコミから流される断片情報から「わけあり商品」の「わけ」を試してみよう、そんな外側にあるブーム(=雰囲気・空気感)に乗り遅れまいとする精神文化である。だからブームは一瞬の内に終わるのである。

ある意味、KY語という社会現象はそうした精神性を良く表している。かなり前から高校生の仲間言葉として使われていたものだが、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきた一種の記号である。特に、ケータイのメールなどで使われている絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家がいるように、実は一方的なコミュニケーションである。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊がある。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」もある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっていることだ。外の誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するという構造である。この構造は今流行っているツイッターも同じである。

外を気にしてキョロキョロしていると書いたが、それらが全て悪い訳ではない。とにかく新しいものを取り入れてみる、学べるものは学んでみる、そうした無防備とも言える進取性こそが今日の日本を創ってきた。あのトヨタ自動車がGMを抜いてNO1となったが、その本音はNO2のままでいたかったことに象徴されている。NO1は世界の自動車業界の標準を創造し、お手本を示さなければならないからだ。最早、トヨタには学ぶべき「外」、比較すべき「外」がないということである。今後のトヨタはプリウス問題を筆頭に「正しい未来」を語らなければならないということだ。つまり、トヨタ標準が世界標準になったということである。

さて、消費に戻るが、丸山真男が指摘した太平洋戦争という大事件に遭遇した日本知識人の変容、先祖帰りほどではないが、昨年のヒット商品の多くが過去回帰、歴史回帰によるものであった。その背景を「時代転換の踊り場」と私は表現してきた。次に進むために踊り場で「外」へ「過去」へとキョロキョロ見回しているということである。生活者の視点に立てば、10年で年収100万円減少した時代における生活の見直し学習、標準という物差しを求めた学習、これが巣ごもり生活の本質である。ここから多くのヒット商品が生まれてきたことは、私のブログを読んでいただいている読者にとっては周知の通りである。そして、昨年末ブログに書いたように、今エコライフ元年を迎えている。国も、自治体も、勿論生活者も収入が減少した時代に沿って、エコロジーの基本である「無駄を減らし」、結果「エコはお得」な世界を創り始めたということである。これも学べるものは学んでいこうとするもので、「外」からの学びは時として「外」が持っている技術や知識を超えた副産物、予想外の発見を得ることが出来るものである。そうした意味を含め、エコライフ元年と私は呼んだのだが、今後この副産物、予想外の発見によるヒット商品が誕生する。

つまり、振り子の中心点の一つがエコライフという仮説である。そして、更に言うと、雑居文化的消費から雑種文化的消費へと向かうであろうという仮説でもある。確か1年ほど前に日経MJにも取り上げられていたレタスなどの葉もの野菜のハイテク「野菜工場」もその一つである。環境に優しいLED技術による光と無農薬農法から学んだ水耕栽培による野菜工場である。工場は空き店舗や空き工場を活用し、全国へと展開していくとのことであった。そして、このソフト&ハードといった全体システムを一つのビジネスフォーマット化し、輸出も考えていると聞く。輸出先は砂漠地帯のカタールなどと聞いている。
中国冷凍餃子事件に端を発した食料自給率の改革、それに伴う国内の消費需要に応えることがこのビジネスを後押しした。安心安全を目標としたハイテク&ローテク、共に自前の技術と経験による野菜工場は、日本の知恵と技術による雑種文化のたまものである。「外」にはない、逆に「外」から高い評価を受け始めている新しい産業の芽である。これもクールジャパンの一つになるであろう。日本人がキョロキョロ外を見ている時、世界はどこにも無い素晴らしさを高く評価しているということだ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月11日 (木)

サバイバル時代の知恵

ヒット商品応援団日記No443(毎週2回更新)  2010.2.11.

