文化・芸術

2009年6月 3日 (水)

都市の無縁空間

ヒット商品応援団日記No372(毎週2回更新)  2009.6.3.

先週久しぶりに秋葉原駅周辺の街を1時間半ほど歩いた。あるデベロッパーからの相談で、どんなテナント編集をしたらよいのかサジェッションして欲しいということからであった。ちょうど1年前には17人が死傷した秋葉原無差別殺傷事件が起きたあの秋葉原である。当時を思い起こさせるものは残ってはいないが、私の脳裏には当時のニュース映像がくっくりと残っていた。あと数日で1年を迎え、事件被害に遇われた多くの方々が秋葉原を訪れ、献花されることであろう。

ところで秋葉原を歩いて感じたことだが、都市がもっている2面性が極めて分かりやすく街を構成していることであった。その背景には、東京都とJR東日本による巨大な再開発プロジェクトが進んでいることによる。秋葉原駅の北側は既にいくつかの超高層ビル群が建ち、その入居企業の多くはIT関連企業、携帯電話から情報通信機器やデジタル家電などの各種ソフト開発を行う企業群である。もう一つのプロジェクトが東北、上越、長野、山形、秋田の新幹線を東京駅へと直接乗り入れさせる計画である。そのために御徒町ー秋葉原間の高架工事が既に始まっており、4年後には御徒町ー秋葉原ー神田ー東京駅間が高架化される計画である。つまり、この線路の高架下に巨大商業施設が出現するということである。そして、この計画に沿って、秋葉原駅も大きくリニューアルし、駅上には高層ビルが建つと聞いている。都市がもつ2面性の一つがこうした地球都市とでも呼べるような先端技術ビジネスを行う街並である。既に高層ビルの一階にはオープンカフェがあり、ゆったりとした駅前をネクタイ姿のサラリーマンやOL、更にはアジア系のビジネスマンが行き交う、そんなハイスタイルな空間となっている。

さて、都市が持つもう一つの特徴はと言うと、まさに秋葉原駅北側とは正反対の街並が駅南側及び西側にある。周知の電子部品や電気製品のパーツ、半導体、こうした電機関連商品を販売している専門店街。あるいはオタクの聖地と呼ばれるように、コミック、アニメ、フィギュアといった小さな専門店。数年前話題となったメイド喫茶も、こうしたごみごみとした一種猥雑な街並に溶け込んでいる。まるで地下都市であるかのように、ロースタイルと言ったら怒られるが定番のリュックサックを背負ったオタクやマニア、あるいは学生が行き交う街である。駅北側がオシャレなオープンカフェであるのに対し、この一帯は、おでんの缶詰で話題となったようにユニークな自販機が置かれている。

私は秋葉原の駅北側の再開発街とそれを囲むように広がる南西の旧電気街を、地球都市と地下都市という表現を使った。更に言うと、表と裏、昼と夜、あるいはビジネスマンとオタク、風景(オープンカフェ)と風俗(メイド喫茶)、デジタル世界(最先端技術)とアナログ世界(コミック、アニメ)、更にはカルチャーとサブカルチャーと言ってもかまわないし、あるいは表通り観光都市と路地裏観光都市といってもかまわない。こうした相反する、いや都市、人間が本来的に持つ2つの異質さが交差する街、それが秋葉原の魅力である。

2つの異質さが交差するとは、2つの世界の境界といった方が分かりやすい。境界という概念を教えてくれたのは歴史学者網野善彦さんであるが、結論から言うと、日本商業発展の場である市場(古くは市庭/交易)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁空間(今で言うと、縁のない人が行き交う多国籍空間)で無法地帯化しやすいということだ。そうした境界の無縁空間は、そこに寺社を立てコントロールしてきた、と網野さんが教えてくれた。まさに、秋葉原はそうした2つの異質さが出会う境界にある街である。

都市市場は必ずこうした異質な2面性を持っている。秋葉原ほど明確ではないが、新宿も同じような2面性がある。例えば西口には都庁を始めとした高層ビル群のオフィス街、東口から更に東には歌舞伎町を始めとした歓楽街が広がっている。更に、北側には新大久保駅周辺には韓国の人達が多く住み、コーリャンタウン化しているように。
こうした異質さが交差する都市の境界、無縁空間に、実は新しい「何か」が生まれてくる。今やオタク文化もサブカルチャーとして社会の表舞台に上がっているが、その芽が出てきた1980年代にはほとんど無視された存在であった。オタクという名前は中森明夫氏がつけたものだが、当時は一種の蔑称で市民権を得たのはここ10年ほど前からである。周知のように、2チャンネルのスレッドから始まった「電車男」の書籍化・映画化、萌え系、メイド喫茶、少し前にはAKB48といったオタクのマスプロダクト化によって広く知られるようになった。

このように、秋葉原は2つの異質さを取り込むことをエネルギーとして、商品を産み、育て、マスプロダクト化させた典型的な街である。同時に、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告のような「不善のやから」も残念ながら出てくる。異質さが交差する境界、無縁空間の街だからだ。網野善彦さんの言葉を借りれば、こうした境界・市場の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。
久しぶりに秋葉原の街を歩き、そのエネルギーを感じながら、有形、無形の縁日が必要だなと思った。(続く)

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2009年5月 3日 (日)

巣ごもりから冬眠消費 へ

ヒット商品応援団日記No363(毎週2回更新)  2009.5.3.

3月31日から東京上野国立博物館で行われている「阿修羅展」には連日1万人を超える入場者があり、4月28日には30万人を超えたと報じられた。奈良・興福寺所蔵の天平文化を代表する仏像が一堂にそろう特別展であるが、入場者はというと、従来であるとシニア世代の愛好家がほとんどであったが、20代、30代の若い女性がかなり多く見受けられた。この「阿修羅展」に先だって東京世田谷美術館で行われた「平泉 みちのくの浄土」も同様に若い世代の入場が多かった。

小柄で小顔の美少年のようだと、阿修羅像に魅入る女性達を「アシュラー」と呼ぶそうだが、どこかマスメディアのやらせのような薄っぺらさを感じる。が、そんなレッテル貼りに関係なく、ここ数年若い世代の仏像、いや日本文化への愛好家は着実に増えている。修羅場の語源となった阿修羅は帝釈天と絶えず戦争をする鬼神であり、後に仏に帰依する。そんな阿修羅像に魅入る女性を「アシュラー」と呼ばれようが、日本の歴史文化の興味の入り口でありさえすれば良い。中尊寺金色堂のきらびやかさも、平泉一帯を浄土の庭とした仏教文化の入り口でありさえすれば良いのだ。1300年前の仏像を通し、日本の精神世界に触れ、内省する良き機会である。

柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」や「えんぴつで奥の細道」のベストセラー以降、変わらぬ静かなる禅ブーム、宿坊顧客の増加、精進料理や声明への注目。あるいは阿寒グランドホテル鶴雅におけるアイヌ文化の取り入れに代表されるように、地域の固有な風土、文化への注目。こうした今も残る日本の精神文化を取り入れていく傾向の中に、今回の一連の仏像展への注目もある。こうした傾向は、昨年のサブプライムローン問題を引き金とした金融危機や実体経済の危機といったグローバリズムが、ある意味促進しているとも言える。戦後60数年、「外」へ、「世界」へ、ライフスタイル的に言えば「洋」へと振れ過ぎたことに対する振り子現象の一つである。振り子は「内」へ、「日本」へ、そして「和」のライフスタイルへと揺れ戻しの中にある。

ところで、ここ1年ほどマスメディアが流す情報の中に、実は無くなっているキーワードがある。常に表層をなぞり、情報消費を促すのがマスメディアと言ってしまえばそれで話は終わってしまうが、無くなったキーワードの一つが「スピリチュアル」である。更に言うと「癒し」でもある。つまり、従来あった精神世界、心の世界の商品化が終わろうとしているということだ。終わったのは勿論単なる表層をなぞっただけの「スピリチュアル商品」であり、「癒し商品」である。
もっと分かりやすく言おう。1年半ほど前までは、占いがブームであったり、あるいは「癒しのリゾート」「癒しの宿」「和に癒される」といったテーマがTV番組を始め、雑誌などを賑わしていた。さて、結果は言うまでもなく、そんな時代ではなくなったということだ。

前号で「パンデミックへの免疫抗体」というテーマ、不安心理のパンデミック(感染爆発)について書いた。案の定、その一つである新型インフルエンザの「感染の疑い」という不確かな情報によって、政府・自治体は右往左往大騒ぎした。1日も経たない内に、メキシコの感染者数や死者数が大きく修正されたが、マスメディアは明確な根拠を示すことなくあいまいなままである。しかし、生活者はそんな情報によってパニック状態に陥りはしない。生活者にとって、問題は新型インフルエンザだけでなく、もっと大きな深い「危機」に対して感じているからだ。そんな本質としてのパンデミックが訪れていると指摘した作家辺見庸が、5月9日早稲田大学大隈小講堂で講演を行う。テーマは「暴力の時代 言葉に見はなされるとき」とある。作家として言葉を紡ぐことを生業(なりわい)としている辺見が、最早自身の言葉で語りえない、誰の言葉も及ばない暴力というパンデミックの時にきているとの認識。いや認識というより、脳溢血で倒れ、更に癌でおかされた辺見庸の叫びである。

消費という人間が本質として持っている欲望の変化と推移を見ていくと、その時々の経済や社会、あるいは政治が見事に映し出されていることが分かる。今回の新型インフルエンザは遅かれ早かれ日本にも感染者が出てくると思う。更には、そのウイルスを制圧しえたとしても、冬に向かって更に変異したウイルスが出現するかもしれない。こうした一連の危機と共に政府の過剰な「隔離政策」によって、ヒトもモノもその移動が制限され、経済ばかりか心までもが否応なく「内」へと向かうであろう。消費の傾向は「巣ごもり」から「冬眠」へと向かう。今までの消費キーワードである安近短は、更に安く、更に近場で、更に短く、「あれこれチョットづつ」は「これだけチョット」となり、回数も更に減る。例えば、食のガツン系は冬眠を前にした栄養補給の様相さえ見せるようになる。既に始まっている家庭内充実は家庭内防衛へと進み、こうした自己防衛の傾向は新たな氷河期時代のライフスタイルキーワードとして出てくる。

こうした消費の自己防衛ばかりか、働き方も自己防衛的なものとなる。既に、その兆候は出てきているが、休日や時間外のアルバイト、サイドビジネスが盛んになる。収入の補填もあるが、見えない未来への模索である。この模索は、一つは資格取得という形になって現れてくる。英検や漢検といった就職に有利といった資格ではない。もっと実ビジネスに即した行政書士や中小企業診断士のような安定した仕事に向けた資格だ。つまり、仕事における安定志向を超えて、積極的な防衛策が始まったという事だ。嫌な言葉だが、企業ばかりか個人までもが生き残りをかけた氷河期を迎える。

冬眠消費というと、まるでモノが売れない時代のように考えがちであるが、決してそういうことではない。むしろ逆なのである。勿論、消費全体としてのパイは縮小する。しかし、売れる商品、売れる店、売れるサービスは一カ所に集中する。今回の高速料金割引制度による高速道の大渋滞のように、一斉に一カ所に集中する現象が現れる。しかし、GW期間中にあって、高速道の1000円効果は50km60kmといった大渋滞による学習体験によって、効果は一過性で終わる。しかし、氷河期にあっては、メーカーであれ、流通であれ、競争結果として寡占化が進み、上位数社のみが市場を占有するということになる。つまり、そうした意味のヒット商品が生まれるという事だ。(続く)

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2009年4月 8日 (水)

既成と革新

ヒット商品応援団日記No356(毎週2回更新)  2009.4.8.

ここ1年ほど、顧客創造の第1に価格を置き、生半可な従来の付加価値など顧客の選択肢には入らない事を書いてきた。その延長線上ではないが、その象徴的な市場として、前回「今、東京で起こっている事」を書いた。コンセプトチェンジ、業態チェンジ、メニューチェンジ、そうした変化の事例を書いてきたのだが、ちょうど、日経MJの編集委員も価格を根底に置いた革新の在り方について「小売の輪」理論をテーマにした記事を書いていた。「小売の輪」とは、小売業のビジネスモデルとして古くからある仮説理論であるが、「革新も時間経過と共に既成になり、次に現れる革新によって市場から撤退していく」という小売業が進展する輪の理論である。まあ、あてはまることもあれば、あてはまらないこともあるが、革新が既成に挑む場合、その多くは「価格」、低価格戦略であったことは事実である。

先日、イオンの岡田社長が記者会見し、新たに3400品目を2〜4割値下げすると発表した。その折、他社と較べて顧客の値下げ要請に応えられていなかったと反省し、店頭には「イオンの反省」というメッセージが掲げられた。つまり、イオンも巨大化し、革新を失い、既成になってしまったことへの自省であろう。また、一方のセブンイレブンも日用品の値下げを発表した。これも24時間いつでも来店していただけるという便利さ、いわば省時間型サービス業態も既に革新ではなく、既成になりかけているとの認識である。つまり、「小売りの輪」が一回転し、市場から退出させられてしまう前の自省としてある。

私に言わせれば、顧客が変わったことに気づき、こんなこと、あんなこと、小さな提案をし続ける事の中にしか「次」の革新への芽は見出せない。顧客にもっと近づくことだ。流通も巨大化してしまうと、組織の論理、規模の論理へと向かい、顧客から離れてしまう。これは私の持論であるが、流通は街や村の在り方と共にあれば良い。以前取り上げた鹿児島阿久根市のA・Zスーパーセンターのように、顧客の要望に沿って仏壇から車まで売る店があっても良いし、車社会の地方では単なる買い物だけでなく、映画を観たり食事ができるようなSCがあっても良い。車で出かけられないお年寄りの多い限界集落にあっては、昔ながらのご用聞き、ショッピング代行も必要だ。つまり、多様な生活と共に、流通もその多様さに応えるということである。

TV東京のカンブリア宮殿で紹介された増収増益の「餃子の王将」も、売り物の餃子の安さやボリュームもさることながら、店の立地に合わせた独自メニューづくりを店長にまかせる、つまり顧客に近づく現場経営によって得られた成果である。チェーンビジネスの根底には「標準化」という物差しを持って運営する。品質から始まり、店や売り場づくり、コミュニケーションに至まで、誰がやっても一定の結果、均質な成果が得られるとした標準化である。これは多様な人種が集まる米国ならではの手法で、日本においてもそれなりの成果を挙げてきた。しかし、こうしたやり方だけの業態には限界がきているということである。標準化の象徴である日本マクドナルドが増収増益という成果を得たのは、そのメニューの多様さ、価格帯の多様さを時間をかけて標準化=システム化しえたことにある。この時間のかけ方・数年間を見ると、その戦略性がよく分かる。最初は「100円バーガー」によって離れた顧客を呼び戻すことから始める。次に、いわゆるガツン系新メニュー、価格帯も上げたメニューを販売していくといった戦略である。しかも、飲食の場合特に難しい多様なオペレーションをシステム化できたことによる。

「小売の輪」の行き着く先は分からない。しかし、顧客視点に立てば、大きくは2つの方向へと進んでいく。1つはセルフスタイルによってコストをギリギリまで削減し、低価格商品を実現する方向である。既に誰の目にも明らかのように、従来のGSは廃業するか、もしくはセルフ式のスタンドになった。寿司店は廃業が進み、替わって回転寿司が増え、シャリはロボットに握らせる。ファッションはと言えば、ユニクロの発想が顧客自身がセルフで選ぶ業態であり、いわゆるSPA(製造小売業)によって低価格商品を大量に販売する経営である。従来、人手を要してきたサービス業態を人手を極力無くしていく経営である。極論ではあるが、あのエブリデーロープライスのOKストアが無人のスーパー業態をかってテストしたようなセルフ式業態が続々と現れてくる。セルフ式への業態チェンジ、これが1つの方向であろう。

もう1つの方向は、プロの手によるものである。昨年、「プロの逆襲」のところでも書いたが、プロとセミプロ素人との境目が無くなった時代にいる。「作り手」をセミプロ素人から、どう取り戻すかである。それは、とりもなおさず「作り手」とは何か、その根っこに何を置いて作るのかを問い直すことだ。「プロの逆襲」で次のように私は書いた。
「基本が持つ奥行きの深さ、見えないところにプロの技があり、それを支えるのが手間を惜しまないプロの精神である。見えないということは、小さな違いである。決して大きな分かりやすさはないが、どこか違う。そんなプロの技は細部の見えないところに宿るものだ。」
こうしたプロの基本には多くの見えない手間を必要とし、結果価格は高くなる。残念ながら、こうした「小さな違い」の分かる顧客も年々少なくなっていく。ちょうど文化型商品としてのブランドが衰退しつつあるのと同様である。

ここでもプロの革新が求められているということだ。「プロの革新」を考える時、ブランドの生成と衰退を考える。そんな格好な例は何かと聞かれたら、やはりシャネルと私は答える。ヨーロッパ文化の破壊者として登場したあのシャネルである。詳しくは私のブログ「時代の変化と共にあるシャネル」を読んでいただきたいが、その後継者カール・ラガーフェルドの顧問就任時のコメントがプロの革新の在り方を言い当てていると思う。
「シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である。」
「シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをも含め継承することだ」

そのようにラガーフェルドは明快に認識している。つまり、シャネルスタイルの継承と共に、その破壊者としてのシャネルの生き方をも継承するということである。ここにプロの革新があると思う。(続く)

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2009年3月 1日 (日)

もう一つのニッポン 

ヒット商品応援団日記No345(毎週2回更新)  2009.3.1.

ここ数回、映画「おくりびと」や小説「悼む人」、更には吉田拓郎の最後の全国ツアーに先駆けたアルバム「ガンバラないでいいでしょう」について書いた。一見なんの脈絡もないように見える3つの映画、小説、曲であるが、私の眼からは共通して見えてくる潮流がある。
「おくりびと」では、死を忌み嫌い隠してきた社会の皮膜をはがし、実は身じかな日常であることを気づかせてくれた。ともするとタブーとしてきた死への認識を根底からくつがえし、その奥にある日本人の死生観を表に出してくれた。「悼む人」では過剰な情報社会の中で、「何」が自分にとって必要で、大切な情報なのかを気づかせてくれ、実は裏側に潜む情報へと向かわせてくれた。「ガンバラないでいいでしょう」は、頑張らないことの大切さ、自分を責め傷つけることはやめにしようじゃないか、あるがままに生きてもいいんじゃないか、そんなメッセージを送ってくれた。過剰な生き方、生き急ぐのはやめにしようじゃないか、というメッセージだ。

あるいは今年の元旦のブログに作家水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」を引用し、日本人の精神の証しである国語が亡びゆく様に警鐘を鳴らしていると書いた。そして、その亡びゆく問題の根っこにある近代文明とは一体何であったのかという原点に立ち帰り始めたとも。
混乱、混迷が深まる時代にあって、起点とすべき、回帰すべき視座が明確になっていない点に対し、日本とは何か、日本人とは何か一つの潮流が見え始めている。例えば、経済でいうとグローバリズムとローカリズム、地球環境では工業化とエコロジー、文化では英語と国語、ライフスタイルでは洋と和、もっと身近なところでは公と私、それら全て近代化によって生まれた課題だ。

今、起きている潮流を消費という側面で見ていくと、この十数年、手に入れた物的豊かさは知らず知らずの内に実は過剰へと向かっていた。そんなことへの見直しが企業ばかりか生活においても始まっているということだ。生活経済の危機をきっかけに、モノの過剰さを削ぎ落とし、更に削ぎ落とすことによってコトの本質が見えてきたということである。手に入れた便利さというモノの豊かさとは逆に、失ってしまった何かを探しに出かけ始めた、それを私たちは回帰現象と呼んできた訳である。ここでは繰り返し書くことはしないが、消費面では記憶を辿る「思い出消費」ということとなる。

近代化とは極論ではあるが、全てを量に置き換えて合理化し数値化していくことであり、あらゆるものを工業として考えていくことであった。もっと極端に言えば、0と1に分けて考えるデジタル発想ということだ。つまり、理屈っぽく言うならそうした発想、価値観からこぼれ落ちてゆくことの大きさに気づき始めたということである。
しかし、例えば合理化という生産性から外れた日本の農業に若い世代がチャレンジし始めているのも、こうした生産性ではかることができない大切さに気づきはじめたということだ。農業の工業化をはかる米国などと比較して生産性の低い日本農業であるが、生産性を超える「何か」を見出してくれると思う。食は命を育むことであり、中国冷凍餃子事件は広く裏側にある生命観を思い起こさせた。自己防衛策として、家庭菜園や農家レストラン、あるいは農業体験へと向かわせた。それは「悼む人」のように裏側に潜む情報へと向かわせ、「おくりびと」における死生観にもつながるものである。

まだ仮説の段階であるが、いままでの「何か」を探しに出かけた回帰現象は徐々に終わっていくと思う。例えば、2000年前後の頃から古民家ブームをスタートに和カフェや和菓子といった和スタイルがブームになり、癒しというキーワードが流行った。ある意味、単なるトレンドとしての「和」は終えようとしている。それはいみじくも和の本質へと深化し、日本とは、日本人とは何かが「おくりびと」ではないが、日常の中のものとして自覚され始めたからだ。表層をなぞっただけの漢字検定や漢字をテーマとしたバラエティ番組もブームとして終えるであろう。

和ブームを終え、また洋へとライフスタイルが振れるかというとそうではない。以前、土鍋という和道具に着目すべきとブログに書いたことがあった。土鍋は炊く、煮る、焼く、蒸す、毎日多様な使い方ができる合理的な極めて生産性の高い生活道具である。しかも、和であることの最大特徴である旬素材を使った炊き込みご飯といった季節を楽しむ、和道具の知恵を使ったライフスタイルへの着眼だ。一昨年のヒット商品であった湯たんぽもその優しい暖かさと省エネ=低コストからであったが、これも古来からの頭寒足熱という理にかなったものだ。
こうした次なる芽は日常の当たり前の生活の中に生まれつつある。過剰なものを削ぎ落としながら、足下に眠っている知恵を使った「新しい和魂洋才」のライフスタイルが創造されていくであろう。私は、それを「もう一つのニッポン」と呼んでいる。(続く)

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2009年2月25日 (水)

失われゆく儀礼

ヒット商品応援団日記No344(毎週2回更新)  2009.2.25.

「おくりびと」がアカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。暗いニュースが多い中、私もそうであるが多くの人が喜び、ブログにもそうしたコメントが数多く書かれている。主演の本木雅弘さんの映画への思いや耳慣れない納棺師の仕事など様々であるが、象徴的な意味で失いつつある日本の儀礼に多くの人が気づかされたことと思う。誰もが必ず迎える死であるが、あの世への旅へ、化粧をはじめ白装束に手甲・脚絆という出立ちをお世話してくれる方が納棺師と呼ばれることを、実は私は映画を見るまで知らなかった。

「おくりびと」を観終わった後、今から2年ほど前に観た沖縄久高島の記録映画を思い起こした。「久高オデッセイ」という映画であるが、久高島の住人(島人)の生活が神と一体となった生活であることが良く記録されている映画だ。その中に、年老いて亡くなった「おばあ」の葬送の記録に強くこころ動かされたことを思い出した。集落のはずれまで皆で見送り、「ニライカナイの神様、これからおばあがまいります。どうぞよろしくお願いします。そして、またお戻しください」と祈る。人間と自然、俗界と聖なる場所との関係が生活の中に儀礼として今なお残っている島の記録映画であった。

注)久高島は琉球国を創った始祖が降り立った神の島と言われ、東方の海には黄泉の国、竜宮という理想郷ニライカナイがあると伝説となっている島である。ニライカナイ信仰のような海上浄土は日本海にも数多くあり、特に海に沈む夕日信仰として残されている。

こうした葬送の儀礼は日本人の死生観を唯一残しているものと言えよう。ところで、江戸時代を理想的なエコ社会、リサイクル社会というが、実はその根本のところにこの死生観がある。江戸の人達は虫を始め多くの生き物と共生し、決して殺生してはならないと考えていた。死んであの世に行っても、また生まれ変わって戻ってくる、輪廻転生の思想を持っていた。だから、「おくりびと」ではないが、あの世への旅立ちの儀式を行い、また戻っておいでという風習があった。江戸時代、お月見と共に虫聞きという遊びが流行ったが、聞き終わったお盆の頃、放生会(ほうじょうえ)という「命を解き放つ施行により後生を願う」といって野に放つ儀礼を行っていたのである。

既にいくつかの予兆はあるが、「おくりびと」を一つのきっかけに、日本古来から地域に残っている多くの儀式、儀礼が見直されることになると思う。その予兆は5〜6年前から旧暦のカレンダーが静かなブームになっていたり、京都の町家に住みたいと移る若者が顕著になったり、夏の花火大会には浴衣が定番のスタイルになったり、つまり和への興味が深化してきている。戦後60数年、全国至る所に都市化が進み便利さを手に入れたが、一方地域固有の風土から生まれた生活慣習や儀式が廃れてしまった。しかし、なんとか残るお盆や祭り、縁日といった先祖や神仏との関係を表す一種の儀式・文化に注目が集まると思う。特に、若い世代にとってはOLD NEW、古が新しいということだ。

もう一つの傾向はバラバラとなった個族が再び家族へと集まり直すことへとつながっていく。縁の結び直しであるが、家族縁を中心に、血縁、地縁、といった旧来の縁が見直されるであろう。家族という単位、巣ごもりの中で互いが確認し合うライフスタイルが生まれてくる。その代表例が任天堂DSの各種のゲームであろう。あるいは鍋や焼き肉といった一つのものを家族で食べ合うといった食卓スタイル。つまり、個人単位であったものを家族単位に再編するアイディアが必要であるということだ。

儀礼、儀式とは受け継ぐべき一つのスタイルである。時代によって変化していくものではあるが、スタイルは表現であり、その裏側には明快な考え方が存在する。継承すべき文化と呼んでも良いし、日本のアイデンティティと考えてもかまわない。価値観が混乱・錯綜する時代にあって、「おくりびと」はこのことを気づかせてくれた映画である。多くのマーケッターは巣ごもり状態のため消費の輪郭が見えないと言うが、そうではない。戦後の工業化、近代化、都市化によって失ってしまったものを、今やっと取り戻しつつある。この取り戻しが消費の輪郭を決める。(続く)

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2009年2月 4日 (水)

不況であればこそ、熟成する生活文化

ヒット商品応援団日記No3378(毎週2回更新)  2009.2.4.

2年ほど前に、裏が表になり、表が裏になる、と書いたことがあった。表側の世界やメニュー等が一巡し、生活者の興味や好奇心は裏側に向かうという内容であった。観光や散策でいうと、表通りの名所旧跡観光から横丁・路地裏観光への変化であったり、食でいうとメニュー表に載ったものから賄いメニューや裏メニューがメインメニューになるといったことであった。5〜6年前一つのキーワードとなっていた「隠れ家」は死語になり、最早表も裏も無くなった。これも情報の時代ならではの変化である。勿論、単に裏にあるというだけの商品、単に知らなかっただけの商品、単にメディアに取り上げられただけの隠れ家、極論を言えば持続できるだけの商品力を持たないそれらは既に市場にはない。

ちょうど同じ時期に、「今、地方がおもしろい」というテーマで埋もれた銘品や名物、あるいは観光客が知らない名所が注目されるであろうという内容を書いたことがあった。このことも未知への興味・好奇心が情報によって触発され、「裏が表になり、表が裏になる」という理屈と同じである。
ところで、過去10数年の消費行動を見ていくと大きな潮流として、テーマ軸では「洋」に振れたライフスタイルからの「和」回帰であろう、場所・エリア軸では興味があればどんな遠くでも出かけたことからご近所・ホームグランド回帰(慣れ親しんだ場所への回帰/故郷を含む)、時間軸では昭和回帰(特に「Always三丁目の夕日」ではないが30年代)、人・人間関係軸では「私」に凝り固まった関係から家族の絆の取り戻しに見られるような家族回帰(場所でいうと家庭となる)、俯瞰的に見ればこのように整理することができる。

こうした回帰型消費は振り子のように戻る様をいうのだが、最終的には振り子は一点において停まる。例えば、テーマ軸でいうと数年前までの圧倒的な健康ブームに対し、2年ほど前から高カロリーのガツン系・特盛りブームが起きたように。あるいはアルコール飲料がソフト化していった傾向に対しアルコール度数の高い氷結ストロングに支持が集まったように、常に振り子のように変化するのが今日の「消費」であろう。誰もがこうした振り子の中心点を明らかにしたいと思っている。いわばロングセラー商品という企業にとってお金のなる木を作り出すことになるのだが、生活者が削ぎ落とし更に削ぎ落とすことによって生まれる次のライフスタイルが明らかになることでもある。

では、不況=節約志向、キーワードである「巣ごもり消費」という内に向かう興味や好奇心はどんな「内」となるであろうか。実は、裏側への興味・関心も、振り子のように振れる回帰行動も、全て情報によるものであった。「TVが消えてなくなる日」にも書いたが、既成メディアはその情報価値を相対的に失い、ブログのようなネットメディアへと情報移動が進んでいる。玉石混淆ではあるが、情報発信も受信も個人の側に移ってしまったということだ。生活という巣の内側では、こうした既成情報の削ぎ落としも行われていることを忘れてはならない。既成の情報を削ぎ落とすことから、何が生まれてくるか。それは自ら五感で感じ取った情報、体験情報であろう。巣の中では、自らの振り子体験や回帰体験を熟成させているということだ。

この1年半ほど土鍋などの調理道具を始めとした生活道具が売れていると書いてきた。繰り返し書かないが、その裏側にはこうした体験の熟成が行われてきたということだ。最近では若い世代でぬか漬けが静かなブームであるという。団塊世代以上のシア世代にとってはおふくろの味であるが、若い世代にとっては身体に良い根菜が取れる和風サラダとしである。まさにOLD NEW、古が新しいという良き事例であろう。先日、経済団体の幹事と話をする機会があったが、ネット通販で売れ始めた商品があるという。実は、「干し柿セット」で、生の柿と吊るす藁、それに作り方の説明書付きであるという。手作り干し柿ということであるが、椎茸もあてはまるし、日本古来からの醸造文化、熟成文化、あるいは塩乾物のような保存文化にOLD NEWがある。

ライフスタイルという言い方をすると、従来は情報刺激によって未知の新しさを追いかけていくといったフロー型であったのに対し、巣の中ではOLD NEWのようなストック掘り起こし型へと変化してきた。つまり、既成の情報に翻弄された10年でもあり、多くの学習もしてきた。結果、体験こそが納得・共感できる唯一の方法であると、多くの生活者が気づき始めたということだ。ユーザーからの投稿レシピ10万点を公開し、夕食の支度時間である午後4時にはアクセスがピークに達するクックパッドに多くの支持が集まるのもこうした背景からである。不況という無駄を削ぎ落とし節約するといった巣ごもり現象。こうした外側からは見えない巣の中で熟成が始まり、一つの生活文化へと発酵し始めたということだ。(続く)

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2009年1月 1日 (木)

出てこい異端児

ヒット商品応援団日記No330(毎週2回更新)  2009.1.1.