ここ2年ほど、10年間で100万円所得が減少した時代、いわば所得減少に伴ってどんな消費傾向が見られてきたかを書いてきた。そうした消費傾向を「巣ごもり消費」と呼んできた訳であるが、「消費は所得の関数」としての意味合いと共に、もう一つの消費価値観を再考してみたい。そのことは何よりも価格競争を脱することや新市場の創造への着眼につながるからである。
「消費は所得の関数」、その現象としては低価格商品や低価格店への志向は勿論のこと、更に回数減、となって現れてくる。ある意味、使えるお金の中で単純に金額と回数を減らすという消費である。しかし、昨年のヒット商品であるLED電球やHV車のように、最初は少々高くつくが長い目で見れば財布にも地球にも優しい「エコはお得」といった価値観商品、新しい市場も生まれてきた。一方、車で言うと、都市部ではカーシェアリングが急速に普及し始めている。両者の根底にある価値観は、所有価値と使用価値である。多様な価値観の時代に向かっていると、そう決めつけて終わることは簡単であるが、しかし答えにはならずその多様さについて考えてみたい。

ところで、1980年代から数年前まで、「トレンド」というキーワードがマーチャンダイジング&マーケティングで言われてきた。簡単に言えば、新しい、珍しい、面白い、そんな消費傾向(トレンド)を探り、その商品をどこよりも早く、顧客に提供しようとするビジネスである。しかし、それは競合社によってすぐに類似商品が生まれ、価格競争市場に向かう。この繰り返しを続けてきた訳である。そして、今なおこうしたマーケティングによる消費傾向は巣ごもり生活においても続いてはいるが、新しいは「既にあるもの」へ、珍しいは「使い回し」へ、面白いは「私の好み」へ、そんな変化が顧客の側に見られるようになった。「既にあるもの」を「使い回し」て「私の好み」にする、そんなライフスタイル観である。

もっとくだけた表現をすれば、「冷蔵庫にある残り物をプロの料理人がごちそうに変身させ、しかもお得」、いわゆる賄い料理のような、生活のプロ志向化、生活の達人に向かうライフスタイルと言える。極端な表現をすれば、消費のプロから生活のプロへの転換ということである。下取りセールの成功、今なお続くアウトレット人気、リサイクルショップの普及&定着、・・・・・・こうしたエコロジー的視座による見直しが、個々の生活の細部にわたって進行しているということである。結果どういうことが起きているか、例えば使いこなせない圧力釜や洗濯機等の家電メーカーは使い方教室を開催し、人気となっている。あるいは、衣類の修復やしみ抜きのプロ福永真一さんやクリーニングのプロ中村祐一さんに注目が集まるのも、既に「有るもの」を生かし切る、価値を最大化させる知恵が求められている良き事例である。

3年ほど前、「今、地方ビジネスがおもしろい」というテーマでブログを書いたことがあった。地方に埋もれた「既にあるもの」に着眼して欲しいと願ってであったが、ネット通販という方法によって、次々にヒット商品を生んでいることは周知の通りである。「既にあるものへの再認識」とは、価値観でいうと「有用性」への認識ということである。生活者にとって、単純な新しい、珍しい、面白いといった欲望としての消費に、「有用性」という新たな物差しを持ち始めたということだ。その有用性には「長い目で見た費用対効果」もあれば、「使い回すことによる新たな満足」もある。その新たな満足には、「私」としての好み以外に、守るべき家族の健康や、もっと広げればエコにも良いといった「公」としての小さな満足もある。こうした認識は巣ごもり生活を通じ再認識し得られたものであるが、小資源国日本ならではの一種の能力、日本人が先駆的に持っているDNAのようなものだ。

経済指標を持ち出すまでもなく、企業も生活者も生き残るための戦いをしている。この「有用性」を企業経営という世界に当てはめてみると生き残り策が見えてくる。日本は世界の中で圧倒的に老舗、継続し続ける企業が多い。1400年以上続く大阪の宮大工金剛組を持ち出さなくても、地方を歩けば数百年続く会社は山ほどある。良く言われることであるが、継続を可能とするには「変化対応力」が不可欠であると。しかし、同時に「守るべき何か」「継続すべきは何か」を明確にするということである。
企業経営における「有用性」という視座に立てば、まず「有るもの」を見直し、使い回したり、転用したり、知恵を駆使して生き延びてきた。「有るもの」、それは技術であったり、人材であったり、お金では買えない信用・暖簾であったりする。勿論、こうした無形のものの前に、有形の土地や建物、設備といった資産の活用も前提としてある。つまり、サバイバル時代の重要な戦略は、変えるべきことと、継続すべき、守るべき何かを明確にすることから始まる。

洋食器の製造で知られている新潟燕三条では、金型製造技術や研磨技術が携帯電話や小型航空機の部品製造にまで転用されている。タオルの産地である四国今治のタオル製造の再生もしかりである。農産物でも、10年ほど前から米やりんごを中国を始めヨーロッパへと輸出している。日本酒もしかり、ドバイショックでその後どうなったか確認していないが、中東にスイカまで売りに行っている。国や業界という垣根を越えて、それぞれ「有るもの」を自在に生かし切る知恵の結果である。
サバイバル時代に生き残るための知恵、それは既に「有るもの」に対し、少し離れて見る、俯瞰的な視座を必要とする。それは企業も生活者もサバイバル時代を生きることにおいて同じである。そして、提供する側の目的や意図とは違って、使い回したり、転用したり、何かの替わりに使ったり、思いがけないところでヒット商品が生まれる、それがサバイバル時代の特徴だ。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月17日 (日)

エコは素敵生活へ

ヒット商品応援団日記No436(毎週2回更新)  2010.1.17.

昨年、2010年を予測するにあたり、「エコはお得」というキーワードで未来生活の芽をブログに書いた。予測は当たらないというのが私の持論ではあるが、以降1ヶ月ほど経つがエコ生活へと向かっていることは間違いない。
エコカーへの減税&補助金、エコポイント制度といった官製販促支援は需要の先食いとの側面をもってはいるが、生活者意識として省エネは省マネーになるという新たなエコ家庭経済へと向かわせている。LED電球から省エネ洗剤アタックネオといったヒット商品もさることながら、「その商品は環境にも財布にも優しいか」という鳥の眼と虫の眼という複眼で、しかも中長期の眼で消費する価値観を持ち始めたということである。

昨年「ユニクロ栄えて、国滅ぶ」と書いた経済学者がいたが、デフレ経済を悪者扱いしているが、単なる安売り競争経済といった側面だけで見てはならない。デフレは消費意識を、価格の裏側に潜む「理由」や「意味合い」へと向かわせた。その中には、グローバル経済に翻弄される生活、例えばガソリン高騰や中国冷凍餃子事件に見られるようなエネルギーや食料を輸入せざるを得ない小資源国としての実態を思い起こさせた。更に、リーマンショックは輸出によって得られたお金でそれらを買って済んでいた時代から、「自給」する経済、「自給」する生活へと意識を向かわせた。中国冷凍餃子事件は確認できる体感できる安心・安全な食へと向かわせた。こうした中から生まれたのが、家庭菜園ブームや農家レストラン人気であり、更には収入が減り続ける時代の知恵として、「わけあり商品」、「下取りセール」や「リサイクル」、「アウトレットブーム」といった消費が生まれてきた。ある意味、デフレは自給という循環型経済へと向かわせる後押しをしたと見ることも出来る。米国ほどはないが、過剰消費、バブル的消費の見直しである。

昨年、2010年予測のブログで、地方はエネルギー生産地、都市はその消費地とし、その需給関係(青森六ヶ所村の風力発電と東京新丸ビルにおける電力消費)について書いたが、ちょうどそれを裏付けるデータがあった。「都道府県別自然エネルギー自給率」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7390.html)で、最も自給率の高いのが地熱発電、温泉熱利用の高い大分県の25%、第二位はヨーロッパ型の水車の利用といった小水力発電の盛んな富山県、勿論最下位は東京の0.21%である。ちなみに、原子力発電を含めないエネルギー自給率の各国比較では米国73%、英国113%、中国100%、日本はわずか6%である。
もう一つの自給率である食料は、同じようにデータ比較(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7235.html)がなされている。これも地産地消の浸透指標として見ていくのに良いデータと思うが、自給率が最も高いのが北海道の198%、第二位が秋田の177%で、勿論最下位が東京の1%である。同じように各国比較では米国119%、英国74%、仏130%、日本は周知の40%である。(2002年度、カロリーベース比較)