新年あけましておめでとうございます。
昨年の元旦号では、「ゴドーを待ちながら」というサミエル・ベケットの戯曲のタイトルを借りて、この十数年私たちは「何」を待っていたのかと書いた。やってきてくれるかどうか分からない不確かな何か、救世主あるいは神と呼んでもかまわないが、そのゴドー(Godot)という「不確かなもの」を待った十数年であった、そう私は書いた。しかし、やってきたのは金融工学というコンピュータを駆使した先端錬金術によって産み落とされた、神ならぬ妖怪で、世界中を跳梁跋扈したあげく破綻した。しかも、妖怪を産み出した金融資本主義は概念としては破綻したが、今なおその体制・制度は崩壊してはいない。

実は、妖怪を産み出したのは私たち自身の内にあると指摘してくれたのは「暴走する資本主義」を書いたロバート・B・ライシュであった。つまり、妖怪は一人ひとりの心に、脳に、消費者として、投資家として、市民として存在していたのだ。しかし、コントロールすべき市民認識が薄れ、いつしか妖怪を暴れさせてしまった。結果、投資においては年末の東証の終値8,859円が象徴するように、42.1%という戦後最大の下落率となった。消費について言えば、偽装という言葉は日常語になってしまい、最早誰も驚かなくなってしまったが、その多くは市場がグローバル化することによる内外価格差やランキング信仰に起因する。確かにこの内外価格差をシステムとしてビジネス化させた企業が多くの利益を得てきたことは事実である。情報がないところではランキングといったガイドは一つの参考情報となる。しかし、いつしか内外価格差を偽装する企業も出てきた。ガイド情報はランキング信仰へと進み、提供者はランキングを偽装することによって利益を得る。こうした偽装を消費者として体験し、学習してきた1年であった。それらをポジティブに見ていけばコントロールすべき市民として成熟させてくれたといえよう。

ところで、この十数年消費あるいは社会現象として多くの回帰現象、いや単なる現象から回帰すべき何かが実体化されてきたように思える。個人化社会というバラバラとなった関係社会から、再度家族単位へと回帰し、例えば一人鍋から家族鍋へと変化した。歴史に埋もれた日本文化を掘り起こし、実感するような和回帰。その回帰ブームの代表が京都であるが、熊野古道のような古の道を歩き、宿坊に泊まるといった小さな旅まで、文化体験が進んできた。創られた自然ではなく、あるがままの自然を楽しむといった自然回帰。旭山動物園を発端に、廃園の瀬戸際であった全国各地の動物園や水族館へと足を運ぶようになった。そもそも回帰とは、行き詰まった「今」を解決すべく過去の中に、原点に未来の芽を見出す、そんな次に向かう志向である。

正月元旦の新聞各紙は一面に危機が叫ばれ、次にどう進むべきかと問うている。その象徴が日経新聞で、危機に際し新たな発明・発見があったとし、「今」の起点を年表で掲載しながら、「逆境に克つ」方向を提示している。時々ユニークな編集を行っている東京ローカル紙東京新聞は「100年に一度の岐路」とし、衆院選という政治をテーマとしている。こうした新聞各紙を読んだのだが、言葉だけが踊っており今ひとつピンとこないものばかりであった。起点、100年に一度、こうした回帰すべき視座があるとすれば、日本の場合それは江戸幕府から明治維新政府へと大きく変わったことであろう。

例えば、「日本語が亡びるとき」を書いた作家水村美苗氏は、明治維新による西洋文明の衝撃を受けた夏目漱石の「三四郎」を引用し、日本人の精神の証しである国語が滅び行く様に警鐘を鳴らしている。問題の根っこにある近代文明とは一体何であったのかという原点に立ち帰り始めた良き事例である。元旦各紙のピンとこない曖昧さは、起点とすべき、回帰すべき視座が明確になっていない点にある。原点に立ち帰り、対立する価値観をどう咀嚼していけば良いのか。例えば、経済でいうとグローバリズムとローカリズム、文化では英語と国語、ライフスタイルでは洋と和、地球環境では工業化とエコロジー、もっと身近なところでは公と私、・・・・今日課題となっている問題の原点は近代化を進めた明治維新にある。そして、明治維新がそうであったように価値観の衝突が起きる。

既にそうした衝突はこれからの日本が目指す社会保障の考え方、中福祉中負担VS高福祉高負担、一つとってみてもそうである。政治のみならず、日常生活のマナーやルールにも現れている。多元多様な価値観の時代とは混乱・混迷の時代ということだ。「異端と正統」という表現があるが、一瞬のうちに異端が正統になり、また逆もある時代だ。年末のブログでP.ドラッカーの言葉を借りて「明日というものは、無名の人たちによって今日つくられる」と書いた。社会という舞台には未だ上がってはいないが、対立する既成価値観が衝突する中から新しい価値が孵化する、そんなビジネスの芽は至る所にあるであろう。妖怪では困るが、出てこい異端児、である。(続く)

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2008年11月30日 (日)

言葉を取り戻す

ヒット商品応援団日記No321(毎週2回更新)  2008.11.30.

この2年ほど多くの過剰を削ぎ落とし、更に削ぎ落としそれでもなお残るものが求められていると、そこにビジネス着眼しなければと書いてきた。前回のもったいない着眼もそうした文脈の中からであった。この十数年、手に入れた豊かさは知らず知らずの内に実は過剰へと向かっていた。そんなことへの見直しが企業ばかりか生活においても始まった。過剰を削ぎ落とし、手に入れた便利さという豊かさとは逆に、失ってしまった何かを探しに多くの回帰現象が生まれてきた。例えば、象徴的に言うと、中国冷凍餃子事件は原点である食の安全への追求であり、家庭菜園のような自給自足的ライフスタイルに向かわせたり、顔の見える農家直売所へと向かわせてきた。それらは外食から内食への回帰として、土鍋や調理器具が売れるようになった。更には、子と一緒に料理を作る道具類、パン焼き器などはヒット商品となったが、一種の家族回帰・家庭内回帰と読み解くことができる。

さて、膨大な量の情報が行き交う中で、この過剰さをどう削ぎ落としたら良いのであろうか。また、情報においても回帰現象が現出するのであろうか。ところで雑誌プレーボーイが今週号を最後に廃刊になる。以前から多くの雑誌の廃刊が続くが、最早情報の送り手が雑誌社の編集者から、受け手である顧客の側へと移っている。その一番の要因はインターネットであり、ブログやyouyubeのように個人放送局化したことによる。勿論、真偽の見極めが難しい、しかも玉石混淆の情報であるが、使い方を間違わなければ十分情報源としての役割を果たしている。

こうした雑誌のなかで、唯一部数をのばしているのが、宝島社が発刊する「インレッド」などの雑誌である。周知のブランドとコラボレーションした「付録付き」女性誌であるが、その付録の新しさに興味を惹かれ雑誌が買われるという構造だ。しかも、デフレ市場となっている市場情況に合わせ、唯一値下げをしている雑誌である。つまり、従来の雑誌販売収入と広告収入によるビジネスモデルとは全く異なる商品発想をしているということだ。極論を言えば、コンテンツである情報を販売するのではなく、物販商品を付録付きで販売しているようなものである。1980年代半ば、チョコを捨てて付録のカード集めで社会問題化し、メガヒットしたビックリマンチョコを想起させるような発想である。もう一つ着実に部数を維持しているのが、「鉄道フアン」のような趣味の雑誌である。ある意味では、専門雑誌というより、超専門、マニアックな雑誌で、従来の専門雑誌の情報は既に一般情報化してしまったということだ。

話は変わるが、少し前に「日本語が亡びるとき」(水村美苗著:筑摩書房刊)を読んだ。英語が地球の共通語になった時代にあって、豊かな近代文学を育ててきた日本語が亡びつつあるという、言葉に生きる作家らしい本格的な警鐘の評論である。著者は創作の傍ら米国のプリンストン大学で日本の近代文学を教えているいわばバイリンガルの人である。であればこそ、母国語・日本語への思いは深い。繰り返し繰り返し国語教育の必要を説いている。示唆深い本であり、是非読まれたらと思う。ちょうど同じように西洋文化の衝撃を受け止めた夏目漱石と社会学者であるマックス・ウェーバーをヒントに、この時代の生き方を書いた「悩む力」(姜尚中著:集英社)も売れている。少し前から、太宰治をはじめ古典といわれる文学書が静かなブームとなっているが、悩むという内省、内なるこころに立ち戻る傾向が出始めていると言えよう。

インターネットが象徴しているように情報技術は驚くほど急速に発展し、地球は小さくなり、同時代性、同地域性という世界が、経済ばかりか知的情報の世界まで拡大した。図式化すると、世界の共通語=英語、国語、地域語=方言という3つの言葉を生きている。
ジャーナリスト筑紫哲也さんが亡くなられた時、天野祐吉さんは「ニュースに声を与えてくれた人」と語っていた。同時に、膨大な情報を整理し、防波堤の役割を果たしてくれていたと思う。多事という情報を争論できるようにしてくれた訳である。言葉は声であり、また文字である。前者の象徴が筑紫さんであり、後者が日本語が亡んでいくと指摘してくれた水村氏であろう。

私は沖縄が好きで頻繁に行くようになった一つの理由が沖縄の文化への興味・関心であった。今、沖縄では三線を使った琉球方言の学習が始まっていたり、古くから伝承されている民話を絵本にし、しかも絵本を読み聞かせるライブも始まっている。亡びつつある琉球文化に文字と声を与えようという試みであろう。足下に埋もれた豊かな情報を掘り起こすということも内省の一つである。今年の6月にはアイヌ民族を先住民族とする国会決議があったが、これからアイヌ文化の掘り起こしが始まり、文字と声を与える動きも始まるであろう。
膨大な情報と私は書いたが、類似化した一般情報による過剰体験から、生活者一人ひとりは内なる情報防波堤を築き、本来の言葉を取り戻しつつあると思う。勿論、情報においても自己防衛的になっているということだ。ビジネス視点からいうと、既存メディアの在り方が根底から変わることを促されているということである。広告、ショップ、商品、人、店頭、プロモーション、インターネット、メール、携帯電話、あらゆる情報発信するメディアの変容が促されていくであろう。(続く)

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2008年11月19日 (水)

ブランドバブルの崩壊?  

ヒット商品応援団日記No318(毎週2回更新)  2008.11.19.

今バブルという言葉を聞かないことがないほどあらゆるメディアに氾濫している。日本語に直せば、過剰という言葉があてはまるが、「何」をもって過剰であるか、今ひとつ明確な答えが聞こえてこない。私の専門テーマは生活者のライフスタイル研究をベースにした消費の分析と市場創造の着眼点を見出すことにある。私は消費の現実をまず大きく2つに分けて考えていくことにしている。それは「必需消費」と「選択消費」で、前者は食費や住居費といった生きていくために必要な支出である。後者は教育費や娯楽費といったある意味無くてもかまわない支出である。日本や韓国の場合は全支出に占める教育費の割合が高く未来投資として必需消費に入るかも分からないが、「選択消費」はいわゆる「欲しいもの」消費と呼んだ方が分かりやすい。

この2つの消費は、確か1989年のバブル絶頂期に「必需消費」の支出を「選択消費」が上回り、豊かな生活時代を迎えたと言われてきた。寒さをしのぐ被服ではなく、デザインという自己表現の一つとして、「欲しいもの」消費があった。そのシンボリックな商品がインポートブランドであった。当時流行ったキーワードが、「一点豪華主義」あるいは「ひととき貴族」として、一億総中流層と呼ばれたマス市場に広がった。しかし、1990年代初頭のバブル崩壊後は、生まれたときから豊かであったポスト団塊世代の女性達がブランド市場の中心となった。そして、今回の米国発の金融バブルの崩壊、世界的な不況の波が押し寄せてきた。

今一番生活者市場が注目・関心を寄せているのが「価格」である。それは高額ブランドも同じで、今やアウトレットや質流れ催事で購入、もしくはネット上で一番安いブランド商品を購入することが当たり前となった。希少価値の高いヴィンテージ物も値下がりしていると聞く。ところで希少価値として一番高いものはと言えば、一点しかない絵画を始めとした美術品であろう。こうした美術品も全体として値下がりしていると聞く。従来の価格を構成してきた「資産価値」が崩壊しているということだ。価値はそれを求める人達の競争によって決まる。その競争とは何であったのか。資産価値なのか、美固有の価値なのか。本来の美という固有価値競争が生まれないほど、市場というパイが小さくなったということだ。そこで東京の東武百貨店池袋本店では絵画ではなく、タツノコプロと提携したアニメの版画を2〜4万円で販売する試みまで始まっている。

つまりブランド価値とは何か、その根本が今問われているということだ。前回「プロの逆襲」で書いたのも、プロは「見えないところの技」を持ち、それが大きな違いという価値となることを説明した。ブランド価値はそうしたプロの手によって、時代変化(顧客)という風によって磨かれ、それら変化は堆積し、今へと至る。そして、どんなに変化しようとも変わらない「何か」が継承される。継続し続ける顧客価値といっても良い。つまり、それほどに深い文化価値としてあるのがブランドだ。これがブランドの原点である。

ブランドも過剰というバブル崩壊の洗礼を受けている、いやこれから先も受けるであろうということだ。今月20日に解禁されるボージョレヌーボーの輸入は前年比20%減、ピーク時の2004年と比較するとほぼ半減である。輸入減は過剰在庫があることもあるが、お祭り騒ぎは終わったということだ。本当のワイン好きが、今年のワインはどうかと楽しむ、本来のマーケットに戻ったということである。悲観も楽観もない。やっと本来のブランドマーケットに戻ったと考えれば良いのだ。東洋思想に「外は広く、内は深い」という考えがある。私流に解釈すると、自分(商品)を見つめ直す外(顧客)の眼と、自分(商品)を失わないための内(アイデンティティ)なる心が共に必要である、と。ブランドばかりか、身の回りのある多くの過剰・バブルを見据える一つの視座ではないかと思う。(続く)

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2008年11月16日 (日)

プロの逆襲

ヒット商品応援団日記No317(毎週2回更新)  2008.11.16.

タイトルのように「プロの逆襲」と書くと、今は素人の時代と思われるかもしれない。バブル崩壊後、本業、本道、本物、匠、専門、こうしたキーワードが物づくりやサービスの主流を占めてきた。しかし、ここ数年前から、そうしたプロの世界がいとも簡単にユーザー・顧客の側に移ってしまった。例えば、料理の世界でいうと、料理人の固有であった技・レシピは書籍どころかネット上に溢れ、プロが使う道具類についても浅草近くにある「かっぱ橋道具街」に行けば同じものが購入できる。レシピ本「おつまみ横丁」がベストセラーになり、家庭で作るパン焼き器なんかがヒット商品になる。酵母菌の知識ばかりかプロ仕様と言われてきた素材や道具がいとも簡単に手に入るようになった。パン好きが高じてパン屋を始めたり、蕎麦好き、お菓子好き、家庭菜園好き・・・・好きはプロの入り口となり、起業する人が増えている。このこと自体は決して悪いことではないが、プロとセミプロ素人との境目が無くなりつつある。

こうした傾向は料理ばかりかあらゆるところに表れている。「ゆるキャラブーム」を下支えしているのは、プロのデザイナーではなく、漫画やアニメに慣れ親しみイラストを気軽に書いている若い世代がチョット投稿してみようかといった具合である。プロの小説家による書籍が売れない中、ケータイ小説のヒットもそうしたユーザー・顧客の側から生まれた。金融の世界におけるデイトレーダーも同様である。今までの作り手、供給者がユーザー・顧客の側に移ったということである。数年前からサービス現場で言われてきたことは、目の前の顧客は知識も経験も積んだ「プロ顧客」であると認識しなければならないと。生半可なプロは通用しない時代になったということだ。

こうした時代にあってプロはどう対応しているであろうか。生半可なプロ、あるいは一般化してしまった専門業態には2つの道しか残されていない。1つは今以上に価格を下げて、変化を取り入れ回数多くビジネスを回していく方法である。もう一つが、時を超えて変化に動かされることのない「何か」を創り、継承していく道である。前者を変化対応型トレンド追求ビジネス、後者を老舗型伝承ビジネスと言えよう。あるいは欧米型と日本型と置き直してもかまわない。商品や業態にもよるが、実は現状においては前者の方が圧倒的に市場規模は大きい。

ビジネスを類型化していくと以上のような道となるが、より根本のところでプロの逆襲が始まっている。結論から言うと、「作り手」をユーザー・顧客から取り戻す試みである。以前、「歌が痩せていく」というテーマでブログを書いたことがあったが、その時代変化を歌手と聞き手という関係に置き直してみると分かりやすい。今や歌は簡単にしかも200円〜300円と安くダウンロードできるようになった。また、高校生からシニアまでカラオケに行ったことがない人を探すのが難しいぐらいの時代だ。作り手であった作詞家・作曲家はネット配信やカラオケで歌われることを前提に楽曲を作るようになった。いわゆる歌のマスプロダクト化、大量生産大量販売である。結果、歌いやすいメロディ中心の楽曲となり、歌はユーザー・顧客の側に移り、歌い手として存在するようになる。こうした歌のマスプロダクト化は、売れ筋ばかりのものとなり、類似曲が溢れすぐに飽きられてしまうという宿命を持つ。歌も他のトレンド商品、情報商品と同じように、ライフサイクルは極端に短くなっていく。

ところで、作り手としての「歌い手」を取り戻す、プロの逆襲の先鞭をつけたのは氷川きよしであろう。そして、最近では黒人演歌歌手ジェロで、「海雪」は30万枚のヒットとなった。両者共に、歌い切るには高度な技術を必要とする。作り手であったユーザー・顧客は、今一度「聞き手」へと戻っていく。こうした取り戻しには作詞家や作曲家の本来の役割回帰が必要であるが、楽曲の最終表現者はやはり「歌い手」である。あの阿久悠さんが最後に作詞し、歌謡曲復権の原石としたのが、「あさみちゆき」である。東京ローカルではあるが、数年前「井の頭公園の歌姫」として、その路上ライブが話題となった歌手だ。阿久さんが作詞したアルバム「あさみちゆき;青春のたまり場」は8万枚売れているという。原石がどのように磨かれ、次の歌謡曲の作り手となりえるか分からない。
歌は時代を映し出す鏡のようだと言われているが、それは聞く人の心の底に沈殿している出来事や風景を想起させてくれるからである。その根っこのところに、言葉、作詞がある。時代の歌とはそうしたものだ。

歌の場合、プロであるために歌の根っこに言葉を置く。どんな言葉が時代の空気感を振動させるか、歌い手はその小さな物語を創っていく。例えば、パン屋さんはその根っこに「何」を置くのであろうか。寿司屋さんはどうであろうか。ロボット技術の発展は凄まじく、にぎりの職人技のかなりの技術部分を網羅し、機械が提供している。今、東京で静かなブームとなっているのが、昔からある江戸前寿司である。職人の手作りとなるこはだの酢じめ加減、手作りされる煮蛤や煮穴子、いわゆる見えないところの「下処理」、「加減」にプロの技がある。ある意味、京料理が廃れない理由が「出汁(だし)の取り方」にあると言われているのと同じである。基本が持つ奥行きの深さ、見えないところにプロの技があり、それを支えるのが手間を惜しまないプロの精神である。見えないということは、小さな違いである。決して大きな分かりやすさはないが、どこか違う。そんなプロの技は細部の見えないところに宿るものだ。
残念ながら景気はますます悪化していく。消費心理は内側へ内側へと向かう。価格を超えてこの内側に入ることができるのは、作り手としてのプロの技、プロの精神によってである。これから、プロの逆襲が始まる。(続く)

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2008年11月12日 (水)

「今」という時代の空気感

ヒット商品応援団日記No316(毎週2回更新)  2008.11.12.

2008年度の新語・流行語大賞候補60語の発表があった。(http://singo.jiyu.co.jp/index.html)昨年は「(宮崎を)どげんかせんといかん」と「ハニカミ王子」が大賞であった。同じような意味で、その年の世相漢字の公募があるが、昨年は「偽」であった。食品偽装を始め、年金記録や政治活動費の「偽」が社会問題化し、嘘つきばかりが蔓延している時代を良く表していると思う。そうした時代を「どげんかせんといかん」と誰もが思う、閉塞感が強く出た一年。そうした中にあって、爽やかな風を送ってくれたのが「ハニカミ王子」であった。

流行語大賞も世相漢字も12月にならないと決まらないが、2007年が「偽」が蔓延する閉塞社会であったのに対し、今年は更に「危機」へと進行しているように思われる。流行語大賞候補には「汚染米/事故米」「毒入りギョーザ」「メタミドホス」 「サブプライム」があり、「どげんかせんといかん」という思いは「再発防止検討委員会」どころか「チェンジ(CHANGE)」が求められ始めた、ということであろう。一方、「ハニカミ王子」の流れでは、北京オリンピックソフトボールで金メダルをとった「上野の413球」、 あるいは北島康介選手の「何も言えねー」なんかも選ばれており、ピュア(純粋)コンセプトは時代の通低であると言えよう。

今年の特徴の一つが、やはり政治における出来事や言葉が多くなっている。「ねじれ国会」 「霞ヶ関埋蔵金」「居酒屋タクシー」「(福田前総理による)あなたとは違うんです」といった具合で、政治においても具体的な「危機」が進行していると言えよう。こうした危機的社会では、その裏側ではとりとめのない、単純に笑うしかないようなことが受ける。候補にも入っているが、「キターー!! 」「グ〜! 」「ゆるキャラ」「せんとくん」「おバカキャラ  」「世界のナベアツ」「 ポ〜ニョ、ポニョポニョ、さかなの子〜♪」といった具合である。ある意味、ヴィヴィッドな感性が摩耗してしまった時代を表しているように思える。

ところで、先日筑紫哲也さんが亡くなられた。筑紫さんへのコメントはそれこそ「多事争論」あるが、「ニュースに声を与えた最初の人」であったと発言していたのはコラムニスト天野祐吉さんであった。いままでの無表情な文字の羅列であったニュースに、思いがにじむ、息づかいがわかる「声」を与えた人であったという。「今」という時代の空気感を伝えてきた数少ない一人であった。私は感性が摩耗してしまった時代と書いたが、感性を声と置き直しても意味はかわらない。多事が他事になってしまい、争論されることなく、沈殿しつつあるように思える。そうした意味で、筑紫さんが亡くなられたことは「声」を失いつつある時代の象徴のように思えた。

こうした時代にあって大きなヒット商品、メガ・ヒットは出てこないであろう。もし、あるとすれば今まで無かった新技術や新素材、あるいはそれらを取り入れた新しい仕組みによる商品化ぐらいであろう。例えば、この秋冬でどの程度売れるかわからないが、注目したいのがユニクロの「ヒートテック」である。身体から発散する水蒸気を吸収して発熱し、保温する新素材を使った肌着やタートルネックシャツである。価格も790円〜1500円と買いやすい設定となっている。

内側に向いた安心を求める心理市場にあっては、今は小さなヒットを繰り返すことが賢明なビジネス指針であるといえよう。前回、「Yes we can 物語」というキーワードでオバマ米国について書いた。どの程度の変化となるか未知数ではあるが、日本の場合は「危機」にあるにも関わらず迷走を繰り返し、風はいまなお吹いていない。しかし、以前書いたことがあるが、例えばアニメ映画の宮崎駿監督やサブカルチャーの流れを組む村上隆さんのビジネス、あるいは私の知らないところで黙々と「何か」を創っている無名の人々がビジネスに新しい風を吹き込んでくれると思う。(続く)

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2008年10月22日 (水)

文化は経済を引っ張っていけるか

ヒット商品応援団日記No310(毎週2回更新)  2008.10.21.

少し前に、東京の地価は昨年から下がり、都心のマンションも下がり始め、近郊のマンションではアウトレット化が始まったと書いた。いわゆる現金で安く買って、安く提供する再販業者ビジネスのことであるが、バブル崩壊後に生まれたビジネスが再度注目され始めた。当時と較べ家電製品や家具付きといったおまけ付きの販売も出てきている。住宅販売戸数は激減していることは言うまでもないが、これが人生で一番高い買い物である都市部住宅販売の現状である。
2年ほど前までは、文化が今後のビジネスを引っ張っていく新たな価値になるであろうと、多くのマーケッターは予測もし、実際ブランド価値の中心に文化価値を置いてビジネスを行ってきた。前回書いた「わけあり」に創業者の生きざまや志しといった人生価値、あるいは匠の技、伝承の手技といった無形の固有価値を「わけあり」として、価格の在り方を見出していた。私もそうした価値論者の一人であった。

こうした価値は、ある意味憧れとしての特権階級の文化的価値であり、何よりも他者との違いを見出せる差別価値としてファッションを中心に広がっていた。その代表的呼称が「ヒルズ族」であったと思う。富裕層は別であるが、そうした価値を量的に担っていた中流層にとって、その象徴がルイ・ヴィトンであり、年一回位のリゾートはバリ島のアマンリゾートに行ってみたいといった世界であった。既に何回かこのブログでも書いてきたので結論だけいうと、中流層の解体により一定規模あった文化マーケットはパラレルな形で縮小した。今、顕在化しているマーケットは趣味やマニアといったコレクションマーケットだけとなった。金融危機により、保有する資産価値が減少するなか、本当に好きで他に変え難いとするマーケットだけである。これが本来のマーケットであり、規模ということだ。それすらもアウトレットで買う時代となった。

ところで、西欧における文化価値はオペラやバレーに代表されるように特権階級である貴族を喜ばせるものとして生まれた。私たちのライフスタイルのルーツ・原型は江戸にある、というのが私の持論であるが、江戸文化は庶民文化である。庶民の楽しみとして生まれ育った歌舞伎は次第に奥女中や武士がお忍びで見に行くようになる。西欧文化が上から下へと伝播していったのとは反対に、江戸文化は下から上へと広がっていったのである。相撲、花火、花見、寄席、俳句、船遊び、浮世絵、これら全て庶民、生活者から生まれたものである。江戸中期以降になるとお伊勢参りという一大旅行ブームが起こるが、江戸を中心とした五街道が整備され、心配なく旅を楽しめた。この五街道は商人が通いつくったものであるが、西欧の道路は全て軍事道路としてあったのとは好対照である。

今、静かな江戸ブームが起こり、日本橋界隈を歩く人達が増えていると聞く。今なお残る黒板塀の老舗を散策しながら、室町砂場で蕎麦を食べたり、あるいは洋食の泰明軒でオムライスを食べるといった具合である。江戸文化と比較されるのが貴族文化の残る京都であるが、町家を散策しながら、先斗町(ぽんとちょう)ではお茶屋さんではなく、路地裏のおばんざい料理を楽しむといった具合である。東京も京都も同じように、今なお残る庶民文化、生活文化を楽しむことのなかに、文化価値を見出しているということだ。

文化とは分かりやすく言えば、道楽、暇つぶしであるが、時間的経済的余裕がないと楽しめない、と言われてきた。しかし、単純比較はできないが、江戸時代には大きな飢饉がいくつも起こり、あるいは火事盗賊も横行していた。「宵越しの金は持たない」と江戸っ子を表現するせりふがあるが、実際は貧しくて宵越しの金は持ちえなかったのである。江戸には福祉やボランティアといった言葉はなく、「お金のある人はお金を出し、力のある人は力を貸す」ということが当たり前の社会であった。今、江戸ブーム、京ブームが起きているが、そのブームの先に庶民生活に残る先人達の知恵や工夫、それらを豊かさとして楽しめる社会を見出していくと思う。

文化は時間が育て、時間をかけて伝播していくものである。知恵や工夫はすぐには文化価値にはなりえないということだ。従来のビジネス感覚、スピード感覚とは全く異なる次元のものである。熟成という言葉があるが、文化の本質を表していると思う。文化は経済を引っ張っていくとは思うが、急がば回れ、である。(続く)

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2008年10月16日 (木)

反語の時代 

ヒット商品応援団日記No308(毎週2回更新)  2008.10.16.

日本人4人のノーベル賞受賞に続き、ノーベル経済学賞に米国のポール・クルーグマン教授が選ばれたと報じられた。レーガン政権で経済諮問委員を務め、現在は反ブッシュの代表的な論客であるという。ブッシュが進める新自由主義路線の延長線上に今回の金融危機があり、なんとも皮肉な受賞である。クルーグマンは、米共和党政権が高所得者への減税を拡大する一方で福祉を削減し、格差を広げたと指摘。米国が経常赤字を膨らませながら、世界中のお金を吸い上げて繁栄する構図について、現在の金融危機が深刻化する以前から「世界恐慌前夜に似ている」と警告していた。新自由主義、市場原理という市場のダイナミズムにまかせるという考えは、今回の公的資金の導入によって自ら破綻を宣言したようなものであるが、今回のノーベル経済学賞は更に駄目押しをしたようなものだ。

ところで2009年度のノーベル賞ならぬイグノーベル経済学賞にはリーマンブラザーズ社の会長、いや米国現政権の財務長官ポールソン(元ゴールドマン・サックス社会長)が選ばれるかもしれない。ちなみに、私がヘッジファンドという言葉に接した最初の経済記事が、あのエネルギー商社エンロンの破綻(2001年12月)であった。その翌年のイグノーベル経済学賞を受賞したのがエンロンとその役員達である。

反語といえば今最も反語的存在なのが、ロックミュージシャン、タレントのDAIGO君であろう。あの元首相竹下登氏の孫である。世襲政治家の問題が指摘されるなか、自力でミュージシャンになり、TVに登場するや元首相をじっちゃん呼ばわりし、その存在感を見せた。時代を過激なまでにおちょくったのが、ツービート(タケシ)であったのに対し、存在そのものがおちょくりとなっているのがDAIGO君だ。「元首相の孫」なんてこの程度といってくれている訳である。

反語を批評・批判といっても、皮肉・おちょくりといってもかまわない。本来ジャーナリズムの存在理由の一つであったが、最早その機能を果たしえない存在になっている。そうした中で、DAIGO君の他にも、昨年木村伊兵衛賞を受賞した写真家うめかよ(梅佳代)さんなんかも、時代を痛切に批評していると見えなくもない。おじいちゃんが大好きで、「年をとるってかっこいい」と、「写真をとっていればおじいちゃんは死なない」といって写真を撮るうめかよは、ユーモラスな写真のなかに、今日の高齢社会の問題をするどく切り取っていると思う。

「見えないものを見る」、そこに時代の本質を見出すという反語的世界に生きるのがアーチストだと思うが、一方でそうした表現力を持ちえない人間はどうするかである。言葉にならない言葉、表現できない表現、それは沈黙となるしかない。沈黙を解き放してくれる一つが歌謡曲であったが、前回書いたように歌謡曲は痩せていく。言葉の原初的形態は音であった。悲しくて歌は生まれ、うれしくて歌は生まれ、何かを伝えたくて歌は生まれた。私の場合、そんな野生が残る場所の一つが沖縄であった。反語的とは、過剰情報のなかに沈殿している沈黙、都市が産み出した見えないものから生まれる一つの表現かもしれない。(続く)

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2008年10月12日 (日)

歌が痩せていく

ヒット商品応援団日記No307(毎週2回更新)  2008.10.12.

「歌が痩せていく」と語ったのは、昭和と平成の境目を生きた作詞家故阿久悠さんであった。平成の始まりとと共に、歌謡曲という言葉が消えたという俗説を半分認めながらも、阿久悠さんは「歌謡曲というのはそんなひ弱なものではなく、時代を呑み込みながら巨大化していく妖怪のようなもので、めったなことでは滅びたりはしない」と語っていた。
昭和にあって平成にないものを周知のように阿久悠さんは小林旭に歌わせた。代表作である「熱き心に」の8年後に、「あれから」(1993年)を作詞し同じように小林旭に歌わせている。
 心が純で 真直ぐで
 キラキラ光る 瞳をしてた
 はにかみながら語る 夢 大きい・・・・
純も、キラキラも、はにかみも、夢も、日本人が失ったものであったと阿久悠さんはいうのだが、これらのキーワードは歌にではなく、違ったところで生きている。阿久悠さんがいみじくも語っていたが、日本人が失ったものを探し出すには2つの方法がある。1つが昭和の秋の最後を語ること、もうひとつが平成の春を語ることであると。

これらの詞にまずピンと来るのが、夏の甲子園で活躍した早実の齋藤投手ハンカチ王子であろう。以降、ハニカミ王子石川遼君までの王子ブームとなって生きてきている。王子ブームという社会現象は後者の流れにある。勿論、歌として唯一継承している氷川きよしも後者に入る。「はにかみ」はないが、純で好奇心に真直ぐなキラキラ光る写真家梅佳代(うめかよ)なんかも平成の春を語ってくれている一人だ。

ところで、暗いニュースのなかで、4人のノーベル賞を受賞した科学者に、今なお失ってはいない何かを感じた人が多かったと思う。特に、益川教授は自らおしゃべりだと話し、表敬訪問した文部科学相に対し、受験問題に触れ「選択式の試験問題は考えない人間を育てている。今の教育は汚染教育だ」と。ひときわ異彩を放つ益川教授に、私は「心が純で真直ぐで・・・・・」と作詞した阿久悠さんの顔が重なって見えた。比較するのも失礼だが、4人の科学者は昭和を語る前者の方で、何か「ザ・日本人」とでも呼べるような清々しさを感じた。

晩年、阿久悠さんは「昭和とともに終わったのは歌謡曲ではなく、実は、人間の心ではないかと気がついた」と語り、「心が無いとわかってしまうと、とても恐くて、新しいモラルや生き方を歌い上げることはできない」と歌づくりを断念する。歌が痩せていくとは、心が痩せていくということである。
果たして、平成の歌謡曲は生まれてくるのであろうか。作家五木寛之は「変わる時代に変わらないものは何か」と問い、それは「人間の関係」、目の前にいるその人との関係を大事にすることだ、と語っている。バラバラになった関係が取り戻される時、そこに新しい歌謡曲が生まれるかもしれない。(続く)

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2008年9月10日 (水)

もう一つの沖縄

ヒット商品応援団日記No297(毎週2回更新)  2008.9.10.

ブログの更新が1週間ぶりになってしまったが、実は好きな沖縄に行っていた。目的は沖縄の若い世代による「コト起こし」を応援する小さな塾を開いていることと、「オールディズ」をテーマに沖縄県内の主要な4バンドが競演するライブイベントが音楽観光による街起こしとしてスタートしたコザのミュージックタウンで行われたからである。

沖縄=音楽というイメージは、マキノ正幸氏によって創られた「沖縄アクターズスクール」から安室奈美恵やSPEEDといった多くのミュージシャンが生まれたことによるものであろう。今回行われたコザミュージックタウンには昨年夏オープンした直後に見に行ったことがある。大きな音が流れているなと思ったが、その音は中学生によるブラスバンド練習によるものであった。今回、案内していただいたM氏に聞くと学校教育の必須科目として楽器演奏が組み込まれているという。先祖を迎える盆には歌い踊り、豊作を願って踊る。こうした日常に即した生活の中に歌や踊りはあった。お盆は単なる休日と化し、分業化された現代では豊作を願うことなど既に理解を超えたものとなっている。ああ、まだ沖縄には歌い踊る方法が教育の場でなされているなと思った。

私が沖縄が好きになった理由は、南国リゾートのきれいな海や空といったものではなかった。今から10年ほど前、初めて一人で沖縄の路地裏歩きをした。国際通りから市場通りに入り、更に先に進むと段ボールにフルーツを入れただけの露店があった。後に分かるが、それまで見たことも無い、赤いドラゴンフルーツがあった。立ち止まって見ていたのだが、露店先で話してい「おばあ」と「おじい」の話がまるでわからないのだ。外資系企業に数年勤めたことのある私にとって、NYの街中で話されている会話は少しは理解できる。しかし、理解不可能、まるで分からないことにショックを受けた。知らないことは山ほどあるが、これほどまでに理解を隔てた文化が身近なところにあることに驚かされた。それまで20数回は仕事や遊びで沖縄を訪れていたが、空港とリゾートホテル、玉泉洞や琉球ガラス村、国際通りといった観光コース、車窓から見える米軍基地や町並みといった、ある意味点と点を結んだ沖縄でしかなかった。もう一つの沖縄にふれてみたい、それが始まりであった。

こうして始まった沖縄路地裏歩きの楽しみの一つが食であった。それまではホテル内の沖縄料理、宮廷料理の料亭那覇、沖縄舞踊が楽しめる四つ竹、あるいはネット上に出てくる山本彩花といった店へ行ったが、料金を考えるとそれほど美味しいとは思えなかった。観光客が行かない、地元の人達が日常食べている食堂へと足をのばした。時にはうさんくさく見られたが、それは仕方がないことである。沖縄そばから始まり、ナーベラー(へちま)の味噌煮、チャンポン(長崎チャンポンではなく、野菜炒めの卵とじをご飯にかけたもの)、フーチャンプルーやゴーヤチャンプルー、ジューシー(沖縄の炊き込みご飯)、更にはヤギ汁やテビチの煮付けまで。私にとってヤギ汁以外はどれも美味しい食べ物であった。

もう一つの楽しみが路地裏ならではの素敵な街並である。私が沖縄へ行けば必ず歩く通りがある。それは国際通りと久茂地川とに挟まれた通りで、住宅やカフェが混在する通りであるが、その建物の軒先はハイビスカスやブーゲンビリアといった鮮やかな植栽で飾られている。その通りには久茂地小学校があるのだが、その小学校にも季節の花々がフラワーポットで栽培されている。音楽もそうであるが、軒先を花々で飾る生活とは文化度の高さを示していると思う。
今、京都の友人に言わせると、京都観光の中心は路地裏観光へと変化している。沖縄もそうした生活文化を楽しむ観光へと変わり得れば、もう一つの観光資源を生かすことになると思う。以前、裏が表になり、路地が本通になる、あるいは賄い料理という裏メニューが表メニューになると書いたことがあった。興味・関心は、先へ、奥へと進化するもので、表裏を逆さまにしてしまう時代だ。恐らく、今回のコザミュージックタウンで行われたライブイベントも、那覇の裏通りの素敵な街並も、もう一つの沖縄観光、沖縄生活文化観光のメニューになるであろう。(続く)

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2008年8月17日 (日)

ロングライフ志向

ヒット商品応援団日記No291(毎週2回更新)  2008.8.17.

先日4−6月のGDPが前年同期比−2.4%、個人消費や設備投資、輸出もマイナス成長で、景気後退局面に入ったと発表があった。生活実感からすれば、昨年後半から既に始まっていることだ。折しもマンションや商業施設などの開発を手がけ急成長してきたアーバンコーポレーションが2500億を超える負債で民事再生の申し立てをし、2008年最大の倒産であると報じられた。前回、「大人の夏」というテーマで大人になった北島康介選手を取り上げ、「大人消費」が本格化するであろうと書いた。流される景気などの情報に右往左往しない、自らの実感を基にした賢明な生活経営が始まるということだ。以降も北京オリンピックでの日本選手の活躍が報じられているが、送り手であるマスメディアの加熱ぶりとは逆に、視聴者は静かな応援だ。その証拠ではないが、北京オリンピックの開会式の視聴率は37.3%であったという。(ビデオリサーチ/関東地区)この視聴率を高いと見るか低いと見るかは議論が分かれるところであるが、他の競技の視聴率を見ても分かるように、その多くは一桁台の視聴率である。(http://www.videor.co.jp/data/ratedata/program/oly_sum/2008_bei1.htm)つまり、一人ひとり、多様な好みのなかで自律的に行動している、別な言葉でいうと「大人の行動」ということだ。

2008年後半、「大人の生活者」は物価は上がっても下がることはないと思っているし、少々の景気対策程度で良くなるとも思ってはいない。エネルギーを始めとした原材料の高騰、一方生活者との消費接点では今なおデフレ傾向。この1年ほどこうした一種のねじれ構造のなかでの消費傾向を書いてきたが、その方向が変わることはない。まだ未成熟なところもあるが、着実に成熟した生活経営、新たな価値観形成へと向かっていると、私は考えている。いくつか芽となって出てきているキーワード「ロングライフ志向」もそうした新しい価値観の一つだ。永く使い続けたい、愛着が湧く、馴染んだ感じ、どこかほっとする、そんな価値世界である。大量生産大量消費の時代から、少量生産少量消費の時代へと置き換えてもかまわない。エコライフにもつながる価値観であり、生活文化を楽しむといってもかまわない。固有な生活文化が未だ残っている地方を掘り起こす時代。あるいは商品で言うと、作られた原点に戻り、復刻させていく試みなんかも始まると思う。単なる消費というより、商品を育てていくと言った方が正確であろう。

ロングライフ志向を具体的に見ていくとイメージが更に湧くと思う。使い慣れた、着慣れた、食べ慣れた、住み慣れた、そんなライフスタイルである。次々と変化情報=刺激が押し寄せるなかで、それでもなお使い続けたい、食べ続けたい、住み続けたい、とする価値観である。それを表面的には保守的、オーセンティックな世界のように見えるかもしれないが、実はモノの本質に迫るということだ。よく素材にこだわっているといったように「こだわり」を売り物にしているが、理想とする「何か」のためにこだわるのである。ロングセラー商品の多くはそうであり、ランキングなどには入ってこない商品である。価格は割高になるが、永く使うことによりコストパフォーマンスも満足させる商品となる。また、アートという視点に立つと、アート(芸術性)を完全の美とするなら、ロングライフ商品は不完全の美、つまり観賞を楽しむアートというより、使い込むことによって得られる「用の美学」の世界だ。

例えば、「住む街」であれば、永く住み続けたい街、愛着が湧く街、そうした街づくりがデベロッパーや住宅メーカーあるいは行政の目標となる。そして、「何を」もって永く暮らしたいとさせるかが、いわゆるコンセプトとなる。このブログでもエコ社会、エコライフの源流である江戸時代のライフスタイルについて書いたことがある。そのなかで、「里山」という自然との共生の知恵活用にもふれたが、今住宅メーカー積水ハウスの戸建住宅で「5本の樹計画」として里山づくりが実行されつつある。時間をかけて街を育てていこうというコンセプトであり、ロングライフという考え方の一つだ。

消費が収縮したとよく言われるが、表面的には市場は小さくなりそのように見える。成熟へと向かうこととは、生活から余剰、過剰を取り去ることから始まる。取り去ってもなお残るもの、そうしたモノ達との暮らしがロングライフ志向である。バブル崩壊以降、「豊かさとは何か」が問われ続けてきたが、ロングライフ志向もそうした豊かさの一つだ。(続く)

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2008年8月 6日 (水)

ジャーナリストの眼

ヒット商品応援団日記No289(毎週2回更新)  2008.8.6.

先日漫画家赤塚不二夫さんが亡くなられた。ほぼ一年前に亡くなられた阿久悠さんの時にも感じたことだが、ああまた批評家精神溢れる方が亡くなられたな、と。時代が抱える病や気分、あるいは飢餓感そのものを、漫画で歌謡曲でわかりやすく批判・批評してくれた方達だ。ジャーナリストの果たす役割は、権威や権力あるいは既成から離れ、批判批評的精神をもって、「見張る」こと、「指摘(表現)する」ことにある。そうした意味で、赤塚不二夫さんも阿久悠さんもジャーナリストであった。

既成マスメディアによる情報から離れ、「常識の嘘」あるいは「本質をつこうとしない既成情報」を指摘するメディアは極めて少ない。その少ない中で、周知の村上龍さんが主宰するJMM(http://ryumurakami.jmm.co.jp/)で今面白い論議が行われている。それは福田改造内閣における財政立て直し、数年前からマスメディアから一方的に流されてきた「日本の財政赤字」についてである。結論から言うと、800数十兆に及ぶ赤字はほんとうに「過大」であるのかという素直な疑問と指摘である。ある意味、絶えず流されてくる情報による刷り込みで今や「常識」となったテーマである。最初に指摘をしたのは経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元氏である。国家の借金を家計の借金になぞらえて、借金の大きさの危機感を煽っていると指摘。全てを売却できる訳ではないが、国は300数十兆円もの資産を保有している。そうしたことを踏まえ、まず必要なことは国の借金の最適化、つまりいくらぐらいであれば返済可能であるか目標を明確にすべきで、国民とのコンセンサスこそ大切であるとの論議である。つまり、グローバリゼーションという初めて経験する時代にあって、財政健全化とは「何を」指していうのか、ということだ。

私はこの議論をするだけの金融経済のプロではないので、JMMで展開されている「常識の嘘」論議を見守りたいと思う。ただ、こうした嘘を見抜こうとするジャーナリストの眼はビジネスにおいても必要不可欠であると思っている。経営の師といわれるP.ドラッカーは自らを社会生態学者(ソーシャルエコロジスト)とし、社会に起きている様々な事象・変化を追い続け、結果として膨大なビジネス指針を書いた。社会学者であり、経営学者であり、歴史学者であるが、何よりもまして文明批評家であった。

私はこのブログで少し前にこのように書いた。
「バブル崩壊以降、失われた10年と言われてきたが、そうではない。生活者も、作り手も、十分学習してきた。その学習のヒント、未来への芽が『過去』にあるということだ。」
一昨日、数年前に一度見に行った東京奥沢環八沿いにある「D&DEPARTMENT」(http://web.d-department.jp/project/index.html)を再訪した。一見時代遅れのような試みを始めたナガオカケンメイさんによるショップである。モノ不足を終え、豊かになり始めた1960年代に「デザイン意識の原型」があるとし、流行に左右されないデザインを追求しようとするデザイナーである。阿久悠さんが作詞し河島英五が歌った「時代おくれ」そのものを実践しているかのような人物である。

「ロングライフデザイン」をポリシーとするデザイナーであり、当たり前であるが、ロフトの2階にあるショップは数年前とあまり変わらない印象であった。商品のライフサイクルがどんどん短くなる時代にあって、廃番商品を復刻させ、売り続けることこそが、結果としてブランディング=アイデンティティとなるという試みだ。売れないから廃番にした訳で、それを復刻させるなんてと誰しもが考える。しかし、ナガオカケンメイさんは自らショップを創り、売ってみせている。ここにも常識の嘘があるのだ。

実は店頭にあった柳宗理さんのフライパンを買ってしまったが、柳宗理さんの実父であるあの柳宗悦を思い起こしたせいである。周知の実父柳宗悦は、まさに 「生活美の追求者」と呼ぶのにふさわしい人物である。生活の中の「勝手道具」とか「不断遣い」というふうに呼ばれてきた生活道具の中に「無名の美」を見出した。日本で初めて常識である「有名の美」ではなく、「無名の美」を日本民芸運動として広めた方だ。今、ナガオカケンメイさんが実践されている世界は、柳宗悦の一見非常識に見える「無名の美」とつながっている。これも私にとってジャーナリストの眼の一つである。

今まで私たちは「有名の美」ばかりを追い求めてきた。いつしかそれらは常識となっていく。トレンドマーケティング、ベストセラー、サプライズ手法、勿論これら全てが間違いであるというのではない。しかし、一方で「使い慣れた、着慣れた、食べ慣れた普通が一番」とした顧客価値観が表へと出てきた。私はこのブログで「今、地方が面白い」「裏が表になる時代」「道草のすすめ」、「オネスト(正直)コンセプト」、・・・・・常識的に言われてきた時代認識とは逆行するようなテーマを書いてきたのも、既成となった常識を疑って、実際現場に足を運び実感したことによる。確実に新しいパラダイムへと転換が始まっている。そして、そこには必ず新しいパラダイムを体現したジャーナリストの眼を持つビジネス表現者がいるということだ。(続く)

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2008年7月30日 (水)

「過去」の中の未来

ヒット商品応援団日記No287(毎週2回更新)  2008.7.30.

個人化が進行していくと、情報源であれ、体験であれ、全てが個人単位となる。個人単位の世界を広げるために、SNSといったネットワークや地域&クラブコミュニティに参加し、少しでも判断視野を広げようとしてきた。しかし、そうしたある意味興味関心領域の横への広がりと共に縦への遡及が始まっている。
昭和の時代ぐらいまでは「家」という社会単位で受け継がれてきた常識、やり方や方法に基づいて日常行動や消費が行われてきた。今、そうした過去の常識、例えば「家庭の味」とか「しきたり」「慣習」といったことへの遡及&見直しが始まっている。つまり、自分の中に、いつの間にか横から得た情報によって「作られてしまった」常識を見直してみようという気づきである。養老孟司さんがいみじくも「バカの壁」で指摘してくれたことを日常生活の中で立ち止まり考え直してみるということだ。

この気づきがいわゆる回帰現象といわれていることの本質である。既に、「和」回帰を始め、極論ではあるが「過去」あったものに「回帰」というキーワードをつければ、それはそれで一つの世界が出来上がってしまうほどである。例えば、時間軸から見ていくとブームとなった「昭和回帰」や「′70年代回帰」、あるいは最近ではライフスタイルの原型となっている「江戸回帰」といった具合である。数年前から静かなブームとなっている「土鍋」や昨年のヒット商品となった「ゆたんぽ」なんかもこうした時間着眼から生まれてきたものだ。更には近過去であれば「学校(給食)回帰」なんかも既に商品化されている。場所軸から見ていくと、ブームとなっている「京都や奈良観光」は「日本の歴史・文化回帰」ということである。あるいは生まれ育った「ふるさと回帰」、その先にあるのが古民家ブームとなる。更には、先日ブログにも書いた「ホームグランド回帰」なんかも入る。人間軸から見ていくと、既に失ってしまった革新(マインド)の代表と考えると「坂本龍馬回帰」となったり、固有の手技を今なお継承している「職人回帰」となる。最後にテーマ軸でいうと、個人化の進行によって壊れてしまった人間関係の絆を取り戻す「家族回帰」であったり、「コミュニティ回帰」となる。

簡単に図式化してしまうと、こうした「時」「場所」「人」「テーマ」に沿って、商品開発やサービス開発が行われ多くのヒット商品が生まれてきている。私はこうした過去へと遡る消費を「思い出消費」と名付けたが、こうした個人的体験世界から少しづつ社会へと広がりを見せ始めている。
「過去」は単に古いものとしてではなく、潜在的にはそこに未来を見出す行為としてある。意識されないまま眠っていた無意識が、何かのきっかけによって思い出され、結果思い出となる。その延長線上に消費がある。今、東京を始めライブハウスは団塊世代を中心に満杯である。かくいう私も同じであるが、過去のオールデーズを聞くことによって、青春という元気さに触発される。つまり青春フィードバックという元気の未来を見出しているのである。一方、若い世代にとっては、横のネットワークからは得られない未知の新しさを感じるものであり、まさにOLD NEW(古が新しい)という未来だ。

ちょうど7月28日付けの日経MJのテーマに「マイナー魚に商機の網」と題し、漁獲の内捨てられていた約30%のマイナー魚を活用することを指摘していた。年間1900万トン廃棄されていた食の再活用と同じ発想である。農産物における規格外商品、基準外商品を生かす発想とも同様だ。過去に遡れば、禅僧による精進料理があり、マイナー魚を使った「もどき料理」をつくればよいのだ。カタカナで言えば「フェイク食品」であり、「かにかま」といったヒット商品もでてきている世界だ。例えば、未だかってないが、魚加工メーカーと禅僧とのコラボ、精進料理家とのコラボによる新しい精進料理メニューの開発なんかが該当する。作り手側も過去に未来を見出すということだ。活用する魚の栄養素や精進料理法次第では、新しいメタボ食品が誕生するかもしれない。

日本には四季という言葉があるように、自然に寄り添って生きてきた歴史がある。自然は豊かな恵みをもたらしてくれるとともに、また畏怖すべきものでもある。これが「寄り添う」ということの意味だ。悲観も、楽観もすることはない。バブル崩壊以降、失われた10年と言われてきたが、そうではない。生活者も、作り手も、十分学習してきた。その学習のヒント、未来への芽が「過去」にあるということだ。(続く)

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2008年7月27日 (日)

「私」を超えるもの

ヒット商品応援団日記No286(毎週2回更新)  2008.7.27.

甲子園へと高校野球の出場校が決まり始めた。一昨年、私は早実齋藤投手の活躍にハンカチ王子と名付けた背景を、後日このブログで「ピュアコンセプト」への共感=素の魅力からであると書いた。以降、ゴルフ界の石川遼君を始め、マスメディアは多くの「王子」を創ってきた。その良否は別にして、以降も大きな潮流として「ピュアコンセプト」は続いている。そのピュアコンセプトであるが、停滞する時代の踊り場にあって、失ってしまった素の世界、ありのままの世界、既に死語になってしまっている「純粋さ」への希求と言えよう。世俗やテクニックを削ぎ落とし、最後に残るもの。そうしたピュアコンセプト、素の魅力が求められている時代だ。サプライズといった騒々しさには辟易しているということでもある。消費面でいうと、これも好きあれも好きと、「私」に付け加えてきた過剰なものを削り、更に削ぎ落とし残るもの、という意味である。シンプル・イズ・ベストと言っても良い。食でいうと、素材を生かす、塩味だけ、手をかけない、ある意味本質・本当に戻ろうという潮流である。そして、物価高騰、景気後退はこうしたピュアコンセプトを後押ししている。

ところでハンカチ王子の年齢の倍近いあの野茂英雄投手が現役引退を表明した。その引退表明のコメントの中に「悔いの残る野球人生でした」という言葉に、多くの人は野茂の多くを語らない無骨さ・正直さが強くこころに残ったと思う。野茂投手の引退表明に対し、多くの名勝負をしてきた清原和博選手は、そのパフォーマンスについてこんなコメントをしていた。「野茂さんは、ここでフォークを投げれば必ず三振するのに、まっすぐで勝負してくる」「そんな持ち球をもっている投手は極めて少ない。多くの勝負をさせてもらってワシは幸せモンでした」と。観客は、野茂VS清原その一球に賭けたパフォーマンスを観に球場へと足を運んだのだと思う。そして、野球が好きで好きでたまらないが故に、「悔いが残る」とコメントした野茂投手に多くの人は生き方としてのひたむきさ、ピュアな世界に共感したのだと思う。マーケティンの視点に立つと、野茂を「職人」として理解した方が分かりやすい。「私」が及ばない生き方、技をひけらかすこと無く淡々とこなしていく世界を職人とするならば、「悔いが残る」と言った野茂は職人の中の職人である。

ピュアコンセプトを少し違う観点から見ていくと、例えば現在のデザイン潮流は、ノンデザイン・デザイン、シンプルデザインが求められている。あるいは、ノンエイジデザイン、ノン(ユニ)セックスデザインといってもかまわない。そうした潮流の意味は、デザイン主体が顧客の側に移ったということである。自分の好み・テイストが表現しやすいように、余計なデザインをするなということである。逆の言い方をするならば、職人としてのデザイナーがいないということでもある。顧客に媚を売らない、「私」を超えたデザイナーがいないということだ。
今、流行っている「ゆるキャラ」ブームも同じである。プロによる完成度の高いキャラクターではなく、その多くが公募されたもので、身近さ、受け手との距離感のない関係が気に入っているからだと思う。ここでも「私」を超えたピュアキャラクターとでもいうべき、強い物語性を持ったキャラクターが存在していないということである。

作詞家故阿久悠さんは「昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っている」とし、そういう時代の雰囲気の中で、男の影が薄くなったのではないか、そんな男のために「熱き心に」という曲を小林旭に歌わせた。今、問われているのは平成という時代の中で、「平成という世間」を語る、「平成の歌謡曲」の誕生だと思う。そして、やっとそうしたことを志す熱い心を持った若い世代が出てきた。大仰にいうと、ソーシャルアントレプレナー、ソーシャルデザイナー、社会起業家となるが、「私」を超える「平成の世間」にこそ大きなビジネスチャンスがあるということだ。(続く)

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2008年7月16日 (水)

ライフスタイルの素(もと)

ヒット商品応援団日記No283(毎週2回更新)  2008.7.16.

多くのマーケッターの最大関心事は、石油や穀物の原材料高による値上げが更に進んだ場合、生活者のライフスタイルにどのような「質的変化」を与えるかという一点につきる。今回の原油高については、1970年代のスタグフレーションを引き起こした第一次・第二次石油ショックと較べそれほど大きくはないものの、深刻さは生活の細部にまで問題化している。

昨年後半から私が指摘してきた変化は、結論からいうと厳選&回数減であった。今まで以上に厳しく選ぶ傾向、それは価格は勿論のこと、素材のクオリティからデザイン&スタイルまで、付加価値などという生半可な世界などすぐに見破ってしまう消費のプロが顧客となったという事実。更には、例えば毎週1回行っていた外食が2週間に1回となったり、シーズン毎に買っていたウエアは1年に1回となり、着回しコーディネートしたり、といった具合に回数を減らす消費傾向。あるいは、どうしても欲しいブランドはアウトレットでまとめ買い、といった消費も当然含まれる。つまり、ある意味では減選という「量的変化」についてであった。

こうした消費傾向は、いわば生活の質を落とさずに、節約したりやりくり算段したりといった生活を工夫する消費である。恐らく、これから出てくる論議は、収入ベースで考えると、1992年頃の生活水準であるとか、いや1985年頃である、といった過去に戻る論議となる。確かに、将来の収入に悲観的にならざるを得ない情況認識は多くの生活者の実感としてあり、一つの方法には違いない。しかし、もう一つの可能性は収入に合った、身の丈サイズの新たなライフスタイルの創造である、と私は考えている。

ライフスタイルというカタカナの世界が日本にもたらされたのは1960年代であったと思う。米国のTV番組を通じてもたらされたが、初めて具体的な商品を通じライフスタイル実感を提供してくれたのは故・石津謙介さんによる「VAN」であった。団塊世代にとっては懐かしいブランドであるが、単なるファッションではなく、アイビールックという米国の学生文化の臭いがするライフスタイルを提案し、大きな衝撃を広く社会に与えた。辞書をひけばわかるが、Lifeには生活としての意味と共に、生き方や生命としての在り方までを包含した世界としてある。つまり、ライフスタイルというキーワードはまさに今まで無かった概念世界であった。そして、今では当たり前となっているT.P.O.という時、場所、場面ごとの商品提案も新鮮であった。

以降、百貨店を中心に様々なライフスタイルが提案される。第一次、第二次オイルショック、ニクソンショックを経て、様々な角度、切り口によるライフスタイルが提案されていく。DINKS(ダブルインカムノーキッズ)というライフスタイルなんかもその一つであった。バブル崩壊以降、それまでの米国を中心とした「洋」のライフスタイルから「和」への転換、あるいは「スピードライフ」から「スローライフ」へと、ライフスタイルの見直しが始まる。団塊ジュニアによるセレクトショップが生まれ、個性化というキーワードと共に、自らライフスタイルを創っていく方向へと進化していく。

そして、21世紀を迎え、注目されたライフスタイルがLOHASであった。元々、米国スタンフォード大学で学びMBAを取得したビジネスエリートが、自ら創ってきた物質文明への批判、見直しが始まりであった。日本においては2004年4月の「ソトコト」創刊によって広く認知されることとなる。しかし、江戸のライフスタイルをスタディすればすぐ分かることであるが、日本は最もLOHASな国であったし、今もそうである。その潮流に「和」ブームがある。1年半ほど前に、この日本版LOHASについて次のように私は書いた。

LOHASが今なお最も生活現場に色濃く残っているのが京都である。「始末(しまつ)」ということばがあるが、単なる節約を超えて、モノを最後まで使い切ることであり、その裏側にはいただいたモノへの感謝、自然への感謝の気持ちが込められている。そして、「始末」には創意工夫・知恵そのもでもある。誰でもが知っている、「にしんそば」も「鯖寿司」も、内陸である京都が生み出した美味しくいただく生活の知恵・文化である。もう一つ素晴らしいのが、季節、祭事、といった生活カレンダー(旧暦)に沿った暮らし方をしており、「ハレ」と「ケ」というメリハリのある生活を楽しんでいる点にある。京都をLOHASの代表としたが、こうした風土に沿った固有の文化ある暮らしは、地方を歩けばいくらでもある。

まだ仮説の域をでないが、グローバリゼーションという新たな妖怪に対し、日本版LOHASこそ次なるライフスタイル創造という質的転換への着眼、あるいはヒントになるのではと思っている。適当なキーワードが無いため、ここでは日本版LOHASという表現を使うが、勿論2004年日本で展開されようとしたブランドとしての日本版LOHASではない。戦後60数年、私たちはライフスタイルを全て外から取り入れてきた。しかし、実は足下に知恵やアイディア溢れたライフスタイルの素が眠っていたということだ。(続く)

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2008年6月22日 (日)

文化型(蓄積)価値とコンビニ型(変化)価値 

ヒット商品応援団日記No276(毎週2回更新)  2008.6.22.