確か2年ほど前、旧政権による環境技術開発などへの3兆円規模の助成支援があったが、太陽光発電や超伝導による電流ロスの解消など広義の省エネ技術が磨かれ成果が出始めているようだ。更に、昨年末新政権による「新成長戦略」が発表されたが、環境エネルギー政策の基本方針も出てきた。地方分権が、どんなスピードで、どこまでの権限と範囲で実行されるかわからないが、エネルギーと食料という生活に不可欠な重要テーマを軸に、都市と地方との格差是正や需給の在り方が政治の場で語られていくと思う。地方はエネルギーや食料の生産地として、魅力ある固有の生産を目指し、都市はその魅力を消費していくことになる。エコという視座に立てば、地方はエコヴィレッジ、都市はエコタウンが目標となる。

HVカーや電気自動車に代表されるエコ商品は官製支援はあるものの、量産化によってキラーコンテンツならぬキラープライスとして生活の多くの商品へと広がっていくであろう。勿論、「エコはお得」という新たな価値観によってだが、次のテーマとなるのが「エコは素敵」という概念であろう。この概念は、「クールジャパン」における「クール」に近い意味で、新しい時代人の格好良さとでも表現できるライフスタイル観である。米国から持ち込まれたLOHASは単なるブームに終わったが、LOHASに替わる新たなライフスタイル観が生まれてくる。そうした価値観は、人物、企業、あるいは市町村という様々なところから生まれてくるであろう。勿論、次なるライフスタイルリーダー、ソーシャルリーダーとしてであるが、私ならば「クールガール」とか、「クールカンパニー」、「クールヴィレッジ」などと呼んでみたいと思っている。それはなによりも、日本初のクールカルチャー、ジャパンスタイルカルチャーを世界に向けて発信していける、いやビジネスとして極めて大きな可能性があると考えているからだ。そのビジネスの中核となるのがやはり観光である。

勿論、グリーンツーリズムやエコツーリズムといった狭い観光ではない。狭いという意味は、単に自然の持つ生命力を五感で感じ、楽しみ遊ぶといったことではなく、それらを生活へと取り入れた日本文化、ヨーロッパを石の文化であるとするならば、木の文化、紙の文化といった生活文化の観光である。特に、地方には都市文化の波に洗われてなお残る固有な生活がある。私はその象徴として京都をそのモデルとして挙げているが、多くの地方には未だ知らない自然生活文化、産土(うぶすな)が埋もれており、少しづつ表舞台へと上がっていくであろう。
外(世界)からの眼でクールジャパンと注目されているが、今度は自ら「素敵生活」「クールカルチャー」を発信していくことだ。前回、「サービス価値再考」で「星のや 京都」と「加賀屋」を取り上げたのもそうした発信事例としてである。

ここ2年ほど「価格」に関するブログが多かったように思う。価格は重要なキーワードであるが、そのことを踏まえ「エコは素敵」というキーワードで消費を見ていこうと思っている。昨年、2010年をエコ元年と表現したが、現状は一部の省エネ製品、省エネ住宅、自然エネルギーの活用、・・・・ゴミゼロ運動、といったエコロジーの断片が生まれたにすぎない。生活は全体であり、全体を構想することが問われている。個人だけでも、企業だけでも解には至らない。産官学合同による産業起こしなどと言われるが、一番重要なことは住民、生活者がエコリーダーになるということだ。富山県のように小水力発電にチャレンジしているところもある。日本には約1800弱の区市町村があるが、1800のエコヴィレッジ、エコタウンという「素敵さ」があってもかまわない。福岡県岡垣町という田舎で「どこでもある田舎をここにしかない田舎にしたい」と町起こしをしている野の葡萄はその先駆者でもある。
そうした「素敵さ」を表舞台へ上げ、活性化させる中心は観光である。新政権の成長戦略に休暇取得の分散化などの「ローカル・ホリデー制度」が検討課題に上がっているが、こうした制度がエコヴィレッジを後押しするであろう。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)