ここ2週間ほどいくつかのブランドをテーマに挙げて、時代と向き合い、時代と呼吸するとはどんなことであったかスタディレポートの概略を書いてきた。ブランドが時代の変化と共にある、その意味合いを、時代が求める使用価値を超えた何か、付加価値などといった表層の価値と異なる何かを、理解いただけたと思う。そして、ブランドは顧客が育てるもので時間がかかるということも。今回取り上げたブランドは高額なインポートブランドであるが、日本経済と同様に低迷している。高額商品も等しく、時代の雰囲気は直接消費に反映される。従来からの富裕層と呼ばれる人達は、株式市場が世界的に低迷しているとはいえ、経済的には変わらず豊かであり、都市ばかりか地方にもいわゆる資産家は存在している。

以前にも少しふれたと思うが、行動経済学におけるプロスペクト理論では、人間が感じる感覚差(幸福感)を明らかにしている。その内容であるが、人間が気にする富の参照点(どこを参照して見るか)を設定し、それよりも上の富を所有する時の感覚の増大さよりも、参照点を下回る場合の減少の方が二倍以上大きいとされている。例えば、年収の平均を参照点と考えるならば、収入が平均以上の差を付けているという喜びよりも、差を付けられているという悔しさの方が二倍以上大きいという理論である。もっと分かりやすく例えると、「勝ち組」の喜びよりも、「負け組」の悔しさの方が感覚差として二倍以上大きいということだ。そして、私が指摘してきたようにバブル崩壊以降、それまで参照点という意識を無くしていた中流層の多くが下流層へと流れ込み、参照点を富の「平均」とするならば圧倒的に下回り、差をつけられているという感覚を持つ下流層が圧倒的に増大したということだ。これが時代の雰囲気を作っている。

勿論、参照点という視座は経済、富といったことばかりでなく、家族の幸福であるとか、生き甲斐であるといった非経済面での喜び・幸福感もある。情報の時代にあっては、どの市場を対象とするのか、顧客は誰かと共に、価値感覚として「何」を基準に見ているかを判断することが極めて重要な時代になったということだ。消費行動、特に日常においては明確に価格に関心が集まっているが、何故この価格なのかという背景を正直(オネスト)に情報公開しているOKストアを取り上げたのもこうした理由からだ。何故安いのか、何故高いのか、その理由を店頭で明確にすることが時代に沿った基準となり、顧客支持が集まっているということである。

ところでブランドの主要購買層である、従来の富裕層や新富裕層の独身キャリア女性・DINKS層の参照点・視座はどこに置いているかということだ。一つは「頑張った自分(達)へのご褒美」と「お気に入り」であると思っている。前者のヒット商品には定年後の夫婦向けの世界一周クルージングであったり、独身キャリア女性ではお一人様歓迎の「ヒトリッチ市場」なんかであろう。後者はやはりブランド市場ということになる。しかし、時代の雰囲気、格差感覚が充満する社会にあって、「喜び」心理は半減する。こうした格差感覚のある社会の解決には全体がよくならなければならないことは言うまでもない。

前回のロレックスのところでスオッチとブランド比較をした。顧客は何を見て価値としているかというと、ロレックスは文化価値(=アンティーク)であり、スオッチはデザイン価値(=変化・鮮度)であると指摘をした。前者を文化型商品、後者をコンビニ型商品と私は呼んだが、過剰な情報が行き交う時代にあってそうした価値を見出すには極めて難しい時代となっている。後者のようなトレンド型商品の場合は、極めて単純で「ランキング情報」もしくは「格付け情報」が物差しとなる。但し、ランキングNO1のみがベストセラーとなる。2位以下は物差しとはならず、多くのメーカーなどはNO1となるための話題づくりに投資するのである。過去サプライズというキーワードが流行ったが、これも過剰な情報時代に話題を集めNO1になるためだ。こうした消費、買われ方は変化・鮮度を求めるアパレルファッションのみならず、食品、化粧品、更には書籍まで幅広い市場が作られてきた。あまり、予測はしたくないが、飲食サービスにおいて使用牛肉はA5とかA4といった「格付け」が流行っているが、いつか産地偽装と同様に「格付け偽装」が始まる。

前者の文化型消費、キーワード的にいうと、「大人消費」へと全体が動いているのだが、まだ全体へと波及しているとは言い難い情況にある。こうした文化型消費はあまり話題になることもなく、顧客がブランドとして育てるという時間を必要とする買われ方である。ブランドは、時という顧客体験を経て磨かれ、そのエッセンスだけが残った、ある意味余計なものを削ぎ落とし、引き算に引き算を重ねなお残った価値である。だから高額なのだ。この文化というテーマは2年半ほど前から和回帰と共に過去へと遡っており、今日の「江戸ブーム」なんかもこうした潮流の中にあるものだ。恐らく、江戸のライフスタイルである粋や鯔背といったコンセプト&キーワードが新しいブランドづくりの着眼になったり、既存ブランドと江戸を継承する職人とのコラボレーションなんかも出てくると思う。奥行き、深み、味わい、こうした微妙な違いを楽しむ時代になるにはまだまだ時間を必要とする。しかし、確実に「大人の時代」へと向かっている。(続く)

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2008年6月18日 (水)

コレクションブランド/ロレックス

ヒット商品応援団日記No275(毎週2回更新)  2008.6.18.

私たちが身につける腕時計というスタイルを最初に作り世界へと広めたのが、あのロレックスであることを知っている人は少ない。「どんな場所や状況においても、そこに人が存在するなら腕時計も存在しなくてはならない。そのためには解決へ向けて挑戦し続ける」というのがロレックスの変わらぬポリシーである。
まだ懐中時計が全盛であった1905年、ロンドンにウィルスドルフ&デイビス社が創立される。設立者であったハンス・ウィルスドルフは、新参企業が生き残る道として新しい革命的商品、「腕時計」の中にその可能性を見出す。
激しい振動や温度変化、ほこりや湿気にさらされる腕時計に対し、信頼できないとの社会的評価がある中でのスタートであった。まず、ウィルスドルフは「ギアの正確さ」をつくるムーブメントをスイス・エグラー社に依頼。そして、1905年、スイスで腕時計をつくり販売することとなる。

1927年、ロンドンの女性記者グライツがドーバー海峡を泳いで横断する。その時、腕に巻いていたのがロレックスであった。海峡横断の快挙と共に「腕時計」の快挙が報じられ、全世界に認められることとなる。
ロレックスのデザインには大きく2つの潮流がある。1つはダイバーズウォッチへと流れを組むロレックス誕生の基本となった「スポーティ」なものと、もう一つが別称ドクターズウォッチと呼ばれた王室御用達の「プリンス」の流れである。この「プリンス」は時代、時代の雰囲気をケースデザインに取り入れたもので、アールデコ調のデザインは、王室・医師=上流階級のシンボルとしてそのポジションを手に入れていくこととなる。

1940年代、時計メーカーを大きく変化させたのが第2次世界大戦であった。ロレックスは米国へとその販路を広げ、信頼と精度にすぐれたオイスター、パーペクチュアルは連合軍の士官達へと支給され、ロレックスという名前はヨーロッパ・米国で広く認められることとなる。
以降、ロレックスはあくなき挑戦者として、「そこに人が存在するなら」という“特殊分野”に挑む。それらが深海に潜るダイバーズウォッチのサブ・マリーナであり、登山等に使われる冒険家用のエクスプローラ、パイロット用のGMTマスターであった。

1970年代、画期的なクオーツの登場によって時計業界は一変する。高精度・低価格が実現し、多くのブランドは衰退していく。丁度この時期に、アンティーク・ロレックスのブームが訪れ、さらにロ レックスの知名度と理解の奥行きが深まることとなる。そのアンティーク・ロレックスを流行させたのが、あのA・ウォーホルであった。こうした背景を含め、日本市場において、ロレックスの人気が落ちることはなかった。

アンティーク・ロレックスのブームに火をつけたA・ウォーホルのコレクション癖は、それが彼自身の人生のすべてを表現するくらい狂信的なものであった。その多くのコレクションの中でも時計に賭ける執着は、他を寄せつけないほどのものがあったという。'78年に発売されたイタリアのVOGUE誌で、バブルバックを腕にしたウォーホルが表紙に登場し話題を呼んだ。また同誌は別の号で「ちょっと古い時計」という特集を組んだこともあり、アンティークウォッチ、中でもロレックスのバブルバックが世界的に大流行した。金無垢ロレックスが上流階級のステイタスシンボルであったのに対して、ファッショナブルなヤッピーやモデルたちにとって、アンティークウォッチをするのが当時の流行りで。アンティークウォッチを腕にしたウォーホルのスタイルは、こうした時代の中でシンボライズされた。

ロレックスは今で言う「ニッチ市場」「ピンポイントマーケット」をテーマとしてきたブランドである。そのぶれないポリシーこそが、ロレックスのアンティークマーケットを成立させる。同じようなクオーツ技術の台頭に対し、徹底したローコスト&デザインオリエンテッドを貫くスオッチ(ETA社)をコンビニ型消費商品とすれば、ロレックスはその両極の文化型消費商品といえよう。勿論、両ブランド共に狙うマーケットは明確である。誰を顧客とするのか、極めて分かりやすい2つのブランド事例だ。スオッチをトレンドブランドといってもかまわない。ロレックスをコレクションブランドといってもかまわない。両ブランド共に「時代の変化と共にある」成熟したマーケットへの明確な戦略をもった良きビジネスモデルであろう。(続く)

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2008年6月15日 (日)

継承されるデザイン/ティファニー

ヒット商品応援団日記No274(毎週2回更新)  2008.6.15.

日本におけるティファニーは「TIFFANY Blue&Silver」というキーワードと共に、あのオードリーヘップパーンによる「ティファニーで朝食を」で広く認知されてきたブランドである。しかし、これほど「デザインポリシー&スタイル」が受け継がれ、そして磨かれ、しかも時代の求める「美呼吸」とでも呼べる在り方を示したブランドはティファニーだけと言えよう。受け継がれる「時を超える美」と呼吸する「時代と共にある美」が、たった一人のデザイナーによって融合する世界。それがティファニーである。

ティファニーは1837年ニューヨークに小さな「ファンシーグッズ&ステーショナリー」の店としてスタートする。そして、1845年にはクオリティの高いジュエリーショップとして、アメリカで認知され始める。こうしたティファニーが世界に認められる機会となり、そして今日まで受け継がれてくる「デザインポリシー&スタイル」の創始者は、天才ポールディング・ファーナムであった。ポールディング・ファーナムは創業者チャールズ・ルイ・ティファニーの良き支援を受け、次々とジュエリー業界にそのデザイン旋風を巻き起こしていく。

ファーナム29歳の時、1889年パリ博覧会に出店するが、その精緻なデザインと今日受け継がれ、その頃TIFFANY BLUE & SILVERが登場する。そして、当時のジュエリーは、ブローチや髪飾りが中心であったが、その象徴である蘭をモチーフにデザインする。当時、「健康とプレステージ」のシンボルとして一大フィーバーが起こった。以降、世界の博覧会やコンテストにおいて、12以上の賞を獲得し、その完璧なデザインが世界に知れ渡ることとなる。
ファーナムが48歳でティファニーを辞めるまで、次々と以下のようなテーマをもって、世の中へと提供し、今日のティファニーデザインの基礎を創ることとなる。
 【Native】【Orientalism】【Orchids】【The louis Rerival】【Vectorianism】
 【Native American Design】【The Renaissanu Rerival】
そして、メトロポリタン美術館から次のような賞賛が送られる。“最も偉大な生まれついてのアメリカが生んだジュエリーデザイナーである”と。

このようにファーナムは自身の興味領域であるNative(植物、昆虫等)からスタートするが、時代のもつ雰囲気や、社会的注目を集めているテーマに多彩に取り組んだデザイナーと言えよう。
1900年代、ファーナムの後を引き継いだのが統括デザイナー、ジュリア・マレソンであった。以降、アメリカの社交界ではティファニーとそのステイタスシンボルと共に、「美」のシンボルとしてもイメージされるようになる。

こうした美しさの“アメリカスタイル=ティファニースタイル”として確立される機会となったのが、1930年代のハリウッドスター達の愛用とPRであった。そして、1940年に、NY5番街がティファニーを中心とした本店の立ち並ぶショッピングストリートとなり、人々は“Woman's New York”と評した。
そしてティファニーを世界のブランド、最もアメリカらしいスタイルとして認知させたのが、あのオードリーヘップバーンによる「ティファニーで朝食を」(1960年)という映画であろう。こうしたパブリシティ活動もさることながら、アメリカの多くの著名人、セレブリティを使ったPR、特にミュージカル“キャバレー”のライザ・ミネリを使ってVogue誌の表紙を飾るなど、その完璧な「アート」を続々と送り続ける。

この時代の統括デザイナーはジョーン・ローリングが行っており、デザイン創始者であるファーナムの素描や作品を収集・整理し、次のティファニーデザイナーへと引き継ぐことを行っている。そして、1980年にパロマ・ピカソがデザイナーとしてティファニーに参画し、「時代と共にある美」が注目をあびる。このティファニーも、ある意味デザインポリシー&スタイルを継承している点で、シャネルとどこか似ている。シャネルについては日本語で書かれた著作も多数あり、その変遷をビジュアルで見ることができる。ティファニーの場合はほとんど無いが、洋書ではティファニーの変遷をビジュアルで見ることができる。著作権の問題でブログには公開できないが、そのデザインビジュアルに触れていただければと思う。
次回はクオーツという画期的な技術導入がなされ、そのクオーツを世界に送り出した「日本市場」において、今なお根強い人気を保ち続けているブランド・ロレックスを取り上げてみたい。時代の変化を取り入れながら、しかし、ロレックスにおいても時代を超えるものは、その挑戦者としてのポリシーであった。(続く)

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2008年6月11日 (水)

時代の変化と共にあるシャネル(2) 

ヒット商品応援団日記No273(毎週2回更新)  2008.6.11.

シャネルブランドの歴史の続きであるが、シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」
と酷評される。

1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。

1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。

確か12〜3年前であったと思うが、当時の(今も)シャネルジャパンの社長であったリシャール・コラス氏は雑誌のインタビューに答えて、”世界的に見れば、もちろんシャネルの中心顧客は現代をいきいきと生きるキャリアウーマン達です。ある意味ではココ・シャネルの生き方に共鳴する女性達、フランスでいえば、シモーヌ・ヴェイユのような強い意志をもった女性です。しかし、こういう女性達の信頼を繋いでいくために一番大事なことは、ココ・シャネルの精神を正しく受け継いでいくことなのです”と語っている。つまり、シャネルが残した一番の財産は「シャネルの生き方」であるということだ。

シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。今日あるブランドに共通していることは、創業者の思い、精神が正しく継承されていることだ。ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者といえよう。伝道者が聖地として訪れるのがシャネル銀座だ。私はブランドは顧客が育てると書いたが、この伝道者こそが停滞を突破することになる。

以前、鳥取の老舗和菓子店「ふろしきまんじゅう」についてその経営理念「変わらぬこと。変えないこと」に触れたことがあった。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真心込めてまんじゅうをつくる、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。シャネルの服もまんじゅうも同じであるといったら言い過ぎかもしれないが、時代と共にあるとは、このような精神によってである。次回も創業の精神が誰によって、どのように継承されてきているか、あのティファニーブランドをテーマとしてみたい。(続く)

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2008年6月 8日 (日)

時代の変化と共にあるシャネル(1)  

ヒット商品応援団日記No272(毎週2回更新)  2008.6.8.

前回個人文化・パーソナルブランドの時代を迎えるであろう書き、ブログに公開した直後、高級インポートブランドのフェラガモが値下げに踏み切ったと報じられた。3年ほど前から、ユーロ高(円安)と原材料高から20%ほど値上げしてきたフェラガモが今回7〜10%の値下げに踏み切ったとのこと。その背景には高級インポートブランドの売上不振があったと思う。値下げによって買いやすさが生まれるかどうかわからない。値上げはあっても値下げしないことが、ブランドを守ると経営判断してきた高級インポートブランドである。トヨタのレクサスが不振でプリウスが好調な日本市場にあって、どんな答えが出るか高額ブランド商品の需要指標の一つとして注視していきたい。

ところで前回のブランドへの考え方の続きであるが、私は「ブランドは顧客が育てる」ものであると書いた。一般論としてではなく、ブランドのポリシーを守り支援するといったパトロナイズする顧客の有無ということである。ヨーロッパには今なお貴族社会が残っており、いわば貴族文化がブランドを育て守っている。十数年前の話であるが、ヨーロッパの観光客が日本を訪れびっくりしたことの一つに、街の至る所で無数の女性達がルイ・ヴィトンのバッグを持っている光景であったという。つまり、モノを購入・消費するとは、その裏側にある考え方や生きざま、理念に共感し、そうした文化を共有することの歓びに他ならないと考えているからだ。極論ではあるが、こんなに多くの女性達が貴族文化人としてパトロナイズしているのか、といって当時驚いたのである。勿論、ヴィトンフアンにはそうした考えの人もいると思うが、多くは他者との「違い」をモノを通して表現したいとするトレンドファッションである。だから、新作が発表されると我先に買うことに「違い」を見出すという、常に「変化」を楽しむ消費と言えると思う。最近のデータを確認はしていないが、今もなおヴィトンの最大消費国は日本である。分かりやすくいうと、前者・ヨーロッパ市場を文化型消費、後者・日本市場をコンビニ型消費と私は呼んでいる。そして、日本も文化型消費へと向かいつつある、というのが私の仮説である。

今から10年近く前に、「何故ブランドは人を惹き続けるのか」というテーマでいくつかのブランドをスタディしたことがある。その中のブランドにシャネルやティファニーがあったが、今なおブランドとして確立しているが、その核・コアとなっていることは「常に時代の変化と共にある」ということであった。この号を含め、どのように時代と向き合ってきたか、マーケティングの視点で解き明かしていきたい。
そのシャネルには周知のように多くの逸話が存在している。「この服は売りに出せないわ。私のものになっていないから」「仕事は私の命をむさぼりくった。私の恋さえも」・・・過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。逸話はそうしたスタイル創造の過程として必然的に生まれた。

当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウンウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのポリシー“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”というマリンルックは徐々に流行する。

1920年代、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしている。過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出されたのは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。(続く)

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2008年6月 4日 (水)

パーソナルブランドの時代

ヒット商品応援団日記No271(毎週2回更新)  2008.6.4.

前回ブランド効果が衰退していった背景について、中流の崩壊と個性化の進展という2つの要因を挙げた。この点についてもう少し言及してみたい。
中流の崩壊については、「勝ち組・負け組」論議や格差問題、あるいは市場の2極化といった文脈の中で多くが語られてきた。この中で最も注視しなければならないことは、中流市場(≒百貨店顧客)がブランドを支えてきたということである。高級インポートブランドはもとより、多くのブランドは、中流市場の「憧れ」がブランド価値を創ってきたといっても過言ではない。この「憧れ」を期待値といってもかまわない。多くのブランドは「違い」を固有の世界として確立するために、百貨店の中の売り場ですら、路面店の如きショップを創ってきたのである。

この中流市場の崩壊は、1998年以降の経済、下がり続ける所得という課題を背景に、未来への漠然とした「不安」という心理世界が衰退を加速させる。情報の時代の特徴であるが、マスメディアから流される少年犯罪や年金といったさまざまな不安情報は、それが「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい。この「うわさの法則」通り、期待や憧れといった心理は急速に漠とした「不安」へと向かっていく。時代の寵児「ホリエモン」、あるいは新しい日本版セレブ・ヒルズ族といって話題に持ち上げたマスメディアは、今はどうであろうか。潮目が変わった、顧客の関心事が変わったといってしまえば終わりであるが、昨年来の偽装事件報道を含め、過剰な不安情報はブランド衰退の遠因の一つになっている。

もう一つの個性化の進展であるが、言葉を変えて言うと、主体が個人、個客の側に移ったということである。消費のプロはその学習体験の積み重ねにより、生半可なブランドはその本質を見抜いてしまうまで成長していく。そして、いつしか単なる消費から、自らコーディネートしたり、プロデュースするといった創造の側へと成熟していく。これがプロ顧客と呼ばれているものである。ちょうどインターネット上の個人放送局であるブログがマスメディアに代わって情報の発信者になったのと同じである。主客逆転、表が裏になり、裏が表になった時代である。表現主体が個人の側に移ったということだ。

十人十色とよく言うが、今や一人十色となった。色づけするのは個人である。だから、住まいから被服まで色づけしやすいようにシンプルなものが好まれ、大きな潮流となった。勝手にデザインするな、私がデザイナーということだ。ブランド名は忘れたが銀座プランタンでは、従来のサイズより更に細かなサイズを用意したところ売上が急成長したと報道されていたが至極当たり前のことである。既製服ですら、どんどんセミオーダー化してきたということだ。
こうしたモノ販売より前に、サービス業において一人十色は進行している。例えば、海外旅行などは良き事例である。1980年代ぐらいまでは、パック旅行が中心で観光プログラムがしっかり組まれていた。しかし、行きたくもない所に連れて行かれ、買いたくもない土産物を買わされることを繰り返し、そんな旅行は行きたくないと考える顧客が増える。今や行き帰りの航空便とホテルを決める位でフリープランが主流である。

さてブランドの今はどうかということであるが、ブランドという考え方、ブランディングが不必要になったということではない。ブランドは小さな市場単位として拡散した。ある意味、ブランドに過剰な期待をしてはならないということだ。今、百貨店に導入されているブランドを見ても、ほとんど知られていないイタリアの田舎町の職人が作るバッグや靴であったり、無名に近いオランダのデザイナーであったり、パーソナルブランドといっても良い位の小さなブランドばかりである。ブランドも大量生産大量販売という時代を終え、個人が作り、その範囲内で個人が買う時代になったということだ。個人の考えや思いが作る商品を通して語られ、それが一つ普遍性として波及していくことによって文化価値が生まれる。それを人はその表現を臭いといったり、どこか違った雰囲気といったりするが、受け手である顧客が創っていくのが文化だと思う。そうした個人文化・パーソナルブランドの時代を迎えている。(続く)

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2008年6月 1日 (日)

ブランドのこれから

ヒット商品応援団日記No270(毎週2回更新)  2008.6.1.

ブランド論となると、商品ブランドは勿論のこと、国家ブランドから地域ブランドや街のショップブランドまで多様で多面な要素をもつ大きなテーマとなるので、ここでは身近な商品ブランドについて取り上げてみたい。ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという心理的価値に着眼してきたことによる。ちょうど、モノ不足の時代を終え、豊かさを求めるようになった1990年代初頭から急速に浮かび上がってきたテーマである。前回も取り上げた付加価値を生む最大のものが、ブランドであり、無形のブランド資産として、マーケティングやビジネスの主要な課題となった。つまり、心理的な「違い」をどう創造していくかが経営課題になったということだ。

ブランド論が盛んになった背景は、極論ではあるがこの「違い」を求める顧客が市場の中心を占めるようになったからである。資本主義の本質は、あらゆるものを商品化していくことであり、以降エリア(場)ブランドや方法・手法(やり方)ブランド、あるいは人(あの人だから)ブランド、更には時(この時)ブランドなど無数のブランドが市場競争をすることとなる。過剰な情報が行き交う時代にあって、あっと驚くようなネーミングやデザインによるブランドも生まれてきた。また、あらゆるものが情報を発信できる時代では、商品ばかりか街も人も勿論店舗も何もかもが「違い」を発信するメディアとなる。これを劇場化社会と私たちは呼んできた。

ブランド創造という言葉がビジネス舞台から消えていった最大の背景は顧客の成熟による。個性化というキーワードが1990年代半ばから一般化していく。この個性化とは、ブランドという心理的物差しから、顧客自身による好みへの変化である。好みは多様であり、ブランドもその中の一つだけとなる。「違い」は、顧客自身が学習体験に基づく美的感性によって、自ら創る方向へと大きく変わった。これがセレクトショップやマイブームへとつながっていく。極論ではあるが、顧客がクリエーターに、デザイナーになったということだ。これが顧客の成熟といわれている主たる内容である。


そして、この「違い」が情報という表層だけをなぞった場合、その顧客心理は一過的となる。これが情報消費の本質である。チョット面白いネーミング、デザイン、スタイルだけでは継続は難しい。一過的という課題を解決するには、常に違いという「変化」を市場に投入しなければならない。この仕組みを週単位で実行し、今なお「変化」を提供し続けているのがあの渋谷109である。
数年前話題となった隠れ家ブームも一種の「違い」を求めたマイレストランであり、最近の百貨店や商業施設が地方に埋もれた無名の商品や店を出店させているのも、この「違い」を表現するためである。しかし、この「違い」を評価するのは成熟した顧客であり、答えが出るのに時間はかからない。継続できるか、退店せざるを得ないかの分かれ目は商品MD力以外にはない。

ところで、この「違い」をブランドにまで高めようとした試みが残念ながら破綻した分かりやすい事例がある。その事例とは「大山どり」のことで、以前から三大地鶏の次の地域ブランドとして候補に挙がっていた。知る人ぞ知る地鶏として、生産量が少ないことから、その希少性に支持があった商品である。地元紙や関係者によると、破綻の理由は都市市場でのブランド確立をはかるために生産&流通の拡大をはかったが、鳥インフルエンザ問題による相場の下落や飼料の高騰、特に都市において価格が通らなかったことから資金繰りに困り昨年秋破綻したとのこと。ここで着目しなければならないのは、ブランド化できれば付加価値として収益率が上がると認識していたことにある。「違い」が明確に分かる嗜好性の高い商品の場合は確かに高い価格は通る。しかし、こうしたマニアックなコレクション市場においては該当するが、食という日常における商品の場合はその多くは通らない。三大地鶏と大山どりをブラインド(目隠し)テストして、その違いが分かる顧客・マーケットはどれだけ存在するのかということである。

少し前に「新富裕層市場」について触れたことがあったが、アパレルやバッグ、靴といったファッションブランドを支えていたのは崩壊した中流市場とその流通を担っていた百貨店であった。多くのマーケッターは新富裕層市場を構成する独身キャリア女性とDINKS(子供をもたない二人世帯)という2つの市場を梃子にブランド再創造を考えていると思う。恐らく固有である文化価値、芸術価値がブランドの中心を占めていくことになる。そして、その先行するブランドとしてはサブカルチャーの中からではないかと予感している。(続く)

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2008年5月28日 (水)

付加価値という幻想

ヒット商品応援団日記No269(毎週2回更新)  2008.5.28.

過去「付加価値」というキーワードを使ってきた私であるが、この半年ほどいや1年ほどほとんど使わなくなった。ここで使っている「付加」の多くは、新しい、面白い、珍しい、といった情報としての価値である。つまり、新しい、面白い、珍しい、これらも一度経験すればそれで終ってしまうという一過的な価値でしかなくなったという背景からだ。しかも、その終わるスピードは極めて早いという時代である。以前、クリスピー・クリーム・ドーナツの限定戦略について触れたが、価値を認める顧客だけを継続させるためにも「限定」は必要となる。誰も彼もが利用してしまえば、新しい、面白い、珍しいという「情報鮮度」は一挙に喪失してしまうということだ。ベストセラーではなく、ロングセラーの時代にあっては、情報鮮度を保つためにも限定が必要ということである。

ところで、少し前までは付加価値の多くは「こだわり」という「訳あり」によって支えられてきた。しかし、そうした情報はすぐ競争相手に伝わり、「類似したこだわり」が生まれる。結果、「こだわり」の再生産がなされ、市場に充満していくこととなる。こだわりは文化という固有性にまで時間をかけて昇華されないかぎり常に一般化してしまうということだ。確か4年半ほど前だと思うが、別件でサントリーを訪問した時、伊衛門のプロジェクトリーダーが話してくれたことを思い出す。飲料においては、缶コーヒーや烏龍茶ではシェアーNO1を維持していているサントリーであったが、お茶は伊藤園に対し連戦連敗でほとんど最後のつもりで開発したという。私は京都の老舗福寿園との共同開発に触れ、よく口説き落としましたねと言ったところ、彼は老舗の文化を引き受けることは並大抵ではないと語っていた。伊衛門という福寿園の創業者の名前を商品のネーミングしたこともあり、今まであった製造ラインを全て変えること(莫大な投資)から始めたと。文化価値を引き受けるとは、単に名前を貸してもらいデザインを変える程度のコラボレーションではないということだ。(このテーマはブランディングにもつながるので後日私見を書きたいと考えている)

ちょうどこのブログを書いている最中にTV朝日の番組で「OKストア」の急成長が取り上げられていた。TVというメディア特性からその低価格とオネスト(正直)コンセプトに焦点を当てた取材であったが、このエブリデーロープライスも一朝一夕に出来上がったものではない。詳しくは私が書いたブログを参照していただきたい。(「エブリデーロープライス」/2008/05/04)この時にも触れたがOKストアでは徹底した情報公開がなされている。価格が高い理由、安い理由という価格に着目しているのがOKストアであり、例えばエコロジーに着目し全ての情報を公開しているのがカタログハウス(通販生活)である。両社共に、「情報」に対し、誠実に真摯である点が共通している。いくらでも簡単に嘘をつくことができるのが情報の時代である。であればこそ、「情報は重たい」、と強い意志をもって向き合っている良き事例だ。

もう一つ事例を挙げるとすれば、やはり一昨年春オープンした「ららぽ〜と横浜」のフードコートであろう。通常、デベロッパーは手のかかることはしたがらないものであった。フードコートは1社にまかせ、専門店の組み合わせ編集などしないことがほとんどであった。つまり、顧客が食べ終わった後片付けからクリーンアップまでのオペレーションの在り方を決めていくことは煩雑で難しい。しかし、「ららぽ〜と横浜」では、顧客が求めていることを実行しなければならないと強く考えている。その専門店の一つに老舗の鰻店「宮川」があるが、通常では煙の出る鰻等は排煙設備を必要とし、フードコートには導入しないのが常であったが、そうした設備を用意し、出店要請をしたと聞いている。顧客が求める価値を追求するとは、このように煩雑さと投資を引き受けるということだ。

少し前に、新しいスタンダードが模索されていると私は書いた。価値が価格を決める、次の新しい価値時代を迎えるということである。それはデベロッパーも、流通も、メーカーもである。最早、付加価値などといった幻想に踊る顧客はいないと考えなければならない。もし、これからどんな価値かと問われれば、当面は「本質価値」と答えることにしたいと思う。まだ、良いキーワードを定めることができないというのが本音である。その本質とは、食べ慣れた、使い慣れた、着慣れた、住み慣れた、といったある意味戻っていく価値のようなものである。これからの時代は、一枚一枚「付加」という衣をはがして戻っていくと思う。らっきょでは困るが、はがして最後に残るもの、それが本質価値ということだ。(続く)

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2008年5月25日 (日)

精神的コスプレ時代

ヒット商品応援団日記No268(毎週2回更新)  2008.5.25.

奈良県の「平城遷都1300年祭」のキャラクター・せんとくんを始め、街起こしからイベントまで全国至る所にキャラクターが氾濫している。その多くは単なるシンボルマークといった記号の意味合いだけであるが、本来はディズニーのミッキーマウスやゲゲゲの鬼太郎のようにアニメや漫画の作中人物のことを指した言葉であった。つまり、一つの人格をもったものとして使われる言葉である。情報の時代は、この人格を好きなように創る遊びが盛んである。周知のアバダーがそうであるが、ブログやオンラインゲームあるいはセカンドライフなどでハンドルネームと共に使われている。変身願望と言ってしまえばそれで終わりであるが、インターネット上ではいとも簡単に多重人格的ないくつもの「私」を手に入れる、いや虚構世界を生きることができる。(オンラインゲームでのアバターと現実ユーザーとの比較が出ていたのでご覧いただきたい。Gigazine/http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070621_netgame_avatar_player/

私はよく市場は「心理化」しているとこのブログでも書いているが、心理化とは情報によって購買の決定要因に心理的「何か」が深くかかわっているということである。誰も分析していないのでなんとも言えないが、不況期にはこうしたキャラクターが出現し、広く流布するという専門家もいる。1970年代の第一次オイルショック後の不況期にはあのキティちゃんが生まれ、この平成不況期にもキャラクターブームが起こるというものだ。つまり、不況という不安心理を背景にした個人化の進行。つまり、バラバラになった「私」、そう感じている「私」の逃避先=変身先がキャラクターであるという説である。勿論、変身先とは仮想現実、虚構の世界である。そして、既に始まっていると指摘する人もいる。

今、出版業界で唯一好況なのが中高生を対象としたライトノベルである。周知の元祖的存在である「スレイヤーズ!」(神坂一/かみさかはじめ)は、累計販売部数は1200万部とも1500万部とも言われている。内容は一言でいうと、中世ヨーロッパを基調とした仮想の物語で魔族と神々が抗争するファンタジー世界を描いたものだ。大人の私たちにとっては、「なんのことか?」と理解不可能とはいわないが、異質な世界観で創られた物語である。この「スレイヤーズ!」がそうであるかどうかは分からないが、細かく分解された物語の要素はデータベース化されており、この組み立てによってライトノベルが創られていると聞く。このライトノベルは主人公も脇役もキャラクター化されており、物語の組み立てはこのキャラクター次第である。小説も創造ではなく、断片化された要素=情報を構成して物語をつくる時代になったということだ。

断片化された物語情報を身にまとう居場所の一つが携帯によるサイト「学校裏サイト」だ。文科省の発表ではネットいじめが横行し、時としてそれは現実世界にもまたがる。こうした情報の時代では前回も書いたが、一つの通過儀礼として考えなければならない。通過儀礼をはしかのように一過的なものにするには、あのキッザニアのような「体験」が必要となる。ここ一年ほど偽装事件が相次ぐこともあり、商品・メニューの多くが「体験型」となっている。今年も都市の百貨店ではカブトムシやクワガタが売られることと思う。カブトムシやクワガタを虚構とは言わないが、これからは昆虫ウオッチングツアーが売られる時代だ。

現在のオンラインゲームにおけるアバダーのようにわきまえた遊びはかまわないと思う。しかし、情報の時代である以上、分身となるキャラクターは再生産されていく。キャラクターという精神的コスプレをまとう虚構世界はこれからも様々なところで増殖し続ける。そして、その都度<虚構→現実体験>という新たな市場が生まれてくる。(続く)

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2008年5月21日 (水)

非競争という視座

ヒット商品応援団日記No267(毎週2回更新)  2008.5.21.

書店に並ぶ書籍や雑誌の特集テーマの多くは、「脳力」とか、「知力」といった「力」に関する言葉が並んでいる。あらゆるものが停滞している情況に対し、力をもって突破したいという一種の悲鳴のような感がする。十数年前に「自分探し」というキーワードが流行ったことがあったが、そんな自分など実はないことが分かり、今や「自分づくり」の時代になった。これも個人化が進展する社会なのだと思う。

マーケティングやビジネス書には必ず出てくるのが市場競争下におけるその戦略着眼の理屈である。私もその多くを学習し、経験もしてきた。決して間違った方法ではないが、最近そうした発想や認識とは異なる世界もあると感じている。それは鳥取や沖縄といった地方の人達との話の中で、うまく表現できないがチョット違うなということが多々あったせいかもしれない。東京という市場は極論ではあるが、何でもありの殴り合いをやっているような市場である。勿論、顧客のためになることを追求するのではあるが、競争相手の急所をいかにお金をかけずに殴って倒すかといったことばかり考えていることからだと思う。

「何か違うな」と思ったきっかけは1年ほど前に読んだ「千年、働いてきました」(野村進著/角川書店)の取材先である世界最古の会社金剛組に対する著者の驚きに通じるものであった。この本は「なぜ、日本だけ老舗企業が生き残るのか?」という疑問を解き明かした本である。その中で世界最古1400年続く金剛組を取材する中で、「千三百年前に法隆寺を建てた飛鳥の工人の技術に今なお追いつかない」。また、法隆寺の修復に参加する宮大工は「俺たちの仕事は二百年後、三百年後に、いずれわかる仕事だ」との答えを著者は聞き書きしている。外側からは見えない、解体してみないと分からない仕事とは何か、ということである。

情報の時代の競争は、誰よりも早くが基本だとビジネス教科書に書かれ、実際のビジネス現場もそのように動いている。ヘッジファンドのジョージソロスではないが、「いずれ誰かがやるであろうから、そうであれば私が先にやる」という世界である。それを先行者利益として享受する。それ自体決して間違ってはいないと思うが、どこか違う世界もあると考えてきた。飛鳥の工人は何のために法隆寺を作ったのであろうかという単純な疑問である。そして、千三百年後の私たちが追いつくことが出来ない技術とは何か、ということでもある。

先日、鳥取での会議を終え、古くからの知人に会いに大阪へと向かった。鳥取の応援団のメンバーから、未だ食べていないと思うのでとお菓子のお土産をいただいた。鳥取を代表する和菓子ですと手渡されたのが、明治元年創業の「ふろしきまんじゅう」という商品であった。賞味期限は3日という生菓子なので大阪の知人と共に食べたのだが、田舎まんじゅうとあるが品のある極めて美味しいお菓子であった。鳥取県人、和菓子業界の人にとってはよく知られた商品と思うが、東京の人間にとってはほとんど知られてはいない商品だ。企業理念には「変わらぬこと。変えないこと。」とある。変化の時代にあって、まさに逆行したような在り方である。いや、逆行というより、そうした競争至上主義的世界から超然としたビジネスとしてあるといった方が正解であろう。

冒頭の話ではないが、個人も企業も市場競争に勝ち抜くために新たな「力」を必要としている。従来のビジネス手法を否定する訳ではないが、「非競争」という「力」、外側からは見えない、何百年後かには分かってもらえる、そんな視座が必要ではないかと思う。非競争というと、オリジナリティやオンリーワンといったキーワードを思い浮かべると思うが、何のためにビジネスするのかといった原初的なことだ。変化を追い求め、わずか1年半ほどで数百店舗にまで急成長した和菓子屋は、既にその臨界点を超え、急速に売上を落としている。これは変化市場で生き抜くために通らなければならない壁である。しかし、非競争市場にあっては、こうした壁はない。あるのは「変わらぬ何かであり、変えない何か」である。それを真剣さ、誠実さ、品質、・・・・日本に少し前までごく当たり前であった商人、職人の心構えといってもかまわないと思う。少し前に取り上げたエブリデーロープライスのOKストアにおける「オネスト(正直)」にもつながる世界だ。(続く)

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2008年5月11日 (日)

スタイル消費の創造

ヒット商品応援団日記No264(毎週2回更新)  2008.5.11.

前回スタグフレーション下の「やせがまん消費」について蕎麦を例に挙げ、粗食を豊かにしてきた先人の工夫について書いた。その続きであるが、蕎麦は江戸っ子固有のスタイルと言われているが、質素ではあるが美意識に裏打ちされた豊かな消費スタイルである。着眼すべきは美意識に裏打ちされた一つのスタイルにまで創り上げたことである。周知のように屋台によって急激に広まったのが蕎麦であるが、それまではお米の代用食として雑炊や蕎麦掻きにして食していた。屋台という流通にのってブームを引き起こした新メニューが蕎麦切りという麺状にしたものであった。以前このブログにも書いたと思うが、この蕎麦切りは上方の麦きり(うどん)から着眼したもので、上方文化に対抗した江戸の代表スタイル食であった。

「江戸前」という言葉には鮨を思い浮かべる人が多いと思うが、鮨、蕎麦、天麩羅、鰻を「四大江戸前」と呼び、最初に江戸前と呼ばれたのが鰻で「鰻の大蒲焼き」であった。鮨では江戸の前にある東京湾でとれた子魚を寿司ネタにしたことから東京湾を指す言葉の意味だと思っているが多いと思うがそうではない。男前や腕前といったように一つのスタイルを指す言葉だ。江戸前は江戸スタイルのことで、好みや趣味の世界で理屈っぽく言えば江戸文化スタイルである。つまり、お腹が減って必要に迫られて蕎麦を食べにいくのではなく、暇があるからチョットそば屋へ行くかという趣味食ということである。

このように江戸は上方に対抗、つまり負けず嫌いから次々に新しいスタイルを創っていく。ある意味で良きライバル関係にあったからこそ新しい市場が生まれた訳である。その対抗エネルギーは、やせがまん、負けず嫌い、といった気質が市場を支えていたが、現代においてはこのような大きな市場構図にはないように見える。しかし、よくよく考えれば、江戸時代もそのほとんどが地方出身者であり、今日の東京はあらゆるものが集積されてはいるが、元はイタリアからであったり、時に地方からのものである。つまり、都市とは寄せ集め国家のようなものだ。

昨年秋、「ミシュランガイド東京」が発売され話題を集めたが、来年には日本の観光ガイド本を発売すると発表があった。昨年、外国人の日本への観光は800万人を優に超えており、今年には1000万人を超えると予測されている。ミシュランがレストランガイドではなく、観光ガイド本をつくるのはうなずける話だ。発売されればまた話題になると思うが、飲食店と同様に日本人の知らない日本ガイドになると思う。食も観光もその根っこには日本文化があり、多くの外国人を惹き付ける。海外での日本食ブームもそうであるが、例えば供される和食には箸が使われる。外国人にとって食べやすい道具ではないが、箸は和のスタイルであり、日本文化そのものと感じるからである。

私が「今、地方がおもしろい」と考えるのも、こうしたスタイルが地方にはまだ残っているからだ、コラムニストの天野祐吉さんが「気質の方言地図」を作っている(まだ半分のようであるが)。私が好きな沖縄の代表的な方言は「なんくるないさあ〜」である。投げやりな意味ではなく、やせがまんでもなく、少しだけ前向きな肩肘のはらない「なんとかなるさ」という明るい気質である。東京で生まれ育った私にとって、一晩眠ればまた違った明日をむかえられる、そんなくったくのない感がする。だから、未だ手つかずの自然が残る亜熱帯地域として、こころもからだも和むリゾートとして観光客が訪れるのだ。例えば、全てを否定する訳ではないが、万座ビーチホテルの海辺の白砂は他の場所から持ってきて作られた人工ビーチである。好きで何回も訪れる観光客は次第に人工か自然なものか見極められるようになる。スタイルは文化であり、意図を持って作れば一過性のブームに終わる。それが時を重ねた文化というものだ。

さて、このスタイルづくりをどう着眼するかである。勿論、都市生活者に対してであるが、江戸時代の庶民を喜ばした着眼点は「奇」「珍」「怪」と言われている。言葉通りに言えば、奇をてらった珍しいチョット怪しげなものと言えよう。但し、ここ2年ほど前からの様々な情報偽装体験を踏まえており、上滑りな「奇」「珍」「怪」ではない。既に、しっかりとした文化という履歴のあるもの、地物に注目が集まっている。地の水から始まり、酒、塩、醤油、ソース、更には地魚、地野菜・・・・・ただ、まだまだ物レベルでスタイルにまで達してはいない。沖縄にも沖縄スタイルという雑誌や土産物店はあるが、スタイルとは言い難い。逆に言うと、新しい市場創造は始まったばかりということだ。(続く)

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2008年5月 7日 (水)

やせがまん美学消費 

ヒット商品応援団日記No263(毎週2回更新)  2008.5.7.

以前「経済格差」について東京ほど格差の激しい地域はないと書いたことがあった。その象徴例として足立区と港区などとの比較をいくつかの指標をもって行ったことがあった。その時使ったキーワードが「まだら模様」である。そして、顧客は誰か、誰を顧客とするかを今以上に鮮明にしなければならないとも書いた。前回、OKストアを例に挙げ、顧客が求める新しい基準、スタンダートになるのではないかと書いた。ある意味、食品という日常消費を扱っているスーパー業態であり、一つの基礎消費概念としての指摘であった。勿論、同じ生活者は時には百貨店の食品も購入するであろうし、コンビニ利用もである。つまり、OKストアに使い分けの基礎ベースを見出したということである。

何故こうした指摘をしたかであるが、足立区と港区の比較とは都市と地方との比較でもあり、今年度から周知の『地方財政再建促進特別措置法』や『地方公共団体の財政の健全化に関する法律』、いわゆる「健全化法」の適用が始まり、破綻した夕張市と同様の市町村が40〜50カ所出てくると推測されている。もしくは、既にその予兆としてこの4月から公共サービスの縮小、あるいは値上げが実行へと移された自治体も出てきているようである。
つまり、一般的平均的な景気から、明確な生活実感としての景気へと全国レベルに波及し、まだら模様が明確に浮き上がるということだ。地方自治体に倒産はない。民事再生法や会社更生法といった法的在り方は認められず、つまり貸し出し銀行などの債務放棄などは認められず、長期にわたって返済し続けなければならないということだ。

ところで夕張市はその後どうなったであろうか。結果、多くの暖かい支援はあったものの人口流出に歯止めはかからず、予定された歳入に届かず、再建計画すら頓挫しつつある。仕事という場は既になく、都市へと向かう人達は増え続けるであろう。
ちょうど日経MJ(5/5)に原材料高によるマクドナルドの再値上げの記事が載っていた。いち早く、地域価格を導入したマクドナルドであるが、最低価格地域を5県から12県に増やすとの発表であった。再建団体になってしまうことを想定した価格改定とは思わないが、地方との格差が拡大していくことは間違いない。

分かりやすくするために都市と地方という表現を使ったが、厳密にいうと中心と周辺ということである。今回のガソリン税の再値上げにより郊外のファミレスが苦戦しているという。右肩下がりのファミレス業態にガソリン税という逆風が吹いた訳であるが、コトの本質は「中心化現象」、サービス集積度の高い中心に顧客が動いているということだ。今、アウトレットに注目が集まっているが、その価格サービスの集積度が高く、郊外であっても集客できるということである。一方、中心という言い方をすれば、エリアの中心は駅である。駅商業施設、特にJRの駅中は全体としては好調であるが、その個別内容を子細に見ていくと、行列が出来る店と閑散とした店とに明確に分かれている。情報に踊らされない、学習体験を積んだ成熟した顧客がいるということだ。

さてこうしたまだら模様の景気にあって、どんな新しい消費スタイルが生まれてくるであろうか。誰もが新たな付加価値を探り、回数減となるビジネスをなんとか客単価を上げる工夫をと。あるいは自己防衛の周辺市場である、自給自足的セルフ市場に着眼することも必要であろう。勿論そうした努力は必要であるが、私は新しいライフスタイル市場が生まれてくるような気がしている。シンプルスタイル、素の魅力、過剰さを削ぎ落とした美学。質素であるがそこに豊かさを見出したスタイル。今日のライフスタイルの原型である江戸時代のライフスタイルで、一種の「やせがまん美学」である町人文化、粋(いき)や鯔背(いなせ)といったスタイルである。

そうした江戸町人文化の一つが蕎麦である。もともと蕎麦は稲作に適しない貧しい土地で栽培された代用食であった。この粗食を粋な江戸文化にまで高めたのが「やせがまん美学」である。一昨年ほど前から注目され定着した商品に「卵かけご飯用醤油」がある。蕎麦文化にまで高められるような芽にはならないが、どこか似ていると私は思っている。LOHASでもない、スローライフでもない、うまく表現できないが、「やせがまん」から生まれた新しい消費スタイルが出てくる予感がしてならない。(続く)

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2008年4月 2日 (水)

平成構造不況へ 

ヒット商品応援団日記No253(毎週2回更新)  2008.4.2.

4月1日暫定税率の時間切れによるガソリンが値下げとなった。一週間ほど前から混乱が起きるとマスメディアは報じていたが、混乱は政治の世界だけで、GSも利用者も至極当たり前のこととして初日を終えた。どこのGSが一番安いか、口コミや運転中にガソリン価格を確かめたり、ネット上の比較ガソリン価格サイト(http://gogo.gs
)を見て、今まで控えていた給油を満タンにするドライバーがほとんどであった。一方、当然であるが、提供する側のGSは周辺の競合GSの価格をにらみ、赤字覚悟で価格を設定している。情報の時代ならではの現象が随所で見られた。
同時に、原油や原材料のコストアップによる本格的な値上げが始まった。2007年度の企業決算は大企業・輸出企業を中心に極めて良い成果になると思うが、昨日の日銀短観の発表を待つまでもなく、2008年度は一挙にマイナスへと転じることが予測される。

今、内需拡大・地方経済の格差是正を含めたテーマに経済諮問会議を始め議論されているようであるが、私は経済のアナリストではないのでマクロ経済の動きについては分からない。しかし、消費というミクロの経済については理解しているつもりである。昨年から「価格」という壁を超えるにはどうしたら良いのかこのブログでも書いてきたが、今明確に不況の時代を迎えたと理解している。日本のGDP420兆円の約6割が消費によるものである。今回のガソリンの値下げに対する生活者の冷静な行動を見るにつけ、出口の分からない構造的な不況のように思えてならない。

昨年このブログでも書いたが、不況の時代には「笑い」が求められていることは周知の通りである。大きな笑いではなく、チョット笑える、そんな小さなことが商品にも、販売にも、店頭での一言にも求められているということだ。
ところで不況の時代には笑いと共にもう一つ面白い傾向が見える。日本経済の不況時にはキャラクター産業が奇妙な成長を遂げていると指摘したのは、あの「物語消費論」を書いた大塚英志さんである。高度成長期を終えた1970年代に、ドルショック・オイルショックという大きな転換点を迎え暗い不況の時代にあの「キティちゃん」が誕生し、サンリオの奇跡と呼ばれた。こうした事例を踏まえ、大塚さんは「暗い世相の中、もはや日本人は過剰な消費はするべきではないと人々が悟った時代にキティちゃんは誕生したのである」(『「おたく」の精神史』講談社現代新書より」と指摘している。

私の「キャラクター」理解はこうである。まず消費すべき価値を見失いつつある時代で、それが価格にストレートに向かっているという現状認識が第一点。こうした前提を踏まえ、従来のキャラクターという記号の意味合いが変わってきているという認識である。確かに、地方の町おこしをはじめ、過剰なまでのキャラクターが舞台へと上がっており、それなりの人気を得ている。また、「真性おたく」が1990年代半ばに消滅し、取って代わったのがキャラクターを主人公とした「ライトノベル」で、その元祖ともいうべき「スレイヤーズ」は1200万部とも1500万部とも言われている。

しかし、記号という仮想現実の消費世界から、ここ数年多くの回帰現象に見られるように、過去へ、日常へと消費価値が向かっていると私は考えている。もし自己を投影する「何か」をキャラクターとするならば、動物園や水族館ブームのように「生きていること」、生命力のもつ不思議さやかわいらしさへとキャラクターの質的変化が始まっているように思える。少し飛躍しすぎるかもしれないが、今日の雑学ブームやクイズバラエティの氾濫も、あるいは脳科学への注目も、価格以外の消費すべき価値を探している「踊り場」であるが故との認識だ。さて、この踊り場から何が生まれてくるか、新しい消費価値の芽は2008年度中には出てくると思う。(続く)

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2008年3月26日 (水)

極時間 

ヒット商品応援団日記No251(毎週2回更新)  2008.3.26.

今年も森山直太朗の「さくら」が卒業式で歌われ、桜前線が北へと上がってきた。ところで、お花見には梅見、桜見、桃見の3回あるが、なかでも日本人が一番好きなのは桜見だ。開花から1週間で満開となり、瞬く間にその美しい花を散らす、そんなあでやかではかない桜は日本の精神文化につながっていると思われてきた。確かに多くの人はそのように桜を見てきているが、実は庶民の間で花見が盛んになったのは江戸時代中期からであった。今日の桜である染井吉野は幕末から明治時代にかけて開発された桜で、それまでは大振りで色の濃い山桜であった。江戸時代の人達は梅見、桜見、桃見の3つの花見を愛でることで「春」を満喫していた。

江戸時代に園芸が盛んになったきっかけは三代将軍家光で、植物に傾倒し、吹上御殿を花畑にするほどであったという。庶民が住む長屋でも植木や鉢植の花が飾られ、園芸に関する本も200冊以上発刊され、どれもベストセラーになったと言われている。
植物、とりわけ花を生活に取り入れるという文化度は当時の世界でも群を抜きんでていた。江戸時代の園芸は、椿、ツツジ、菊、楓(かえで)といった植物が中心であった。観賞用として渡来した月見草は夕方の咲き始めは白色であるが、翌朝しぼむ頃は淡いピンク色となる。花を生命美の象徴であると考えられてきたのも、こうした時と共に命があるからだ。幕末の頃からは朝顔がブームになる。朝顔も改良され、昼顔なども生まれ、花の咲くこの「時」、一瞬の美学といったものを楽しむようになっていく。

都市生活者が失ったものの一つが四季・旬である。中国製冷凍餃子事件によって、冷凍という便利さに隠れてしまっていた自然の持つ生命そのものに気づかされた。勿論、冷凍食品が無くなる訳ではない。しかし、五感で感じることの少ない都市の日常にあって、桜は一瞬の美しさを際立たせ生命力を気づかせてくれるものだ。
江戸時代の庶民のように、梅見、桜見、桃見の3つの花見を楽しむ時間の余裕はない。逆に、この時、この一瞬の出会いが予想以上の感動を生む時代になったということだ。

24時間化という言葉が使われ始め20年ほど経つが、最早当たり前の日常となった。24時間化とは、自然の生命リズムとは相反する、ある意味境目がなくなった日常時間のことだ。朝らしい朝、夜らしい夜、といった「らしさ」を取り戻す時代にいる。例えば、最も朝らしい朝は日の出の一瞬であり、最も夜らしい夜は漆黒の闇に広がる満天の星空のような夜だろう。一瞬という、この極時間をどうビジネスに取り込んでいくかが大きなテーマとなっている。

最早旬は旬の持つ生命力を感じない時代となってしまった。そのためには、今まで以上に「限定時」という売り出し方となる。この時、この一瞬を逃したら、桜のようにまた一年待たなければならないという売り出し方である。後の350日はどうするのかという質問が来そうであるが、桃の季節の後には牡丹もあるということだ。また、こんな発想をしても良い。2月に始まる沖縄の桜をスタートに、九州熊本から順次北へと上がり、5月には北海道へと渡る桜前線の極時間を追いかけていく。つまり極時間という超限定時だけを提供するサービスだ。自然が相手だから、極時間を逸することもある。だから、感動が生まれるのだ。時間、特に自然時間をどうマーチャンダイジングしていくかが極めて重要な時代となった。(続く)

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2008年3月13日 (木)

時代おくれ

ヒット商品応援団日記No247(毎週2回更新)  2008.3.13.

前回キャンディーズのコンサートについて触れたが、テーマとしては「思い出消費」と呼ばれる広がりがあるだろうかという狙いであった。そこで団塊世代とポスト団塊世代とを比較しながら、時代の気分や雰囲気といったことの共有感の違いについて書いた。
記憶というのは鮮明に覚えているようだが、実は曖昧で不確かなものである。つまり、思い出は何かの「きっかけ」で思い出すことによって「思い出」となる。キャンディーズの30周年記念ライブというきっかけによって「思い出」となる。ただ、その思い出はポスト団塊世代にとっては「私」に収斂し、広がりは見せないであろうというのが主旨であった。

「笑い」もそうであるが、「歌」は時代を映し出す良き鏡となっている。「歌は世につれ、世は歌につれ」ということは古くから延々と現実世界で続いてきたものだ。この十年ほど、歌も他の生活傾向と同様に、多様化が進んでいて、100万枚を超えるメガヒット曲は年々少なくなっている。インディーズは言うに及ばず、YouTubeにも「勝手に歌い」「勝手に広告」といった一種の個人レーベルが出てきている。低迷する雑誌と同じような現象が見られる。

昨年、演歌を含め戦後の歌謡界をリードしてきた阿久悠さんが亡くなった。従来の艶歌、怨歌といった、別れや涙、陰、といった情念の世界を歌った演歌とは少し異なる歌謡曲を数多くヒットさせた作詞家だ。八代亜紀が歌う「舟歌」(お酒はぬるめの燗がいい。肴はあぶったイカでいい・・・・)は美空ひばりに歌わせたかったと亡くなる前に新聞のコラム欄に書いていた。戦後の混乱期に現れた美空ひばり、ともすると荒廃するこころの応援歌を歌う美空ひばりに、今自分が感じた詞を歌わせたかったのだと思う。

多様な好みの時代にあって、演歌の世界で元気な歌手がいる。2004年にデビューした氷川きよしである。デビュー当時、茶髪にピアスといったスタイルで、これが演歌歌手かといぶかしがる音楽関係者もいたが、圧倒的な顧客支持を得て今日に至っている。フアンの7〜8割が女性で、その内ほとんどが中高年の女性達だという。素直さ、気さく、裏表の無い、世俗にまみれていない、こうした人物像を氷川きよしに見ている。一昨年夏の高校野球の「ハンカチ王子」とどこか似ている。以降、ゴルフ界では「はにかみ王子」が出てくるように、「王子ブーム」とどこかでつながっていると思う。
音楽以外の芸能世界を見ていくと更に一つの時代傾向が見えてくる。大衆演劇の世界で熱狂的なフアンを集めているのが、若干16歳の早乙女太一だ。天才女形と言われ、その妖艶な演技にマスコミは「流し目王子」と呼んでいる。

ところで阿久悠さんは亡くなる前のインタビューに答えて、昭和と平成の時代の違いについて次のように話している。「昭和という時代は私を超えた何かがあった時代です。平成は私そのものの時代です」と。「私を超えた何か」を志しと言っても間違いではないと思うが、時代が求めた大いなる何か、と考えることができる。。一方、「私そのもの」とは個人価値、私がそう思うことを第一義の価値とする時代のことであろう。阿久悠さんが作詞した中に「時代おくれ」という曲がある。1986年に河島英五が歌った曲だ。「・・・はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめ続ける時代おくれの男になりたい」というフレーズは、40代以上の人だと、あの歌かと思い起こすことだろう。昭和という時代を走ってきて、今立ち止まって振り返り、何か大切なことを無くしてしまったのではないかと、自問し探しに出るような内容の曲である。1986年という年は、バブルへと向かっていく時に当たる。バブル期もそうであるが、以降の極端な「私」優先の時代を予知・予告してくれていたように思える。

今、「王子ブーム」と呼ばれる世界が希求されているが、阿久悠さんが立ち止まり、無くしかけていた「何か」につながっているように私には思える。その「何か」とは、素の世界、ありのままの世界、既に死語になってしまっている「純粋さ」のように思えてならない。
阿久悠さんの「時代おくれ」ではないが、過去の「何か」を探しにいく回帰市場も大きな潮流としてある。同時に、世俗やテクニックを削ぎ落とし、最後に残るもの。そうしたピュアコンセプト、素の魅力が求められている時代だ。(続く)

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2008年3月 9日 (日)

新たな回帰市場? 

ヒット商品応援団日記No246(毎週2回更新)  2008.3.9.

伝説の解散コンサートから30年を経て、あのキャンディーズが同じ後楽園で5万人ライブを4月4日に行うと発表された。30年前の解散理由である「普通の女の子に戻りたい」というメッセージは、今なお多くの人の記憶に残っている。1年半ほど前には吉田拓郎とかぐや姫による「嬬恋ライブ」が主に団塊世代の同窓会であったのに対し、キャンディーズの場合は次の世代、ポスト団塊世代のアイドルであった。
パスと団塊世代にとっても、同時代感、同じような時代の出来事に出会ったという共有感が求められているということであろうか。期せずして、同じ30周年を記念して、ゲーム機メーカーのタイトーから「スペースインベーダー」を発売すると発表された。そう言えば、100円玉を握りしめて盤面に向かったことを思い浮かべる人も多いかと思う。

さて、ポスト団塊世代の記憶の先には何があるのであろうか。1958〜1967年生まれの世代をポスト団塊世代としているが、後に新人類と呼ばれた世代である。団塊世代の心象風景には「Always三丁目の夕日」に描かれたような集団就職、路面電車、ミゼット、フラフープ、横丁路地裏、他にも月光仮面、力道山、テレビ、メンコやビー玉それら全てを含めた生活風景であった。ポスト団塊世代の幼少期の心象風景はというと、自動車保有が1000万台を超え、家族でドライブを楽しむといった豊かさへと向かう時代であった。進学率が上昇する一方、「落ちこぼれ」「家庭内暴力」といった今日と同じような社会事象が現れる。また、暴走族という名前の初代世代でもあった。

この世代の最大特徴は社会人となる1980年代に新しい文化を創ったことにある。その代表が漫画やアニメといったサブカルチャーで、中尊寺ゆっこさんが描いた「オヤジギャル」そのものの世代である。あるいは、「スペースインベーダー」を含め、以降のゲームブームの担い手でもあった。
団塊世代が「モノの欠乏感」を心象風景に描くのに対し、ポスト団塊世代は「モノが満たされつつある」時代を生きてきたと思う。ある意味、物語消費の主人公であった。欠乏感があるとすれば、精神的な飢餓感、喪失感であろう。1980年代半ば以降、結婚し子供を育てるが、この頃から急速に離婚が増加する。社会現象となった「成田離婚」はこの世代である。また、ブランド服を親子で着たり、愛玩育児とも呼ばれた世代だ。

今、ポスト団塊世代も中年期に入ってきた。団塊世代と交代するように、企業の中心に座り、低迷するビジネスに直面している。恐らく、バブル崩壊の問題を、仕事でも生活でも一番受け止めざるを得なかった世代だ。めまぐるしく動く日常の中で、「この時」「この場」という回帰する記念日をまさに必要とする、思い至る年齢になってきたということだ。まさに塊としてある団塊世代の陰に隠れ、「しらけ世代」と言われてきたが、別な表現をすれば「やわらかな個人主義者」と言えよう。おそらく団塊世代のような昭和回帰、ふるさと回帰、といった強い消費の潮流は見せないと思う。このポスト団塊世代を象徴する世界は何かと考えてみると、280万部というベストセラーとなった俵万智さんの「サラダ記念日」であると思っている。<「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日>という短歌の世界である。個人がそう思った「この時」が記念日となる。もし、回帰市場という言い方をするならば、同時代感、世代共有感ではなく、「個人回帰」となる。そして、どんな市場かと言うならば、個人記念日市場であろう。(続く)

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2008年3月 5日 (水)

「KY語」社会の意味

ヒット商品応援団日記No245(毎週2回更新)  2008.3.5.

過剰な情報が行き交う時代にあって、少しでも注目・話題を集めるために一時期バイラルマーケティングやサウンドバイトといった手法が専門家の間で流行った。一種のサプライズ手法でどれだけ伝達刺激を強くしていくか、政治は言うに及ばず広告や小売店頭にまで使ってきた。私は既に1年半ほど前から、こうした手法は終焉したと書いてきたが、以降のコミュニケーションの「今」について再度考えてみたい。

昨年の流行語大賞の時にも少し触れたが、とうとうローマ字式略語約400語を収めたミニ辞典「KY式日本語」が発売された。昨年の流行語大賞の一つに選ばれたKY(空気が読めない)も数年前から高校生の仲間言葉として使われていたが、昨年出版元に寄せられた新語募集ではこのローマ字式略語が上位を占め、発売に踏み切ったとのこと。ちなみに1位はKY、上位にはJK(女子高生)やHK(話変わるけど)といった言葉遊びが中心となっている。面白い言葉では、ATM、銀行の自動支払機ではなく(アホな父ちゃんもういらへん)の略語やCB、コールバックや転換社債ではなく(超微妙)の略語で若者が多用する言葉らしさに溢れている。

KY語の発生はコミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきたと考えられている。既に死語となったドッグイヤーを更に上回るスピードであらゆるものが動く時代に即したコミュニケーションスタイルである。特に、ケータイのメールなどで使われており、絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家もいる。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊である。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」がある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっている。誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するということだ。

KY語は現代における記号であると認識した方が分かりやすい。記号はある社会集団が一つの制度として取り決めた「しるしと意味の組み合わせ」のことだ。この「しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、CB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。つまり、記号の本質は「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。

私もそうであるが、言葉を使うとは常に「過剰」と「過少」との間で揺れ動くものだ。「外」へと向けた過剰情報、サプライズの時代を経て、KY語が広く流布している「今」という時代は、過少、「内」に籠った言語感覚の時代なのかもしれない。以前、「Always三丁目の夕日」のヒットを含め、若い世代においても同じで、学校給食の揚げパンを例に挙げ「思い出消費」について書いたことがあった。思い出を聞いてくれる「商品」、思い出を丁寧に聞いてくれる「聞き手」を欲求している時代ということであろう。「かっわいい〜ぃ現象」も「私ってかわいいでしょ」という「聞き手」を求め、認めて欲しい記号として読み解くべきだ。

以前、作家五木寛之の「鬱の時代」に触れたことがあった。不安という不確かなことばかりの社会にあって、心が病む鬱病が増加している。その精神科医の仕事は治すことではなく、「聞き手」になり、患者と共に物語りを共有することであると言われている。今日の精神科医の基礎を作ったジャック・ラカンは患者の「理解してもらい、認めてもらいたい」という希望を「丁寧に聞くこと」が仕事だと言っている。病という情況に至らなくても、多くの人にもあてはまることだ。KY語世代を日本語を理解していない、何も分かっていないと嘆くのではなく、ビジネス現場でも社会生活を送る上でも、まず「聞き手」に徹することだ。「KY式日本語」という文脈(言葉の土俵)に沿って対話していくことも、「大人」には必要な時代だと思う。(続く)

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2008年3月 2日 (日)

次を睨むインキュベーション

ヒット商品応援団日記No244(毎週2回更新)  2008.3.2.

「ダ・カーポ」の廃刊に続き、あの「主婦の友」が休刊となった。年間200以上の雑誌が生まれ、そして廃刊・休刊の雑誌も出てくる。約3000種類発行されていると言われている雑誌全体でも対前年20%の売上減少とのこと。また、サブカルチャーの両雄と言われてきた少年マガジンと少年サンデーが過去のコンテンツを提供し合って一つの雑誌を創刊するという。いわば、過去の名作をコラボレーションによって再創造していく試みだ。この背景にも、最盛時15億冊あった販売部数も今や10億冊にまで減少している事情がある。多様な個に即したメディアの多様化に対応し切れていないと言えばそれで終わってしまうが、日本映画の再生という良きモデルがあるのに何故学ばないのか不思議である。

顧客が変われば、当然経営の在り方も変わる。少量生産少量販売、中抜きSPA、商品の回転スピードup、・・・・バブル崩壊以降多くの企業がこうした試みをビジネスモデルに取り入れてきた。対象とする市場が小さければ、小さくても経営できる方法を模索するのが経営である。日本映画の再生がそうであったように、大作ではなく小作映画をモデルに、小さな資金でしかも小さな単位のファンドで調達する。上映は小さな客席数のシネコン、夫婦割りや各種の割引特典を用意し、顧客を再び呼び戻した。そうした、小さな単位ビジネスに呼応するかのように、キラリと光る周防監督のような人材が出てヒット商品が生まれる。繰り返してしまうが、まずは小単位へと分解し再編しなければならないということだ。

最小単位、それは個人であり、この個人をメディアへと一気に加速させたのはgoogleとYouTubeである。漫画雑誌経営は販売収入であるが、一般雑誌や新聞・TVあるいはラジオメディアは広告収入を柱としたビジネスモデルである。こうした既存メディアの広告収入ビジネスを根底から崩したのが、ネットメディアだ。既存メディアの扱いに依存してきた広告代理店の再編が行われたのはこうした背景からだ。今、このネットメディアで注目すべきが「勝手広告」である。政治での「勝手に意見広告」から始まり、「勝手にブランド広告」までアイディア溢れるユニークなものも出始めている。ネットの掲示板の書き込みから生まれた「電車男」から始まり、ケータイ小説がベストセラーになる時代である。既存アナログメディア世界と全く同じことがネット世界でも起きている。最早、利用者にとってアナログとデジタル、既存メディアとネットメディアの境界はない。区別・区分によって行われてきたビジネスモデルは終焉したということだ。

ところで少年マガジンや少年サンデーの初期には顧客反応を採るはがきを分析し、更には「新人漫画家」の舞台が用意されており、一種のインキュベーション(孵化)装置が仕組みとして組み込まれていた。主要な商業施設は全てこうした孵化装置としてのスペースが用意され、「次」が何であるかの発見を行っている。例えば、渋谷東急フードショーでは売り場の中心に4コマ程度の売り場があり、常に新しい専門店が出店しており、顧客変化のアンテナ役を果たしている。また、今なお成長し続けている渋谷109では新規出店ブランドを公募し、常に顧客変化を受信する。こうしたインキュベーション装置があればこそ、変化に対応できるのだ。

孵化装置という言葉の如く、卵を産み育てる装置・仕組みであり、未来投資としてある。どんな卵が「次」をつくっていけるのか未来は分からない。だから小さく卵を産むことだ。そして、この装置は流通の場合は一定の売り場・スペースを用意することになるが、他の業種にあっても同様である。今、日本語圏のWebサイトは約1億5585万と飽和・横ばい情況であるが、個人が創った特定テーマにおける比較検索サイト等は既に数百万から数千万といった金額で売買されている。こうしたWebサイトを流通させる仲介業者も既に存在している。一方、個人事業であった農業についても変化の兆しが出てきた。確か埼玉で行われていると記憶しているが、跡継ぎのいないいくつかの農地を借り、更に知恵を借り、競争力のある大規模農業を会社経営として実践しているところもある。資本主義経済とは、あらゆるものを商品化しようとする経済活動のことだ。時代が変わり、顧客が変われば、そこに新たな市場機会が生まれる。(続く)

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2008年2月27日 (水)

物語創作者

ヒット商品応援団日記No243(毎週2回更新)  2008.2.27.

ここ数週間いくつかの案件を抱えていたのでブログの更新が遅れていた。今回はその案件の一つである沖縄のコト起こしの人達について書いてみたい。
物語消費についてはたびたび触れてきたが、ロラン・バルトの記号論を持ち出すまでもなく、物語創作者は従来の読者・受け手である我々自身が作者に取って代わった。インターネット、ブログはまさにそうした世界であり、個人放送局の時代である。このブログを通じて会話をするようになった沖縄糸満に住む二人の主婦のネットワークによる小さな勉強会を行ってきた。小さなコト起こしを始めた、あるいはこれから起こそうという人達との勉強会である。私にとっての興味はどんな物語創作を行おうとしているのか、物語の創作現場を実感してみたいことにあった。

集まったメンバーは年齢・職種・経歴・育った環境まさにバラバラであるが、共通していることは「自ら創作者を目指したい」という強い思いである。思いは個別であり、会話のやり取りによってしか「次」へと進めないので、小さな単位の塾として行った。私は常に「あなたのお客さまは誰ですか」という顧客論から始めることにしているのだが、沖縄も少しずつ変わってきたなというのが実感であった。塾の開催場所は沖縄の人達ですら保守的で閉鎖的だと言われている糸満公設市場のカフェである。時間が止まり、一種淀んだ空気を感じさせるディープな場所である。この公設市場にも観光客が来るようになってきている。リゾートホテルと国際通りを点で結んだ表通り観光、名所旧跡的観光から、路地裏観光、そこに住む人達の生活文化観光という変化の波が糸満にも訪れようとしている。

もう一人沖縄で会いたかった人物がゴザで音楽観光というコト起こしを始めたメンバーの一人であるMr.スティービーである。周知の北谷町での米軍兵士による少女暴行事件、兵士の外出禁止令、ライブハウスを始めとした商店街は閑散とし、更にシャッター通化しているとマスメディアからの報道。どんな現実を受け止めているのか、Mr.スティービーに直接訊きたかったからである。船上ライブの合間に、時間を作ってくれて、「コザの今」を話してくれた。
確かにまたしても少女暴行事件は起きた、しかしとMr.スティービーは言う。コザの音楽観光、ライブハウスのはしごツアーに真似て、ゲート通りの横丁・中の町のバーやクラブでもはしご酒プロモーションを始めたと言う。そして、はしご酒ツアーを終える朝、街をキレイにとの思いから店のスタッフは中の町の通りを掃除して帰る。ライブハウスのはしごツアーのメニューもロックミュージックだけでなく、三線ライブやOldies等チャンプルー文化を体験できるツアーメニューを検討している。また、BEGINや森山良子の歌で知られている「涙そうそう」の映画の舞台となった撮影現場観光もメニューに入っているという。マスメディア報道とは異なるもう一つの物語、少しずつコザも変化し始めているということだ。

今回久しぶりに国際通りの周辺をていねいに歩いてみた。通りは相変わらずの金太郎飴のようなお土産屋ばかりでつまらない通りであるが、いくつか新しい発見をした。一昨年位から東京でもTVや雑誌で取り上げられてきた沖縄産の塩である。その代表的な塩が「ぬちまーす」で、ぬち(命)・まーす(塩)とネーミングされたミネラル分が豊富な塩である。この「ぬちまーす」に続く塩が「雪塩」で、このメーカーが平和通りに「塩屋」(http://www.ma-suya.com)という塩専門店を今年の1月にオープンさせた。沖縄の塩と共に世界の塩を集めた専門店であるが、「合わせ塩」という塩のブレンドサービスを行っている点が特徴的だ。当たり前といえばそうであるが、沖縄は海に囲まれた島であり、長寿の食を支えてきたのが塩である。私の持論である「素(もと)食」につながる原点への着目だ。
また、沖縄に行けば必ず立ち寄る雑穀専門店がある。例年だと年末には売り切れてしまう宮古島特産の「黒あずき」が店頭に並んでいた。聞くと地元の人の要望もあり、倍の仕入れをしたのでまだ在庫はありますという。

勉強会に参加した夫婦と幼子3人で始めた「みん宿ヤポネシア」(http://www.yaponesia.com/)の福永君は『今回、ヤポネシアの「物語」を表していく、「思い」を形にしていくと いう課題があらわになりました』とメールをいただいた。また、Mr.スティービーは私との会話で本名は伏せてくださいと言い「夢を売る商売ですので」とコザへの夢を重ねて話す。一人ひとりが、思いや夢を形にしていく物語創作が始まっている。(続く)

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2008年2月10日 (日)

新たな物語づくりへ 

ヒット商品応援団日記No240(毎週2回更新)  2008.2.10.

2008年の元旦にサミエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」というタイトルを借りて、やってきてくれるかどうか分からない不確かな何か、救世主あるいは神と呼んでもかまわないが、そのゴドー(Godot)という「不確かなもの」を待った十数年であった、と私は書いた。また、その後神や精霊は形あるものに降りてくるのではなく、こころの中に降りてくるのが日本人の心性世界でもあるとも書いた。鬱屈した時代、ますます心理市場化していく時代にあって、「不確かさ」に向き合うこころと消費を重ね合わせ、少し異なる視点で考えてみたい。

「不確かな何か」を消費という面から見ていくと、それは市場が心理化される中での「期待値」ということになる。ブランドへの期待とか、何かチョット他とは違う何かがあるとか、そうした一種曖昧なものへの価値ということとなる。消費推移を20年ほど振り返ってみると、使用価値や機能価値といった形のわかるモノ価値の次の段階へと消費が進化してきた。こうした消費を促進してきたのが、記号論を背景とした物語マーケティングとかストーリー・マーケティングと呼ばれてきた手法であった。いわゆる生活者は「物を買うのではなく、物語を買っているのだ」と。1980年代から、1990年代にかけて様々なところで使われてきたが、最早そうした物語は解体している。

ちょうど1990年代末から2000年にかけて、マスマーケティンの終焉と共に、口コミマーケティングが着目された。この「口コミ」という手法は、物語消費という視点から見ていくと、物語の作り手がメーカー・販売する側から、買い手・消費する側へと移行したということである。つまり、物語の想像・創造が消費者へと移ったということだ。「うわさの法則」でも書いたが、「不確かさ」あるいは「曖昧さ」といった不完全な物語を補う欲求が、想像力や創造力を促し、「私の物語化」へと進んでいったのが口コミマーケティングであった。これが数年前の「マイブーム」の本質であった。更にいうと、「私だけがよければ」という悪しき私生活主義も産み出した。

この前、「不安物語」というタイトルで、中国製冷凍餃子事件について書いたが、結論からいうと「こころには、神ならぬ不安という妖怪が降りてきている」ということであった。妖怪は食ばかりか、不透明なままの年金問題や是正されぬ格差問題、未解決のままの凶悪犯罪、・・・・・昨年の流行語大賞の「どげんかせんといかん」も「KY(空気がよめない)」もこうした心理を反映したものだ。「踊り場」にいると私は表現してきたが、降りてくるのを神とするのか妖怪のままにしておくのか、決めるのは個人である。実は、次の物語を創るのは私たち個人ということだ。

既にそうした芽は点ではあるが出てきている。商品を作る側では、一年中365日「旬」が作れるが、しかしコストのかかる「温室栽培」の野菜ではなく、自然にまかせ生命力そのものである野菜を使ったレストランや生産者が増えてきている。旬はその時期でしか食し得ないから旬であったことを生活実感する本来の感性を取り戻すということだ。その時、地産地消とか身土不二、あるいはマクロビオテクスなどと理屈をいわないことだ。豊かさ実感はそうした方向、物語へと進んでいると思う。

さて、物語の作り手となった私たちはどんなシナリオを書き始めているだろうか。中国製冷凍餃子事件に関していうと、ファミレス大手のすかいらーくグループは中国製メニューは全てメニューから外すと発表した。一種の「チャイナフリー」というプロモーションであり、生活者の物語づくりの方向を見定めることでもある。私の考えはこうだ。戦後間もない頃、食の第一は栄養をとることであった。しかし、そうしたサプリメント的な食から、食の本質は旬=生命力の素であり、千年以上続けてきた生活文化の中で育まれてきた文化そのものであり、更にいうとそうした食を学び・継承していくものだという原点に立ち戻る。そうした原点回帰・本質へと向かう物語づくりだ。そして、志しある個人が物語づくりへと集まり、コミュニティ再生、街や村起こしへと向かうであろう。(続く)

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2008年2月 3日 (日)

縁への着眼 

ヒット商品応援団日記No238(毎週2回更新)  2008.2.3.

新しい市場はどこから生まれてくるのか、このテーマについてもう少し書いてみたい。前回<場>などの「境界」に着眼ということに触れ、東京杉並和田中学の地域本部や男性・女性の<性差>の境界が無くなり中性化してきたと書いた。そもそも日本の歴史を遡れば、地政学的にもユーラシア大陸東のハズレ、縁(ふち)にある島国であり、北は樺太から、南は沖縄・南洋諸島、そして朝鮮半島を通って、多くの人やモノ、文化などが流入し咀嚼してきた日本である。日本は島国で閉鎖的である、こうした歴史教科書の嘘はあの網野史学によって根底から覆されている。沖縄に海人(ウミンチュウ)という言葉があるが、島国であるが故に海洋国家として多くの国と交流してきた。網野善彦さんが指摘しているように、既に室町時代には太平洋を越えて南米ペルーに日本人が渡っていた。沖縄風に言えば、境界ならではのチャンプルー文化、コスモポリタンとしての要素を持っていたということだ。

縁(ふち)と共に、縁(えん)の世界も新しい市場を生み出していく着眼点だ。今、縁(えん)という言葉を耳にすると縁日や人と人との縁の世界を思い浮かべると思う。縁とは人を含めた関係性を指した意味合いがあり、地縁、血縁、学校や職場・クラブといった場によって出来る縁、最近ではブログ等による情報縁まで、いわゆるネットワークの起源としてある。こうした人との関係性による新市場の着眼については次回してみたい。

このブログでも日本の資本主義の源流、貨幣経済の発展について書いたことがあるが、結論からいうとそのスタートは荘園経営であった。商業発展の場である市場(古くは市庭)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁的空間であったということだ。荘園と荘園との境界よりも、国と国との境界の方がより無縁的空間となり、そこに寺社を立てコントロールしてきた。網野善彦さんは、こうした境界・市の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。

日本人の縁の結び方の特徴は寺社や聖なる場所を見ればよく分かる。私が好きな沖縄にも世界遺産でもある斎場御嶽(せいふぁうたき)という聖なる場所がある。神々の島と呼ばれている沖縄であるが、神が降り立ってくる場所が御嶽で、そこには形あるものは何一つ無い。つまり、神はこころの中に降りてくる、という心性世界をよく表している。斎場御嶽の先には、神々の島・久高島があり、その先東の海にはニライカナイという他界があるとされている。つまり、辺界、この世とあの世との境界に斎場御嶽はあるということだ。

縁(ふち)、境界はある意味法が及ばない脱法的世界という側面を持つ。既に平安時代にも「不善のやから」が横行していた。欲望と欲望とがぶつかり合う混乱・カオスの世界でコントロールできないこともある。しかし、こうした中から新しい「何か」が生まれてきた。戦後の荒廃と混乱の中から、SONYやHONDAといったベンチャーが生まれた。1990年代半ば、既成価値観が崩壊する混沌の中から、マスコミも誰も注目しなかった右肩下がりの渋谷109からあのエゴイストも誕生した。挑戦と冒険をポリシーとしたヴァージングループというネーミングのように、常に市場はヴァージン(処女地)であり、境界、縁(ふち)に着眼ということだ。(続く)

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2008年1月16日 (水)

しあわせ消費の時代         

ヒット商品応援団日記No234(毎週2回更新)  2008.1.16.

笑いや歌は時代を映し出す鏡のようだと言われているが、その映し鏡が少しづつ変わってきている。昨年の流行語大賞にも選ばれた「小島よしお」は年が明けあらゆるバラエティ番組に出演している。少し前には「レイザーラモンHG」「ザ・たっち」「波田陽区」・・・・同じような使われ方をし、まるでコンビニで売られている商品が売れなくなれば2週間で棚から外される光景を見ているようだ。確かに視聴率という売上がとれなければ外されても仕方は無いが、そんな笑いという商品が少しづつ変わってきている。

昨年の「M-1グランプリ」で優勝したサンドウィッチマンの笑いは何かほっとさせるものであった。しゃべくり漫才という漫才の本道をゆく、大きな笑い、奇をてらった笑いではなく、マギー司郎の笑いのようにくすっと笑える本格漫才であった。所属事務所は誰も知らない小さな事務所に所属し、敗者復活戦から勝ち抜いたコンビである。今までは大手吉本興業という笑いの大量生産大量販売会社がTVのバラエティ番組というコンビニに大量供給してきた笑いであったが、それとは異なる質の笑いがサンドウィッチマンだ。

停滞、閉塞感が圧し包む時代にあって、「笑い」は歌と共にひとときこころを癒してくれるものだ。一年以上前からこのブログで「サプライズの終焉」というテーマで、劇場型のパフォーマンスは終わったと私は書いた。M-1におけるサンドウィッチマンはまさに時代が求める気分を実証してくれたようなものだ。これでもかこれでもかと、笑いを迫る「過剰さ」はもう終わったということである。諸説あるようだが、元々漫才は「萬歳」と言われ、江戸時代正月に門前で祝う祝福芸が起源であったと言われている。人を笑わせ楽しませてくれる、ひととき幸せにしてくれる話芸であることには間違いない。ある意味幸福世界を映し出したものとしてある。

1980年代後半、バブルの時代に「ひととき貴族」というキーワードに象徴されるひとときリッチ消費があった。20年を経た今、これからの消費は「ひととき幸福」というものになるであろう。少し前に書いた単位革命ではないが、小さな幸福、チョットうれしい、ひととき幸福、といった小さな日常の幸せ感がマーケティングやマーチャンダイジングに求められている。今、小売業や飲食などのサービス業で注目されているキーワードが「ひととき」である。例えば、毎月この日は感謝デーとして50%オフ、あるいはつめ放題100円、といった小さなお得=幸せ感づくりであるが、そこには笑いにつながるゲームなどの遊び感覚がポイントとなっている。

ゴージャス、セレブといった表現のシンボル的存在であった叶姉妹は、作られた姉妹、作られた像であることはそのスタートから分かっていたが、父親との金銭問題による憎悪が表に出てきていることが象徴するように、「ひととき貴族」から「ひととき幸せ」を実感、納得させるものであった。小売業的にいうと、ひとときくすっと笑えるような会話、そんな一言、店頭の雰囲気、そして小さな幸せをもたらしてくれるような商品ということになる。今日の動物園や水族館人気も生物のチョットした仕草や本能の愛らしさにもつながっている。あるいは、地域の町おこし等に使われるキャラクターなんかも同じだ。新しい市場創造ということでは、バラバラとなった個人化社会、個族の時代にあっては、笑いを伴う「しあわせ接着剤」が個と個をつなぎヒット商品となる。(続く)

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2008年1月13日 (日)

潰れない会社の持続力 

ヒット商品応援団日記No233(毎週2回更新)  2008.1.13.

昨年は不二家を始め赤福、船場吉兆といった老舗ブランドの不祥事が続発した。今ブランド再生のために支援企業や社外役員によって、社会という風通しの良い会社へと動き出したが、いかにブランドがもろく壊れやすいものであるか実感したことと思う。ブランドイメージはコミュニケーションによって創造できるとした考えは、同時に裏ではそんなことをしていたのかといった不祥事情報によっていとも簡単に壊れてしまった。ある意味、情報によって創られた商品や企業は、負の情報によって得られたブランド価値を失うという情報の時代の特徴を良く映し出している。私はそうしたブランド創造のあり方を全て否定している訳ではない。しかし、そうしたイメージ戦略とは異なるところで、例えば不祥事があっても、やはり不二家が好きといってくれる顧客はいる。その顧客が実はブランド価値を創ってくれていたのだ。

広告代理店やマーケティング会社の多くは、ブランド価値の成長と見直しが今年のビジネステーマとなっていると思う。ブランド価値を情報による未来期待値の創造、つまり心理価値にウエイトを置いたものは、当然負の情報刺激が大きければ一挙に心理価値はマイナスへと大きく振れることとなる。しかし、本来ブランドとは使われ続けるという時を積み重ね、何層にも積み重ねられた使用価値集積の結果であった。日本人はそれを暖簾と言ってきた。奉公人が独立をする時には、お祝いの品の中に暖簾が含まれており、世間の信用という何よりの資本財として扱われてきた。ブランドとは時を超えてなお社会が「これはいいよ」と言ってくれるものだと言うことだ。

ところでこうした老舗と言われ得る会社とはどの位の時を経てきたとお考えであろうか。人も企業も生き物で当然寿命がある。つぶれない、その持続力の源は何か、という良き事例がある。ブランドの原点とも言うべき世界最古の企業が大阪にある金剛組という宮大工の会社だ。TVでも1〜2度取り上げられたこともあるので知っている方もいると思う。創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている会社である。金剛組の最大の危機は明治維新で、廃仏毀釈の嵐が全国に吹き荒れ、寺社仏閣からの仕事依頼が激減した時だと言われている。更に試練は以降も続き、昭和恐慌の頃、三十七代目はご先祖様に申し訳ないと割腹自殺を遂げている。また、数年前にも経営危機があり、同じ大阪の高松建設が支援に動いたと聞いている。

何故、こうした支援が可能になったのか、それは金剛組の仕事そのものにあると思う。宮大工という仕事はその表面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその技がわかるというものだ。見えない技、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたと思う。記者会見で、ご先祖様に申し訳ないと泣きながら、しかし「頭が真っ白になって」と息子に言う船場吉兆とは全く似て非なるものだ。私が尊敬するダスキン創業者鈴木清一は創業の日に「神様、お役に立たないのであればどうぞつぶしてください」と祈ったと言う。ところで、その船場吉兆であるが、民事再生法の申請に動いていると聞いている。(続く)

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2008年1月 9日 (水)

OLD NEWの豊かさ

ヒット商品応援団日記No232(毎週2回更新)  2008.1.9.

前回スモールビジネスへの再編、小単位化について書いた。これは生活者レベルに置き直すと、小さければ無駄を無くすことが可能でエコロジーにも直接つながるテーマであった。おそらく「小」の世界を「エコ単位」と呼ぶ時代が来たということである。マイ箸やエコバックといった小さなヒット商品を入り口に、エコ単位によるライフスタイルが基本になっていくと思う。

ところで10年ほど前に、幕内秀夫さん(管理栄養士・フーズ&ヘルス研究所代表)が「粗食のすすめ」を提案され話題になったことがあった。しかし、当時は健康というより、ダイエットの方に消費欲求が強かったため、幕内さんは粗食を素食(そしょく)、シンプル&ナチュラルという意味に言い換えられた。私ならば、素食(もとしょく)と呼んで、長寿の素・健康の素である「普通回帰」、以前の普通とはひと味もふた味も違う素敵な「普通」を提案すれば良かったのではと思っていた。この普通を千年に渡り連綿と続けているのが京都である。

「素食」というと、何か貧しいように受け止められがちであるが、実は極めて豊かな「普通」を指し示す世界である。周知のように、ハレの日とケの日という四季の生活カレンダーが今なお生活に根づいているのが京都である。ケの日、つまり普段は「始末」して暮らし、ハレの日はパッと華やかに。そうしたメリハリのある生活習慣が、食=台所に深く浸透している。例えば、ハレの日=お祭りだと鯖寿司ということになる。ケの日だと、今月も「渋うこぶう(しまつして、という意)暮らせる様に」と、にしんと刻み昆布をめおとだきにして、あずき御飯も炊き、大根と人参のなますを付け合せるといった具合に。京都や滋賀では近江商人の心構えである「しまつしてきばる」という言葉を今でも日常的に使っている。「しまつ」とは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ること、生かし切ることであり、「もったいない」というエコライフにつながる意味合いの言葉だ。

今までの都市生活者のライフスタイルは、「変化」をいち早く取り入れ楽しむといったいわばフローによるライフスタイルであった。特に海外の話題、ニュースといった「鮮度情報」による消費が中心であったが、最早一般化し表層ばかりを追いかけることを見直し始めてきた。結果、興味・関心は過去へ日本文化へと移ってきた訳だ。これが和ブームであるが、今の若い世代にとっては、古(いにしえ)が新しい・OLD NEWということである。数年前から京の町家に住みたいと移住する若者が多く、時を重ねた日本文化に新しさを感じているのだと思う。一時期コンクリートによる打ちっぱなし家屋や施設が流行ったことがあるが、そこに文化という奥行き、ストックを感じることは無かった。今日の古民家ブームの本質は千年建築に代表される日本文化を楽しむということだ。

昨年「偽」というキーワードがあらゆるところを席巻したように、情報に振り回される生活から、時を経た「確かさ」「深み」のある生活への転換が始まっている。こうしたOLD NEWは京都だけではない。足下には多くのOLD NEWが眠っていて、アースダイバーではないが掘り起こせばよいのだ。しかし、ただ単に古ければ良いという訳ではない。時を重ねてきた「古(いにしえ)物語」が必要である。海から遠く離れ、鮮度という資源を持たない京都は、身欠きニシンや昆布といった塩乾物に手を加える知恵やアイディアを産み出した。このOLDをNEW足らしめるには、やはり知恵やアイディアが必要ということだ。(続く)

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2007年12月19日 (水)

神の手と仏の手      

ヒット商品応援団日記No228(毎週2回更新)  2007.12.19.

3年ほど前、どの病院でも断られ手術困難な患者を救う医師、「鍵穴手術」の考案者でもある脳神経外科医福島孝徳氏を「神の手」と呼ぶようになった。以降、テレビ東京による「主治医が見つかる診療所」や雑誌で紹介され「神の手」を持つ名医が広く知られるようになった。最近では、再生医療を大きく前進させるであろう「万能細胞(iPS細胞)」を創ることに成功した京都大学の山中伸弥教授なんかも神の手を持つ研究者の一人であろう。こうした医療の分野だけでなく、周知の小さな町東京大田区の町工場にもロケット部品を作る神の手を持つ技能者はいる。更に言えば、日本文化の伝承者にはこうした「神の手」と呼ぶにふさわしい高度な技能者、匠は極めて多い。

今東京大田区の町工場には若い女性達が技能を身につけたいと就職希望者が出て来た。私が好きな沖縄にも紅型を学びに単身で移住する女性も多い。あるいはWeb2.0を提唱する梅田望夫さんは、IT技術者の精神のふるさとシリコンバレーに1万人の若者を移住させようと活動している。若者ばかりか、町工場で培った技能を中国や東南アジアで自ら働き、伝える中高年も多い。ビジネスの師P.ドラッカーも言うように、ビジネス世界は全て徒弟制度である。若い人は「神の手」を学び修行し、技能を持つ人はその技能を伝承する。

「神の手」と呼ばれる福島孝徳医師は、そう呼ばれることに対し「神の手をもつ医師ではない、いつも手術前には神様に成功を祈っている」と答えている。病気を治す「神の手」という卓越した技能と共に、患者と向き合い対話する「仏の手」を持っている方だと思う。梅田望夫さんは一つの「生き方論」として「ウェブは『志』『志向性』の核さえあればどこへでもいける」(「ウェブ時代をゆく」ちくま新書)と言う。そのために「新しい強さ」を身につけよう」と呼びかけ、自ら「高速道路」を走ることなく、「けもの道」を選んでいる。ある意味「仏の手」をもって呼びかけていると言えよう。東京大田区の町工場の代表がインタビューに答えて「技能は後からでもいい。まず挨拶、礼儀から。心が一流であって欲しい」という言葉にもつながる世界である。神の手を匠の技、プロの手、あるいは高度な技術と呼んでもかまわない。仏の手を他者への優しさ、愛情、あるいは生きざまと呼んでもかまわない。いづれにせよ、神の手と仏の手は一枚のコインの表と裏だ。

今年の「新語・流行語大賞」に引き続き、恒例の世相を表す漢字「偽」が京都清水寺から発表された。ちょうど一年前、私はこのブログで2007年はポリシーの時代になると、願望を込めて書いた。高い志しに多くの支持が集まる時代にという意味であったが、「発掘!あるある大辞典」から始まった「偽」は、2007年を終えようとする12月には船場吉兆のあざとい「偽」で終えた。「志し」の一年でという思いとは全く逆の年となった。
ところで「偽」の反対語は「真」という言葉であるが、2つを合わせると「真偽」という言葉になる。それは正しいことなのか、いや偽りなのか、と言った具合に使われる二項軸の考え方である。ところで多値論理という論理学がある。真と偽の他に多数の値があるのではという論理学だ。つまり、「曖昧さ」を認める考え方と言って良いと思う。コンピュータのように0と1で物事を決めていくのではなく、真ん中も良いではないか、ファジーを一つの価値としていく世界である。ある意味直感もこうした価値の一つであろう。過剰情報の中にあって、全てが真偽混在、混沌としている時代にいる。

食品偽装・偽造に関し、このブログでも書いたことがある。日本の精進料理はその戒律から多くの「もどき食品」で成り立っていると。カニもどき食品としては、あの「かにかま」というヒット商品すら生まれている。居酒屋などで使われているさいころステーキの多くは「成型肉」である。「もどき」を作る技術は、ある意味「神の手」と言えなくはない。決定的に失ってしまったのが「仏の手」だ。(続く)

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2007年12月16日 (日)

3つのメガ・トレンド     

ヒット商品応援団日記No227(毎週2回更新)  2007.12.16.

心が向かう先、メガ・トレンドは3つある。1つは自然・健康である。2つ目は家族・絆であり、3つ目は日本の歴史・文化であると考えている。全て工業化・近代化によって失ったものである。勿論、便利さや快適さ等工業化・近代化によって得たものも大きい。しかし、あらゆる分野で「依存症」といった言葉に見られるように、行き過ぎた過剰な傾向が多発してきた。例えば、この揺れ戻しの一つが振れ過ぎた洋からの和回帰・和ブームである。

「自然・健康」においては和食への注目は更に精進料理へとつながっていく。また、埋もれた地方の食にもスポットが当たると思う。2007年は食品偽装の一年であったが、自己防衛と楽しみを兼ねた家庭菜園熱は更に高まる。自然の持つ生命力、酵素を生きたまま食べる(火を使わない)「リビングフード」なんかも流行っていくと思う。単なる癒しを超えた、自然の持つ治癒力に心と身体をゆだねるような新しいツアーなんかも流行るかもしれない。今年注目された山梨の「ほったらかしの湯」のように、満天の星空のもとでの露天風呂のように、「ザ・自然」とでも言うような未知なる体験をさせてくれるようなものに注目が集まるだろう。
十数年前にホースセラピーから始まったアニマルセラピーはペットブームへと発展し、今や都心にはドッグラン専用の施設ができている。悪徳ブリーダーや動物病院も社会問題化した一年であったが、これからも人間と同様の衣食住遊休知美といったペット市場が生まれてくる。

2つ目の家族・絆であるが、前回書いたように崩壊した「家族」をつなぎ直す動きが様々なところで出て来ている。住においては家族共有のスペース、互いに顔が見えるような空間配置、つまりコミュニケーションできるような住まい方である。個という単位から、家族単位への揺り戻し、注目された一年であった。今年のヒット商品番付横綱となったWiiも家族や仲間と遊べるソフトによるものが大きい。ファミレスを始めとした飲食サービスにおいては幼い子供が騒いでも迷惑かけないような個室が用意され、親子三世代ツアー人気や「家族割り」といったプロモーションもこうした家族単位ビジネスを後押しした。
今年の福袋には百貨店の店長体験や農業体験といった「体験型商品」が見受けられたが、キッザニアの成功によるところが大きい。子を産んだだけで親にはなれない。育てようにも昔のように祖母というお手本が無い時代である。徹底的に失ってしまったのが「体験学習」の場と方法である。元リクルートの藤原さんが杉並の和田中学で行っているのも「親子一緒」による社会学習である。家族というテーマに関わらず、体験学習という方法と場は今後も強く求められていく。

3つ目の歴史・文化については和回帰・和ブームを兼ねてこのブログでも数多く書いて来た。停滞しどこに向かえば良いのか分からない時代、そんな時代を踊り場と私は表現してきた。過去はどうであったか遡ることは至極自然なことだ。禅や般若心経への注目や四国遍路、熊野古道、更には1000年前どのようにつくられたか分からない急峻な山の斜面にある修験道鳥取三徳山三佛寺も注目された。踊り場からの視座、日本古来の精神世界から何かを得ようとする心であろう。
ところで今年の「新語・流行語大賞」に東国原知事の「どげんかせんといかん」が選ばれた。時代の踊り場を脱却しなければとの意味であるが、実は方言である。以前、標準語と方言について書いたことがあったが、方言は地方文化そのものであり、地方の時代を支えるものだ。今、埋もれた地方の商品に注目が集まっているが、実は地方文化に注目が集まっていると認識しなければならない。文化の奥に潜む精神世界もまた掘り起こされていくと思う。都市と地方の格差が言われているが、敢えて誤解を恐れずに言うと、都市にはモノの豊かさはあっても心の豊かさはない。逆にモノは乏しくとも豊かな心性世界は地方に今なお残っている。(続く)

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2007年11月25日 (日)

偽ブランドの源流 

ヒット商品応援団日記No221(毎週2回更新)  2007.11.25.

今日のライフスタイルの原型が江戸時代にあることはこのブログでも何回も書いて来た。食事の回数が1日2回から3回になったのも江戸時代であったし、鮨やてんぷらもこの時代の屋台から生まれた。実はブランドもこの時代に生まれ、同時に偽ブランドも流通した。

ところで江戸時代を封建社会と呼んでいるが、この「封(ほう)」とは領内という意味で、領内での自給自足経済を原則とした社会の仕組みのことである。こうした村落共同体をベースとした経済も度重なる飢饉と貨幣経済によって、天保の時代(1800年代)に大きく転換する。その転換を促したのが「問屋株仲間制度」の撤廃であった。今日でいうところの規制緩和で素人も参加できる自由主義経済の推進のようなものである。しかし、幕府は問屋株仲間からの上納金(冥加金)がとれなくなり、10年後に撤廃するのだが、この10年間によって市場経済は大きく変わっていく。

江戸時代の商人は、いわゆる流通としての手数料商売であった。しかし、この天保時代から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通という「中抜き」を行ったSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。
実は、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなったのが「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。

京紅だけでなく、従来上方で製造されていた清酒も同様に全国へと生産地を広げていくこととなる。醤油、絹織物、こうした物も江戸周辺地域で製造されていく。そして、製造地域も東北へと広がっていく。従来海上交通に規制されていた物も陸上交通も使うようになる。こうして「下り物」としてのブランドが広がるにつれて、偽ブランドもこの時代に出てくる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術による模造品が生まれている。今日のブランド偽造、産地偽装、の源流は江戸時代から始まったということだ。

ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったものではなく、遊び心と偽造というより卓越した模倣技術を認める目をもっていたということである。例えば、ランキングという格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。偽造、偽装ばかりが事件となっているが、江戸のように自らの体験・評価による格付けが今問われているということだ。ブランドは本当に好きな人たちのものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち帰ることだ。(続く)

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2007年11月18日 (日)

空気を読む (KY)  

ヒット商品応援団日記No219(毎週2回更新)  2007.11.18.

先日、2007年度「新語・流行語大賞」にノミネートされたキーワードが発表された。どの言葉が大賞となるかは分からないが、ここ数年の推移を見ていくと一つの「時代」が見えてくる。
2004年度/「チョー気持ちいい」、「気合だー」
2005年度/「小泉劇場」、「想定内(外)」
2006年度/「イナバウアー」、「品格」
2007年度/「KY(空気が読めない)」
2007年度の「KY」は私が勝手に入れてみたのだが、2005年度までの大賞は、あっと驚く感嘆詞、劇場型、サプライズ的な過剰な世界を象徴したキーワードであったのに対し、2006年度からは藤原正彦さんの著書から生まれた「品格」に代表されるような情緒、知性、内から醸し出される雰囲気、といった精神世界へと変化してきているように思える。こうした推移の延長線上で考えていくと「KY(空気が読めない)」が今年度の大賞ではないかと私は思っている。

言葉になかなか表しにくい微妙な世界、見えざる世界、こうした世界を感じ取ることが必要な時代に生きているということである。善と悪、YesとNo、好きと嫌い、美しいと醜い、こうした分かりやすさだけを追い求めた二元論的世界では見えてこない世界を「空気」と呼んだのだと思う。元々中高校生が日常的に「分かっていないヤツ」という意味で使っていた言葉であるが、安倍内閣の国民の意志を感じ取れないさまをマスメディアが援用したことから広く使われるようになった言葉だ。
そもそも漢字、カタカナ、ひらがな、という3つの言語を持っている民族は世界にあって日本だけである。特に、ひらがなは日本固有の言葉であり、人の機微、情感を表現する文化として日本人の精神世界にはなくてはならない言葉だ。

「空気が読めない」とは、想像力の欠如、感じ取る力の喪失、教養力の欠如、といったように表現できるであろう。「空気」を場面や人間関係に置き換えて言えば、ジコチュウや今流行のモンスターペアレント、モンスターペイシェントなんかにもつながっていく。あるいは、もっとネガティブな世界では「いじめ」にもつながっていく。つまり、コミュニケーションの単位が国家や、企業、地域、更には友達やクラブ仲間、家族それぞれの単位の中でのコミュニケーションが機能しなくなり始めているということだ。過剰な情報の時代であるが故に、コミュニケーションできないという現実が「KY(空気が読めない)」という流行語を生み出したと思う。

IT技術の進化により、20年前には会って話すことが出来なかった人達といとも簡単に情報のやりとりが可能となった。しかし、便利な時代にあって、失ったものもある。会話、対話という空気が読めるコミュニケーションだ。昭和回帰、レトロブーム、もっと広げれば和回帰もそうであるが、全てがオープン、互いに見える世界に生活し、仕事もし、生きていた。昭和の時代、狭い部屋の中では子供が今日学校で何があったか、話すまでもなく表情だけで分かる。
マーケティング、ビジネスに視点を移すと、対話、会話は現場にあり、今回の船場吉兆の不祥事はまさに社内外との対話を喪失したことによって起こったことだ。特に、顧客との対話を通じ「空気を読む」ことが極めて重要となっている。カリスマと呼ばれて来た人は皆この「空気を読める」人達である。初代カリスマである渋谷109エゴイストの渡辺加奈さんから、山形新幹線のカリスマ販売員齋藤泉さんまで、全て「空気が読める」人である。つまり、カリスマという人材を含め、人が生き生きと生かされ顧客の気持ちまで感じ取るには、対話という原点に立ち帰ることだ。(続く)

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2007年11月14日 (水)

オタクのラストシーン

ヒット商品応援団日記No218(毎週2回更新)  2007.11.14.

10月29日の日経MJにアキバの「メイド最新事情」が特集されていたが、目にした方もいたことと思う。観光地化した秋葉原にカジノゲームやカラオケ、土産物屋などの新タイプのメイド喫茶が増殖しているという内容だ。私はこの情報を目にして、ああアキバのオタク文化の最後の名残であるメイド喫茶もラストシーンを迎えたなと思った。アキバはブーム消費を終え、秋葉原へと戻っていくことになる。真性オタクは既に秋葉原にはいない。いるのはメイド喫茶観光の顧客だけである。当然のこととして、ビジネス継続は難しくなる。微妙に違う美少女アニメの色合いにまで注視する、一種の過剰さを追い求めたオタクは最早いないということだ。

1980年代コミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称「お宅」を「おたく」としたのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを過剰さに重ね「おたく」と呼び一般化した言葉である。その後、コミックやアニメを既成に対するカウンターカルチャーであるとして、新人類世代の大塚英志氏や宮台真治氏といった論客がオタク文化の本質を語ってくれた。
しかし、オタクという言葉も健康オタクから始まり様々のところでオタクがネーミング化され市民権を得ることによって、その「過剰さ」が持つ固有な鮮度を失っていく。市場認識としては、いわゆる「過剰さ」からのスイングバックの真ん中にいる。真性オタクにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな物語への転換となる。

アキバ系といわれるオタク文化が本格的に外側・表へと出てきたのは一昨年であった。周知の萌え系、メイド喫茶などがそうであったが、2チャンネルのスレッドでスタートした「電車男」も書籍化・映画化という形で表へ外へと出てきた。つまり「オタク」のマスプロダクツ化である。その象徴が観光地アキバであり、メイド喫茶であった。マスプロダクツ化が進み、あるフェーズに至ると臨界点を超え、急激に終末を迎える。
今、注目されている一冊の本がある。一時期、オタク推進派の旗手をつとめ、その太めの身体で人気でもあったあの岡田斗司夫氏が書いた本で、その巨体をダイエットした「いつまでもデブと思うなよ」は、オタクの終焉を見事に映し出しているように思える。

今、小説と呼べるのか分からないが、いわゆる携帯小説がブームとなっている。あるいはブログもそうであるが、書籍化されたり、映画化され、以前のコミックやアニメとは異なるサブカルチャーが始まっている。携帯小説の多くは「私小説的」ではあるが、始めからマスプロダクツの可能性を持つものとしてある。個がそのまま不特定多数とつながる、まさにインターネットの申し子そのものである。勿論、真性オタクがいなくなったわけではない。例えば「涼宮ハルヒ」オタクは今なおそのオタク世界に生きている。ちょうど、オタク文化が衰退、消えていく結節点が「電車男」であり、新しい個人文化のスタートが携帯小説であると考えている。つまり、インターネットが生活の中に浸透し、使われ、自己表現としてネット舞台に上がって来たということだ。これは推測の域をでないが、動画ブログやYouTube辺りにも次なる個人文化の芽が出始めていると思っている。こうした文化は勿論世代が異なっており、全くオタクとは異なるものである。早晩新しい呼称も第二の中森明夫氏によって一般化されていくであろう。(続く)

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2007年11月 7日 (水)

コトを起こす人達

ヒット商品応援団日記No217(毎週2回更新)  2007.11.7.

先々週、好きな沖縄に行き素敵な人と出会い、体験したことを書きたかったのだが、バタバタしてしまいとうとう今日になってしまった。今回、沖縄に出かけるには小さな目的があった。それはこのブログを通じて、会いたいなと思った一人のミュージシャン、一人のコト起こし人物と直接会いたかったからである。

私が沖縄を好きになったのは、日常の中に経験したことのない生活文化が今なお残っていたことに驚かされたことによる。今から10年近く前、それまで20回以上、仕事やリゾートで訪れてはいたが、そのほとんどがリゾートホテルと観光施設を結ぶだけであった。一人旅で沖縄を歩いた時、那覇の市場本通りの奥に、段ボール箱に沖縄産のパイナップルや野菜を並べて売っているおばあとお客との会話に驚かされた。何を話しているのかまるで分からない。米国であれば少しは分かるが、そうした世界とは全く異なる次元の世界に来ているような感を受けた。その時から、青い海や誰でもが一度は行く観光コースから離れて、横丁、路地裏へと足を向けるようになった。

会いに行ったミュージシャンはMr,スティービー(http://stevie.ti-da.net/)こと喜納高宏さんだ。週末南城市佐敷にある小さなライブハウスに出ているので是非聞きに来て欲しいとのことであった。手を伸ばせば触れられるような数坪のライブハウスである。沖縄にはこうした小さなライブハウスが無数にあり、音楽は日常生活のなかにしっかり根付いている。構えたものでなく、普段着で聞きにくる、そんなライブである。会いたいとメールを出したきっかけは、KOZA(沖縄市)にミュージックタウンを創り、新しく音楽観光を広げていこうということに興味をもったからであった。その中心メンバーの一人がMr,スティービーであった。京都の友人である新聞記者は、京都も今や寺社仏閣の観光から、路地裏の生活文化観光へと変わって来たと言う。沖縄もリゾートホテルときれいな海といった観光から、生活の臭いがする音楽観光へと広がるであろうとの期待から会いにいったのである。

話に夢中になりライブのスタートを遅らせてしまったが、それはMr,スティービーの「投げ銭ライブをやるんですよ」という一言に強く惹かれたからであった。「福沢諭吉なんかに出会うともう最高です」と、スティービーワンダーのようにドーランで黒くぬった顔はとても明るかった。コト起こしの原点は「投げ銭ライブ」にあるということだ。翌日、本当は夜のKOZAを歩きたかったのだが、既に予定が入っており昼のKOZAを20年ぶりに歩いてみた。コザミュージックタウンは嘉手納基地から伸びたゲート通りのゴヤ十字路の角にあった。3階では中学生達が練習をしており、しっかり根付き始めているなと思った。しかし、3層の建物にはどこにでもある音楽とはまるで関係のない飲食店などが入っており、テーマ集積が難しかったのだろうなと感じた。ゲート通りを挟んだ反対側には、今の沖縄、地方を象徴しているかのように、まるで死んでいるかのような一番街という大きな商店街がある。しかし、こうした中から、音楽好きが集まり、コトを起こし始めたということだ。(続く)

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2007年11月 4日 (日)

「見せる」を「魅せる」へ 

ヒット商品応援団日記No216(毎週2回更新)  2007.11.4.

偽装、偽造ばかりの時代になってしまったが、顧客に全てを見せることが極めて重要な時代となった。生産者の顔を見せる、製造工場はガラス張りにしていつでも見れるようにする、調理は顧客の前でする、出来上がったものはその場で食べてもらう、使用素材の履歴はいつでもどこでも明らかにできるようにする。ここ数ヶ月の偽装事件のほとんどが農水省への内部告発によるもので毎月300件を超している。つまり、内も外もないというのが情報の時代である。

本格的にオープンキッチン、オープンダイニングが始まったのは1990年代であるが、よく考えれば寿司屋は江戸時代から目の前でにぎってくれていたし、街の食堂は常に対面でオープンに料理してくれるものであった。赤福の前会長がいみじくも記者会見で述べていたように、「その日食べるものをその日に提供することから、拡大してしまったことが起因する」と。今日の冷凍&解凍技術は鮮度維持を可能にする極めて高いものである。一匹700〜1000円で都心のデパ地下で売られ人気となっている釧路沖でとられる青刃さんまも窒素による瞬間冷凍ものである。私が良く行く鳥取で秀逸な技術によって旨味を引き出す氷温技術もそうした冷凍&解凍技術の一つである。問題はそうした技術をオープン、いや逆に売り物にする情報公開・プレゼンテーションだと思う。

冷凍&解凍、あるいはフェイク商品等、情報は公開され、顧客が食べたり、着たり、使ってみて、実感納得するということが原則である。今や「見せる」ことを魅力に変えるプレゼンテーションが盛んである。先日オープンしたエキュート立川にも出店している行列ができる店の一つである「かにチャーハンの店」はまさに「見せる店」である。オープンキッチンで調理される鍋ふりでは1m近くもチャーハンを上げ、お米がパラパラになるパフォーマンスを見せてくれる。値段の安さもあって、常に行列となっている店である。一方、私も知っている調理器具メーカーの三栄コーポレーションではロボット調理器具でプロの技にせまる鍋ふりを行っている。勿論、熟練した達人の技には届かないが、その技に迫る技術で見ていても面白いものである。共に、「見せる」を「魅せる」あり方へと進めた良き事例だ。

繰り返し書いて来たが、その見せ方に過剰な演出があってはならない。過剰さから、増々素の力へと魅せる世界が変わって来ている。賞味期限や消費期限という情報のみの判断で生活しているが、日本人が培って来た知恵や工夫、冷凍&解凍といった技術や保存料に頼らない古来からの発酵&乾燥技術もそうした素の力の一つである。戦乱の世を経て、商業が全国レベルへと流通し始めた江戸時代にはこうした技術によって生まれた食品が地方には今も残されている。よく行く鳥取でも鯖の糠漬けである「へしこ」などは一種の保存食で地元ではよく食べられている食品である。
また、受け手である生活者も情報だけに頼らない本来持っている五感による判断、素の力を磨く必要がある。2年ほど前から「食育」論議が盛んになったが、親子で料理し食べるといった程度のもので、日本人が経験し育てて来た食文化には至っていない。おにぎりの定番である梅や塩むすびは何故そのようになったのか誰も伝えようとはしない。塩はミネラル豊富な沖縄宮古島産が一番といった表層の「見せ方」ばかりである。素の魅力とは、梅や塩がもつ力のことである。いずれにせよ、食の提供者はこうした素の力をどう魅せていくかが今後の課題であり、結果豊かな日本食文化へとつながっていく。(続く)

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2007年10月31日 (水)

大人の時代の消費

ヒット商品応援団日記No215(毎週2回更新)  2007.10.31.

このブログで偽装という情報の嘘がこれからも出てくるだろうと言っていた通り、船場吉兆や赤福の代替土産として売上急増中であった御福餅も赤福同様の偽装との報道。ブランドへの信頼があつければあついほど、振り子のように大きく不信という反対側へと振れる。これも情報の時代の特徴である。ブランドは自らの実体験、使ってみて、食べてみて、ここが自分は好きだという本来の生活実感物語へと移行していくであろう。情報によって外側へと向かっていた心理は、内側へと、自分が本当にそう思う世界へと向かっていく。

また、情報価値が相対的に下がり、物価値が復権し、バランスの良い価値評価が生まれてくる。長年食べ続け、着続けても飽きのこないもの、手に何となくしっくりとする、わくわくどきどきはしないが何となく落ち着く、そんなものへと消費は移っていく。フェイク、もどき商品も明確に表示され、美味しいと実感できれば逆に良いヒット商品となる。そもそも、日本の精進料理の多くは大豆を使った肉もどき食品である。そのような体験を積み、嘘を見抜き、一見どこにでもあるように見える職人技、経験者ならではの小さな知恵や工夫に注目が集まることとなる。数年前から言われ続けて来たが、やっと大人の時代がくる。

さて、この「大人」とはどんな世界なのかである。団塊世代を含むシニア世代にとっての「大人」とは、5得を持った世界のことである。時間持ち、金持ち、友持ち、物持ち、経験持ち、の5得の世界だ。しかし、同時に失ったものもあり、若さ、美しさ、パワー、あるいは子供心、遊び心、といった世界を取り戻す世界も含まれる。少し前にちょいワルオヤジというキーワードが流行ったが、これは40代男性が上の世代50〜60代のような遊び心を取り入れたいというシニア世界の素敵さを鏡の如く反射した世界の良き事例である。

団塊の世代を例に挙げると、60代に達し、「先」が見え始めてくる。先が見えるとは我欲が少なくなり、その分公や他者への貢献等が芽生えてくることとなる。そして、自己が他からどのように認識されているかを知る時を迎える。つまり、60年間の人生は「塊」を分化させ「個」へと立ち戻らせ、自己客観化の時を迎えることでもある。第二の人生のスタートにあたり、過去に遡り未来をシュミュレートする。そうした意味において自己表現としての「新しいライフスタイル」が生まれ社会へと映しだされる。これが「大人の時代」の意味である。
800万人ほどの団塊世代はその「量的」なことも含め、他の若い世代へと鏡の如く反射し、消費の潮流を創る。これが世代を超えて言われている「大人の時代」の消費の本質である。(続く)

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2007年10月24日 (水)

小さな親鸞

ヒット商品応援団日記No213(毎週2回更新)  2007.10.24.

私に目ウロコさせてくれた一人歴史研究家網野善彦さんは、高校教師時代に生徒から「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか」という質問を受け、何一つ説明できなかった。この質問が後に網野さんの歴史に対する考えを大きく変え、中世日本の既存の歴史観を根底から覆す研究へとつながっていく。中世日本の戦乱による略奪、殺人、飢え、流浪する人々を救うために親鸞、一遍、日蓮という宗教家が生まれたことは周知の通りである。今風にいうと、パラダイム(価値観)が混乱する「何でもあり」のカオスの時代であった。それは戦乱の世という側面と共に、網野さんが指摘するように貨幣経済を含めた日本資本主義とでも言える経済社会が勃興し始めた時であった。そうした時期に「何を規範とすべきか」という社会の物差しが希求され、親鸞のような今日なお生き続けている教えが誕生する。ちなみに、鎌倉時代の荘園経営の多くは禅宗の僧侶もしくは山伏であった。和菓子赤福を始め相変わらず企業の不祥事が続くが、経営リーダーの源流は聖職者であったということを認識しなければならないと思う。

直近のデータはとっていないが、鬱病を始め精神疾患は1990年代後半から増加し、自殺者の主要因となっており、最近ではキレル子供と同じように大人までもがキレル時代となった。そうした疾患には至らないが不眠を訴える人は相変わらず多く不眠解消グッズや癒し系サービスは人気となっている。こうしたストレス社会の根底には複雑な人間関係や生活とビジネスの境界線を無くし、四季という境界すらなく、ただひたすらスピードに身を任せざるを得ない時代にいるということだ。
社会へと問題を投げかけた熊本慈恵病院の赤ちゃんポストは現在8人の子供を預かっているという。しかし、病院関係者は予期せぬ妊娠による電話相談がひっきりなしにかかってくる件数の多さに驚いているという。いかに孤立した女性が多いかということであろう。

中世日本と今という時代を重ね合わせることには無理があると思うが、「何を規範とすべきか」が個人と共に、コミュニティ、企業、更には国家という単位で求められ、こころある人達が活動し始めている。Web2.0を提唱した梅田さんはシリコンバレーのベンチャー精神に拠りどころを求め、元リクルートの藤原さんは教育の再生を目指し中学校の中に地域本部を置いて新しい規範を創り始めている。この10年、ヒーローを待望するような動きが政治から経済、さらにはスポーツに至まで数多く見られた。おそらくその底には親鸞のような宗教家を待望していたのだと思う。
マーケッターやビジネスマンはモノやサービスが買われるメカニズムの解明のために心理学を再学習し、その先の脳科学へと向かっている。勿論、こうした傾向を踏まえ、悪意ある人間・犯罪者は、オレオレ詐欺を始め最近では円天といった詐欺事件を起こす。善くも悪くも、市場は宗教的になったということだ。

ところで混乱の中世日本に現れた親鸞であるが、その教えに悪人正機というキーワードがある。良く知られている歎異抄の一節に「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」がある。善人でさえ往生できるのだから、悪人はいうにおよばないということである。世間の常識からいえば、悪人でさえ往生できるのだから、善人はいうにおよばないとなるところであるが、親鸞はあえて正反対のことを言っている。親鸞は仏に仕える聖職者と庶民との間に大きな落差を感じ、自ら庶民と同じようなところで考えた人物である。なまぐさ坊主の元祖と言われているが、戒律を始め多くの既成を壊し、酒は飲むし妻子を持つといった今日の宗教者のあり方を先見した人物である。その親鸞は善とは無私無欲で下心や見返りを求める心のないことを指しており、煩悩を捨てきれない自らを悪人であるとの自覚のもとに阿弥陀にすがろうとした、と私は理解している。今、悪の権化のような言われ方をしている亀田父子や沢尻エリカであるが、ボクシング界や芸能界で小さな親鸞に出会わなかっただけだと思っている。会えば悪とはいわないが、足りない自覚が生まれていたと思う。おそらく、これからは普通の生活者の中から小さな親鸞が生まれ、そこに小さな次のビジネスが育っていく。(続く)

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2007年10月10日 (水)

振り子と中心点  

ヒット商品応援団日記No209(毎週2回更新)  2007.10.10.

少し前に振り子消費について書いた。情報によって振り子のように揺れ動く心理による消費傾向から脱却し始めているという指摘であった。勿論、トレンドという情報刺激による商品は続いていくが、以前のように右往左往しないということである。ただ消費面だけでなく、多くのところでこの振り子現象が見られ、それらを踏まえ考えてみたい。
ここ10年ほどの振り子の動きが大きかったのは、やはり洋から和への動きであった。特に、昭和を始めとした和回帰、あるいは囲炉裡のある温泉宿や古民家やそこで使われていたインテリア&雑貨への注目。多くの現象の中でも、和食への関心が大きかったことは周知の通りである。こうした和の世界の中心点を言い当てることが、次の商品開発、業態開発のテーマとなっている。

しかし、振り子は中心点を目指すが、同時に外へと振れるものである。5年前、10年前の外(洋)の振れ方とは異なる。例えば、5年ほど前にブームとなった中国茶はどうなっているであろうか。ウーロン茶程度しか認識のなかった中国茶であったが、その奥行きやスタイルへの興味を入り口にブームは一巡し、消費は好きな人達だけに収束した。ところで、次なる外への振り子の振れ方であるが、中国茶とお菓子という新たなカフェ&ケーキ業態が出て来ている。東京の白金にある広東シノワーズの「白金亭」の1Fにある「SHIROKANETEI」である。(http://www.shirokanetei.com/cafe/
ここでは紹興酒や鉄観音など中華素材を使った洋菓子ティールームで、漢方フレーバーティーもある一種の進化系の芽ではないかと思っている。いわゆる中国素材を使った洋風ケーキといった、中国と洋とのフュージョンスタイルである。和の素材を使った洋ケーキと同じ発想である。

一方、和志向・中心点における消費行動は、3年前の柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」や「えんぴつで奥の細道」のベストセラーに代表されるように、以降日本の精神文化へと中心点が向かっているように思える。変わらぬ静かなる禅ブーム、宿坊顧客の増加、精進料理への注目。あるいは阿寒グランドホテル鶴雅におけるアイヌ文化の取り入れに代表されるように、地域の固有な風土、文化への着目。こうした和の精神文化を取り入れていく傾向が強く表れて来ている。こうした傾向は、グローバリズムという大きな嵐、外へと振れ過ぎたことに対する振り子現象の一つであろう。
また、このグローバル市場という視点で見ていくと、欧米を中心にアジア諸国の日本食レストランブームに象徴されるように日本文化という外へと振り子が振れていると見なければならない。一時期、中国に製造工場を移転し、より生産コストの低いベトナムなどの地域に移動といったことが行われてきた。今や、欧米を中心にアジア諸国へと日本文化を輸出する時代となった。その時一番大切なことは、輸出する企業が本当に日本の精神文化を理解しているかである。(続く)

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2007年9月16日 (日)

食文化輸出の時代

ヒット商品応援団日記No202(毎週2回更新)  2007.9.15.

顧客は興味を入り口に体験を重ね、学習し、好きを深め、成長していく。多くのマーケッター、ビジネスマンは、顧客は「今、どのあたりにいるのか」を見極めるのが最大の仕事となった。私はこうした変化をここ数ヶ月、洋から和へ、ヘルシー系からガツン系へ、表通りから裏路地へ、非日常から日常へ、構えたフルコースの食事から気軽に好きなものをチョットづつへ、といった視座で変化のありようを書いて来た。そして、こうした消費の変化を「振り子消費」と呼んでみた。「受け身的」消費から、「能動的」生産者への成長と言うこともできるし、素人消費からプロ消費への変化と言うことも出来る。

こうした変化の事例として「食」を取り上げることが多いが、それは食がライフスタイルの中に取り入れやすく、変化の芽が現れやすいからである。ところで、日本人の国民食は、なんと言ってもラーメンとカレーライスであろう。それぞれそのルーツとは似て非なる日本固有の食となっている。こうした成熟したラーメンという市場を見ていくと、ある意味日本の食のあり方の縮図となっていることが分かる。行列のできるラーメン店ランキングやご当地ラーメン巡りは一巡し、女性好みのヘルシーで美容に良いコラーゲン入りのラーメンがあったり、若い学生向けの特盛りガツン系ラーメンもある。懐かしい昭和を想起させる和風ラーメンもあれば、スープパスタのような洋風ラーメンもある。表メニューのラーメンの他に、金曜日だけ会員50名だけの限定裏メニューである創作ラーメンを出す店も出て来た。あるいは米国人であるアイバンオーキンズさんによる「あいばん」というラーメン店もある。イタリアンやフレンチ、あるいは和食で修行した若者がラーメン好きが高じ、ラーメンの作り手へと変わった店も数多い。いわゆる個人ベンチャーである。そして、横丁、路地裏といった空き店舗からスタートし、口コミで顧客が増えていくといった市場となっている。つまり、成熟市場とは、顧客自身が成熟した市場ということだ。

このようにラーメン市場はいわゆる成熟した市場特徴を良く表している。100人のラーメン店主がおり、100の個性ある味を楽しむという多様な違いを楽しむ個性市場である。こうしたラーメン市場も海外の人にとっては未知なる食であり、ここ数年米国や東南アジアへの進出が盛んである。国内市場は個性競争という極めて厳しい市場環境となっているが、米国や東南アジアはいわば未開拓市場となっている。日本国内の成熟した顧客にもまれた「日本食」は海外において通用するだけでなく、高付加な高級食として実施されている。
このブログでも随分前に世界の日本食ブームを取り上げて来た。村上龍さんが主宰するJMMの寄稿者の一人米国在住の冷泉彰彦さんはそのレポート(2007年9月1日発行/国境を越える味覚)の中で、NYのレストランでSUSHIBARが何故他の外国レストランと比較し高額な料金を払ってでも食べにくるか、その主要な理由の一つに日本という異文化への興味と一種の賞賛があると書いている。先頭を走る寿司からラーメンまで知恵や工夫が詰まった「日本食」は輸出産業になっているし、これからも伸びていくと思う。食=モノ輸出は結果で、食=日本文化輸出といった方が正確であろう。前回書いたようにコラボレーションによる新市場創造と共に、アニメや漫画といったサブカルチャーだけでなく、地域活性を含め食文化輸出が大きなテーマとなっている。(続く)

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2007年9月 9日 (日)

情報引力

 ヒット商品応援団日記No200(毎週2回更新)  2007.9.9.

前回は生活者の興味や関心といった「テーマの中心点」について書いてみたが、今回はその延長線上にある「情報の中心点」について考えてみたい。以前、東国原知事就任直後「できればもう1局TV局を増やして欲しい」と発言していたが、至極当然のことだと思う。情報量が圧倒的に東京と地方では違う。それはTV局の放送時間量、新聞各紙の紙面数、ラジオ局の放送時間量、雑誌のページ数、こうしたマスメディアばかりか都内で配られる無数のフリーペーパー、といったメディアの種類も数も圧倒的に異なっている。
ここでいう情報量とは情報理論でいうところの選択情報量のことで、興味や関心といった「新しさ、面白さ、珍しさ」といった「あまりない、ほとんどない」情報を情報量という。各メディアは生活者の興味の中心点を目指し、「新しい、面白い、珍しい」情報を求めて、激しい競争を繰り広げこの情報量の最大化を目指している。こうした情報の持つ力、情報に引き寄せられるメディア社会の特質を情報引力と呼んでみた。こうした中で「やらせ」や「情報偽装」も生まれ、その過剰情報の直中にいるのが都市生活者である。

こうした情報の絶対量と共に、情報の本質は変化と鮮度であり、スピードと回数こそが命である。情報はTVメディアばかりか、人やモノを通じても伝わっていく。人の移動時間によっても情報量は異なってくる。こうした意味も含め、情報の集積量を考えると東京はあらゆるものを吸引する中心点となっており、地方から世界からの都市観光も盛んだ。東京が持つ「新しい、面白い、珍しい」情報が観光消費されている訳だが、反対に都市生活者にとって「地方」は未知そのものとしてある。つまり、地方が持つ固有な情報は過剰な情報が行き交う中にあっては、ほとんど伝わっては来ないということである。
以前から注目はしていたのだが、オープン直後はこうした観光客が押し寄せたこともあり、詳しく情報が得られなかったが久しぶりに東京ミッドタウンに行って来た。そのショップはメイド・イン・ジャパン・プロジェクト社による「THE COVER NIPPON」(http://www.thecovernippon.jp/top.html)である。私の言葉でいうと、地方に埋もれた文化を掘り起こし、流通させるチャレンジである。インテリア、小物雑貨から食品まで地方の商品を展示販売しているが、詳しい説明書きはない。ぱっと見て、ああ素敵だなと思ってもらうのが第一で、その後にスタッフが説明すると言う。つまり、地方で育った文化、デザインを流通させたいという主旨だ。東京という情報集積地、しかも和のアートコンセプトに基づいた東京ミッドタウンから、このデザインという情報を発信していこうという試みである。来月、東京立川のエキュートに二号店をオープンさせると聞いている。こうしたデザインというキーワードをもって、情報発信していくことも一つの戦略である。

このように情報を集積し、受発信するメディアセンター、この情報引力都市東京には世界中からの多くのアンテナショップが集まっている。世界のインポートブランドが銀座に集まっているのも情報の受発信装置としての意味を踏まえている。私は鳥取県の産業活性、アンテナショップの検討を含めた戦略会議の委員を務めており、平井県知事のマニフェストにある課題を他の委員と共に先月会議を持った。日本で一番人口の少ない県で、おだやかな県民性や日本そのものの懐かしい生活が残っていて、沖縄と共に好きで以前からよく行っていたが、ことビジネスになると特徴が散逸している感のある県だ。情報都市東京で過剰な情報競争にどう打ち勝っていくかが課題であり、一工夫、一加工することが大切であると会議では述べた。東京はあらゆる情報をブラックホールのように飲み込み、咀嚼・消化し、発信していくとてつもないメディア都市である。飲み込まれ、消化されないまま沈殿し、誰も知らないまま終えるビジネスがいかに多いかを私は実感している。この半年、鳥取県を戦略的に浮かび上がらせるプラン、つまり都市生活者の興味の中心点を射抜くことに精一杯の努力をつくしたいと思っている。(続く)

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2007年9月 2日 (日)

和の中心点 

ヒット商品応援団日記No198(毎週2回更新)  2007.9.2.

私が書いたここ一年位のブログを読み返してみた。いくつかのパラダイム(価値観)に変化の芽が出て来ている。この十年ほどを失われた10年という言い方をマスコミはしてきたが、私の言葉で言うと、次へと進む「踊り場」のようなところに居ると思っている。この踊り場で繰り広げられている消費の出来事、その変化の傾向を少し読み解いてみたい。

1997年をピークに世帯収入は減り続け今日へと至る訳だが、そうした生活経済上の背景については「いざなぎ景気と格差意識」(http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2006/10/index.html)で述べたので省略するが、ここでの大きな変化と言えばIT技術を駆使したユニクロやマクドナルドに代表される「デフレ」の進行である。別な表現で言うと、世界の工場としての中国の本格的なスタートであり、生活の隅々までグローバリズムが浸透し始めたということだ。私の認識は1997年頃を境に「踊り場」へと進んで来たということである。この踊り場で繰り広げられて来たのが次のパラダイムを探し手に入れるための10年ということである。途中、1998年から2002年にかけて実施された規制緩和による社会的事件、耐震偽装やライブドア事件が勃発するのだが、この踊り場は混乱・混沌という側面も併せ持った場所であった。

ところで三越と伊勢丹を始めとした百貨店の再編・統合が最後の局面を迎えている。また、郊外型業態の家電量販最大手のヤマダ電機が池袋に出店し話題になったが、流通の動き・目指す方向は都心回帰と言われている。私の言葉だと中心回帰となる。モノを買い求める時代から、情報やサービスも買う時代の変化の先は、自ずと情報とサービスが集積する中心点に向かってくる。当然の如く、流通の出店先は中心部となる。そもそも百貨店の経営実態を見ていくと分かるが、そのほとんどが本店(中心点)による利益で経営しており、郊外や地方の店は赤字である。日本における流通の一方の雄であるイオングループ、特にジャスコは中心部への出店を考えていると思うが、中心部のテーマに沿った情報とサービスのMDがなされ次第、コトを起こすと思う。つまり、生活者も流通も中心点を目指し、「削ぎ落す」ことによって踊り場に立っているといっても過言ではない。

この生活者における中心点であるが、この10年、洋に偏り過ぎたライフスタイルから和への潮流が生活の多くに見られて来たことは周知の通りである。いわゆる和ブームであるが、このブームには従来の専門企業ではなく、異分野企業の参入も数多く見られた。例えば、食の分野、和菓子への参入には、洋菓子のパティシェやデザイン会社までもが参入している。勿論、和菓子においても洋的なロールケーキなどを作り、ほとんど境界はない。しかし、昨年位から中心点に至っていない和菓子店には淘汰が始まっている。単に、和を取り入れたり、和回帰すれば良いという時期は終えている。

和の生活が日常として残っている「和の中心点」である京都には観光客は増加し続けている。私が数年前から指摘しているように、和の香りを求めて路地裏へ、その奥へと足を伸ばすところまで進行している。生活の踊り場という言い方をすると、洋から和への揺り戻しという潮流にあるが、和もまた中心点へと向かっているということだ。和の中心点、和文化の中心点を見定めることがビジネス開発で最も重要なテーマとなっている。例えば、好きな沖縄でいうと、沖縄文化の中心点は何かを明確にすることだ。いくつかあるが、その一つはチャンプルーミュージック、ライブハウスにあると思っている。その中心コザで「音楽観光」が始まっている。10月末には行く予定でいるが、是非成功してもらいたいと思う。
ところで、まだ見てはいないが、9月1日東京有楽町に五つ星ホテルの「ザ・ペニンシュラ東京」がオープンした。ここ数年続いた世界トップクラスのホテル進出の最後を飾るオープンである。あの香港の名門、東洋の貴婦人といわれたホテルであるが、コンセプトは和であるという。日本の伝統技術である、漆や和紙、あるいは杉板の網代編みといったものまで使われているという。さて、和の中心点となりえたホテルかどうか、また報告したい。(続く)

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2007年8月22日 (水)

未知の創造

ヒット商品応援団日記No195(毎週2回更新)  2007.8.22.

東国原知事就任後の宮崎県庁見学者が10万人を超えたと報道された。南新宿にある宮崎県のパイロットショップは売上を倍増。自らを宮崎のセールスマンと呼び、地鶏からマンゴーといった県特産品を売り歩き、TVメディアは追いかけるように連日東国原知事を通じた宮崎を報道している。ここに情報の時代の特徴が良く表れている。販売しているのは県産品というモノではあるが、都市の生活者にとってみれば、それは「未知」であり、知っているようで知らない「宮崎県」に対する興味そのものである。未知への興味を創ることが、セールスであるということだ。

物語消費という視座からこうした現象を見ていくと、1980年代後半のサブカルチャーをベースにした仮想現実としての第一次物語消費(ビックリマンチョコ〜ディズニーランド)から、第二次物語消費の時代に向かいつつあるように私は感じている。結論からいうと、「未知の物語」消費ということである。これは表通り観光から、横丁・裏路地観光への移行や、隠れ家ブームにも通ずるものである。もっと分かりやすく言うと、今まで話題や脚光を浴びてこなかった、地域、人、文化、テーマ、あるいは商品、出来事、・・・・・こうした新たな未知への興味が始まったということだ。別な視点から言うと、従来の「新しい、面白い、珍しい」消費物語は一巡し、次のフェーズへの移行を促されているということでもある。

「発掘!あるある大辞典」のようなやらせ、情報偽造は勿論のこと論外である。私のブログを読んでいただいている人には分かると思うが、日常のリアルに実感できる「未知」の創造ということである。しかも、顧客自身が発見するように興味という入り口を創れば良いのだ。宮崎県の場合は、入り口を東国原知事が担っているということである。後は、顧客自身が発掘し、実感し、「あるある」と仲間に伝われば、成功ということになる。そもそも県庁観光≒東国原知事に会えるかもしれない、という小さな期待創造がうまくヒットしたという事例である。ここ数年前から、この興味・期待は何処に向いているかを探り、見出すことがビジネスの前提となっていることを今回の「宮崎県現象」は良く表している。

顧客の興味・期待がどこに向いているのか、探ることが重要となっているが、従来の発想を一度捨ててみることも必要である。私に「めうろこ」を迫り、ある意味生き方まで変えた一人に歴史学者網野善彦さんがいるが、網野さん自身も従来の歴史書の嘘から離れるために引用されている一枚の地図がある。Googleの地図にも驚かされたが、こんな発想の地図をヒントにされたらいかがであろうか。環日本海諸国図/富山県作成(http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/404030/kj00000275.html)(続く)

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2007年8月15日 (水)

モノマネの先

ヒット商品応援団日記No193(毎週2回更新)  2007.8.15.

今日のライフスタイルの原型は江戸時代に生まれたというのが私の持論であるが、誤解していることも多く見られる。よく「江戸前の寿司」という言葉を使い、前にある東京湾で取れた魚介類を使ったから「江戸前」と言う、と言われている。しかし、この「前」という言葉は、男前とか腕前とかに使う「前」と同じ意味で、スタイルあるいは××流といった言葉に近い意味を持っている。当時は、多くのものは上方(京や大阪)から伝わったもので、それらに一工夫、味付けをしたものが江戸スタイルとして人気となった。寿司で言えば、上方が熟成させた押し寿司であったのに対し、目の前で酢飯に小魚をにぎってすぐ食べるのが江戸前寿司であり、この違いを「粋」といって江戸の人達は好んだ。四大江戸前は鰻、天ぷら、寿司、蕎麦であった。

この蕎麦は江戸前の冴えたる代表食で、それまでは蕎麦の実を雑炊のようにして食べていた。また、熱湯を入れて練った蕎麦掻きやそれを焼いたものがお焼きとして今なお残っている。江戸の初期はこうしたものであったらしいが、今日のような麺状の蕎麦、蕎麦切りが生まれ、屋台の成長と共に広く一般化していく。この蕎麦のルーツも上方の麦きり(うどん)を一工夫したモノマネと言われている。米等収穫できない荒れた土地に蕎麦の栽培は適しているが、江戸の蕎麦はお腹を満たす食というより、お酒をちびり飲りながら食べる趣味食、江戸前というスタイル食の代表であった。

今、このブログでも何回か書いたが、地方の時代、今まで地方に埋もれていた多くの食が都市へと集まってくると。いわゆる郷土食、郷土という風土に熟成され今日まで伝承されてきた食であるが、そのままでは難しい。勿論、その土地その土地の文化を食す訳であるが、新しい・面白い・珍しい食として一度は消費されるが、継続は難しいということだ。つまり、蕎麦のように、どう江戸前、都市スタイルに変えていくかである。これが、都市で継続して販売していくポイントとなる。実は、江戸初期の蕎麦はお菓子屋で蕎麦まんじゅう、蕎麦ぼうろ、蕎麦羊羹として売られていた。しかし、蕎麦に蕎麦切りという工夫したことと、屋台という業態がうまく合致したことによって、江戸中に広まったと言われている。その最初に広めたのが「慳貪(けんどん)蕎麦屋」で、以前からあった「慳貪うどん」を真似たものとも言われている。

モノマネは進化の基本であるが、要は「何」を真似するかである。蕎麦はうどんを真似たが、実はそれを流通させた屋台、「慳貪(けんどん)蕎麦屋」のけんどんとは「つっけんどん」のけんどんである。これ一杯のみ、セルフ式、こうしたサービススタイルもヒットの要因だと思う。江戸は今もそうであるが、地方からの寄せ集め都市であった。しかも、単身赴任が多く、外食した方が安上がりという背景もあった。モノマネの先に、こうした簡便さと個人の好みにまかせる「つっけんどん」が江戸前、江戸スタイルを創っていた。ちなみに、「慳貪蕎麦屋」は「二八(にはち)蕎麦」とも呼ばれていた。(続く)

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2007年7月22日 (日)

かっわいい〜ぃ現象、その後

ヒット商品応援団日記No186(毎週2回更新)  2007.7.22.

「かっわいい〜ぃ」という言葉が社会の表舞台に登場したのは、おそらく主婦の友社が1996年に創刊したCawaiiによってだと思う。いわゆる読者参加型の高校生に向けたファッション雑誌であるが、右肩下がりの渋谷109をV字回復させるという大きな役割をエゴイストと共に果たしたメディアである。創刊当初からの読者モデルで、カリスマというキーワードを一般化させたエゴイスト初代カリスマ店長渡辺加奈さんの後を引き受けた森本容子さんもCawaiiの読者モデルの一人であった。さて、当時のCawaii読者は20代半ばから後半の世代となっている。

ところで、「かっわいい〜ぃ」という言葉は何を指して表現してきたであろうか。人によって様々な感性世界があると思う。「おもしろい」「きれい」「「いとおしい」「愛らしい」、あるいは「チョットセクシー」といった言葉で表現されるが、物語消費時代における視覚の言語化現象であると私は見ている。つまり、明確に言語化できない一種の「もどかしさ」から生まれた感情表現ということだ。複雑な文脈や知識、理屈を排除した自己表現世界である。この世界を進めて来たメディアの一つが携帯電話である。「写メール」「絵文字」といったビジュアルコミュニケーションはまさに言語の視覚化である。最近の女子高生のメールを見てもそのコミュニティ以外の人間が見ても判読不可能な秘密のコードが行き交っている。
こうした「曖昧な」気持ちや感情を語らせるにはビジュアルは最適である。「かっわいい〜ぃ」という言葉の持つ世界も、この「曖昧さ」から生まれたものだ。雑誌Cawaiiのネーミングをローマ字にしたのはこうした背景からだと思う。

1990年代後半から、この「かっわいい〜ぃ」という言葉はあらゆる世界へと浸透していく。昔はおまけであった「カプセル・トイ」や「フィギュア」へ。テディベアー等のぬいぐるみ、あるいは商品パッケージやCMにも多くの「かっわいい〜ぃ」キャラクターが登場した。こうした「かっわいい〜ぃ」という「曖昧さ」は、中間、境界、なんとなく、といった意味の世界として登場する。何がかわいいの、どこがかわいいの、といっても意味はない。女性ならば誰でもがヴィトンのバッグと共に知っている村上隆氏の活動を見ていけばよく分かる。アニメや漫画といったサブカルチャーを積極的に取り入れ、新しいポップアートの世界を創造している。村上隆氏が主宰する「カイカイキキ」(http://www.kaikaikiki.co.jp/whatskaikaikiki/)の活動も「かっわいい〜ぃ」クリエーションと言えなくはない。

「かっわいい〜ぃ」という言葉の裏側に自己愛を見る事も可能であり、また日本語理解の足りなさを指摘することも必要である。ただ、コミュニケーション、表現という視座に立つと、過剰なまでの情報の中で、「かっわいい〜ぃ」は直感的表現そのものと言える。過剰な情報の時代にあって、よく言われるデザインの時代とは直感の時代のことだ。そして、その直感はアートとサブカルチャーとの中間、狭間から生まれている。和と洋、日常と非日常、女と男、人工と自然、従来異なる分野の狭間に新しい何かが生まれてくる。「かっわいい〜ぃ現象」という視覚≒言語の表現世界はこれからも進化していくと思う。コラボレーション、協業、共創、といった方法が増々重要な時代だ。(続く)

「人力経営」の一般書店でのお求めですが、紀伊国屋書店さんが力を入れていただいており全国22店で取り扱っています。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/443410800X.html

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2007年7月18日 (水)

五風十雨           

ヒット商品応援団日記No185(毎週2回更新)  2007.7.18.

台風4号が過ぎて良かったと思った16日午前10時過ぎ、東京に住む私のマンションが揺れ、地震を体感した。PCに向かっていたが、TVをつけたところ今回の新潟中越沖地震のテロップが流されていた。3年前の新潟中越地震の時もそうであったが、大きな地震は地を伝い230Km先の東京にもその揺れは感じる。更に、その後京都府沖の地震が1000Kmも離れた北海道や東北の太平洋沿岸まで揺れは伝わっている。当たり前と言えばそうであるが、大きなプレートの狭間の列島に住む日本人にとって自然は畏敬すべきものだと多くの人は実感したと思う。畏怖すべき自然との生活の中で、日本人は多くのこころの在り方を歴史に残して来た。沖縄で言えば台風もそうであるが、日常においても風は強く、その風にのって悪霊等悪いものがのってやってくる、その番人にあのお土産にもなっているシーサーがある。寺社の山門等にある仁王様が悪霊を入れまいと入り口で番をしてくれているのと同じである。

五風十雨(ごふう じゅうう)という言葉の意味は、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る、という農作物には良い湿潤な気候、風土を表す言葉である。豊かな自然を育み、その恵みをいただくと同時に、また恐ろしい災害となる自然の力も受けざるをえないのが日本という国だ。日本の面積は地球上の陸地面積の約0.25%、過去記録されている地球上に起こったM6.0以上の地震の約20%が日本で起きているという。そして、年に数回必ず台風はやってくる。自然を前に、人為が及ばない世界であることを数千年前から続けてきたのが日本という国だ。呆然と半壊した家を前に、思い出という人生そのものである家を捨てざるを得ないお年寄りの表情は悲しい。

どんな調査をしても、約70%以上の日本人は無宗教だと答えている。米国のメガ・チャーチについて少し前に触れた事があったが、約80%の米国人が宗教を持っていると答えているが、極めて対照的である。というより、日本人は無宗教ではなくて、自然教と言った方が正確だ。キリスト教やイスラム教といった一神教という信仰心ではなく、人為が及ばない大いなるものへの信心と言った方がわかりやすい。
今東京では新しい商業施設のオープンやリニューアルが続いているが、地方の銘店、名品が続々と登場している。地方のパイロットショップも東国原知事現象にのって売上は順調だという。つまり、いかに知らない世界が多いかということとともに、いかに伝えてこなかったかということである。災害という自然ではない、豊かな自然がもたらしてくれた産物である。それをどう都市生活者に伝えていくか、どんな地域固有の自然文化物語を伝えていくかが、都市市場の開拓のポイントとなる。以前、公開した「伝え方革命」について再度添付しますのでご活用ください。(続く)

「人力経営」の一般書店でのお求めは紀伊国屋書店さんが力を入れていただいており全国22店で取り扱っています。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/443410800X.htmlPhoto_2

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2007年7月 1日 (日)

「儲ける」と「役に立つ」  

ヒット商品応援団日記No180(毎週2回更新)  2007.7.1.

「儲ける」と「役に立つ」  、この2つのテーマは商売・ビジネスに携わる人にとって永遠のテーマである。そして、最近のミートポーク社における牛肉偽装事件や少し前の耐震偽装事件やライブドア事件といった経済事件の多くは、この2つの命題に深く関わっている。勿論、2つともビジネスには不可欠で表裏、鶏と卵のようなものであるが、この2つをもう少し分かりやすく整理すると、「儲ける」にウエイトを置くのが欧米の商慣習、「役に立つ」にウエイトを置くのが今までの日本の商慣習。数年前から言われている企業価値も簡単に言ってしまえば、「儲ける」と「役に立つ」の2つがテーマとしてある。

今回、私が「人力経営」という本を書いた理由の一つが、この2つのテーマの狭間で悩み、決断を下す経営リーダーの姿であった。例えば、ダスキンもミスタードーナツ肉まん事件を起こし社会の批判を受けたが、その背景にはデフレ下での激烈なコスト削減競争があった。他のファーストフード業界と同じように肉まんを中国で製造していたのだが、日本においては使ってはいけない添加剤を使い、その情報を隠蔽したと社会から指弾された事件である。この危機を救ったのは、「役に立とう」とする経営理念を顧客接点における現場の人の実践であった。今回のミートホープ社の不祥事においても危機管理会社のコメントが数多く報じられたが、本質としての危機管理は経営理念を現場の人がいかに生きるかにかかっている。

「役に立つ」 ことを続け、結果「儲ける」こととなれば理想である。しかし、なかなかそのようにはいかない現実がある。「役に立つ」象徴がボランティアであり、NPO法人である。しかし、継続して「役に立つ」、更にはその「役に立つ」を広げていくには「儲ける」ことが必要だ。最近では、有償ボランティアという仕組みも出て来ており、そもそも株式会社の原点はNPO法人であることを考えれば、非営利活動も「儲ける」ことを考えなければならないということだ。
沖縄南城市にある世界遺産「斎場御嶽(せ〜ふぁ うたき)」への入場が7/1から200円の入場料をとると報じられた。市の財政は厳しく、保全のためにはボランティアにおんぶにだっこでは続かないということだ。本土からの観光客は「未知」の世界を求めてやってくる。しかし、沖縄の人にとっては日常の祈りの場である。観光客からは2000円でも3000円でも徴収したら良い。しかし、沖縄に住む人達からは出来る限り徴収しないで欲しいと思う。

「役に立つ」ビジネスの代表的なものとして近江商人の心得、「三方よし」がある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の中に次のような教えが残されている。
利真於勤(りはつとむるにおいてしんなり)
唐の詩人韓愈の「業精於勤(業は勤において精し)」、から転用して作られた言葉であり、小倉栄一郎によれば伊藤忠兵衛の座右の銘という。商人の手にする利益は、権力と結託したり、買占めや売り惜しみをしたりせず、物資の需給を調整して世のなかに貢献するという、商人の本来の勤めを果たした結果として手にするものでなければならない。そうした利益こそ真の利益であるという意味である。(財団法人「滋賀県産業支援プラザ」より、http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/mini_info/ohmi_businessman.html#5
(続く)

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2007年6月20日 (水)

人力経営 

ヒット商品応援団日記No177(毎週2回更新)  2007.6.20.

人力(じんりき)経営というテーマは今回私が書いた本のタイトルである。人材は人財であり以前から言われて来た永遠のテーマであるが、情報の時代にあっては現場=人の在り方が直接経営に大きな影響及ぼし、時に倒産や廃業に向かう時代にいる。極論であるが、現場のたった一人によって経営は窮地にもなり、また逆に大きな成長にもなる時代である。バブル崩壊後、終身雇用、年功序列という旧来の人事・雇用の仕組みから、一斉に成果報酬制やストックオプションといった経済面による経営の仕組みへと移行した。しかし、多くの企業において評価の仕組みに問題を抱え機能してこなかったのは周知の通りである。

ところで丁度「人力」の象徴的なビジネスであるタクシー業界の特集がNHKで取り上げられていた。規制緩和、自由化によるタクシー台数増加にあって、タクシードライバーの収入は激減し、問題となっていたテーマである。その問題解決に対する料金の値上げ&据え置きをした長野と大分におけるその後の動向についてのレポートであった。タクシードライバーの収入アップをはかるための運賃値上げの会社は10%の顧客数を失い売上は横ばいとのこと。逆に、値上げをしない据え置きの会社は客数が増え、台数を10%増やしていくという。
タクシー業界の運賃価格は勿論認可制で、価格は事業費用に事業報酬を加えて行う総括原価方式であることに実は問題がある。今回の運賃値上げは業界保護のためで、しかし値上げすれば顧客は更に離れ、高齢者ややむおえなく使う人達だけにしわ寄せが行くだけである。古いマーケティング、ビジネス概念である台数というシェアーを押さえることが経営だと勘違いしているのである。タクシーマーケットという市場、パイは右肩上がりどころか縮小傾向にあり、供給過剰であるのに、運賃値上げを認め、結果タクシー運転手にとっても経営者にとってもパイは更に縮小しマイナスということになった。顧客を見ない、行政とタクシー会社の経営者の結果と言えよう。

「人力」というと、昨年秋一般紙に「新幹線のカリスマ販売員」として取り上げられた齋藤泉さんを思い出す。東京—山形間往復7時間に車内販売員の平均販売額8万円のところ、齋藤さんは4倍近い30万円を売り上げる。この驚異的な実績に対する秘訣について、その第一はお客様の観察力と気遣いにあると分析している。PCを使って仕事をしているお客様や寝ているお客様の横を通る時は静かに通るという。しかし、次に通るときには再チェックし、起きていれば声をかけるという。通常、片道3時間半の道中では2〜3往復するのがやっとという中で、齋藤さんは6往復する。左のポケットには10円玉と50円玉を入れ、右のポケットには100円玉と500円玉を入れて、触った感触で素早く釣り銭を渡すという工夫も編み出している。記者の質問に「特別なことはしていません。自分が逆の立場だったら何がうれしいかと考えているだけです」と答えている。
丁度この記事を読んだ後、福岡の野の葡萄の小役丸さんと会ったのだが、齋藤泉さんと同じように「当たり前」のことしかしていませんと話されていた。自分がして欲しいことをして、売り上げ増だけではなく、お客様の本当の笑顔に出会えることがうれしいとも話していた。

今回取材したのはダスキン、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船、エゴイストの5社であるが、共通していることは「人をいかに生かすか」を経営の中心に置いている企業だ。齋藤泉さんのような人財がいる企業ということである。例えば、元祖カリスマ店長として脚光を浴びたエゴイスト渡辺加奈さんについても鬼頭一弥社長にお聞きしている。是非一読いただけたら幸いである。(続く)

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2007年6月 6日 (水)

セルフ式 

ヒット商品応援団日記No173(毎週2回更新)  2007.6.6.

5〜6年前に歯ブラシやお箸など日常使う商品を自分のお気に入り商品とした「マイブーム」が起きた。以降、マイ○○、マイ××といった具合に商品が広がって来た。今、こうしたお気に入りとは少し異なるセルフ式が注目されている。最近の注目商品が日本実業出版社から3月中旬に発売された「聴診器ブック」だ。本を買うと聴診器がついてくるという面白さもあって既に4万部売れていると言う。この聴診器は医者や看護士が使っているものと同じで価格も2415円と買いやすいものとなっている。従来、プロ、専門家だけが使用していた世界に、受け手側が自ら使う商品化が進んでいる。

勿論、以前から料理道具はプロ仕様になり、楽器やカメラなどもプロ仕様であった。今、家庭菜園がブームとなっているが、こうした菜園作業もプロ農家と同じように土壌改良といったことも起きてくると思う。あるいはプロによる狭い分野の商品、調香師やお茶のブレンドといった世界までセルフ式が流行るかもしれない。既に、ファッションにおいても「手作り」が静かなブームになっていたり、ログハウスなんかも設計から実際の建築まで手作りログハウスが出て来ている。こうしたセルフ式には単なるお気に入りを超えた、知的興味によるところのものが多く見られる。ある意味、豊かさはこうした「知的興味心」を満足させる世界の商品化へと向かっている。

従来、こうしたプロ志向、専門家志向は資格というキャリアアップや就職のためであったが、知的興味を満足させるものへと変わって来ている。自分で行うという合理性、コストパフォーマンス性、自分仕様といったこともあるが、それ以上に知的興味を満足させる商品と言えよう。いや、逆に従来の発想とは正反対のところにあるアイディアである。聴診器を売るのではなく、本を売るために聴診器をつけたかのようなユニークさに惹かれるのだ。そして、医者はどのように聴診器を当て、心音を聞き、異常の有無を見出すのか、そうした興味が根底にあるということだ。「素人の生兵法は怪我のもと」という言葉があるが、プロがプロとして機能していない現実もあり、こと安心・安全については自衛の意味を踏まえたセルフ式が増加していくであろう。いわゆるセルフドクターである。

昨年のヒット商品である任天堂DSも知的興味を満足させるものであったが、脳科学といった未知への興味、あるいは生命の不思議さや未体験について新たな市場が生まれている。つまり、専門分野はプロに任せてといった発想を変えなければならないということだ。そのキーワードは「未知への体験」と思う。昨年の秋、東京豊洲にオープンしたららぽ〜とにキッザニアが出店し、行列ができた。キッザニアの対象は子供で「社会体験」「職業体験」であったが、大人の「未知なる体験」市場もまた生まれて来ているということだ。セルフ式、それは「大学習時代」におけるキーワードであると思う。(続く)

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2007年6月 3日 (日)

間(ま)の時代      

ヒット商品応援団日記No172(毎週2回更新)  2007.6.3.

間(ま)という言葉には多くの考えを誘発させるものがある。人と人の間だから「人間」。時と時の間だから「時間」。空と空の間だから「空間」。更に言えば、テーマをことばに置き換えて言えば、言葉と言葉との間、行間ということになるだろう。ここ数年、Jpopで芽を出した平井堅や森山直太朗といった言葉を生かした独唱人気も当てはまるかもしれない。齋藤孝さんのベストセラー「声に出して読みたい日本語」における暗誦・朗誦文化も当てはまる。間をリズム、テンポに置き換えてもいいし、日本人が創造した感性の一つだと思う。

つまり「今」という時代はあらゆることにおいて、「境目」が無くなっているということである。その一番大きいのが「時間」である。四季はほとんど感じること無く、24時間化という言葉の如く、夜もまた昼のように明るい。最近のデータを確認はしていないが、従来TV視聴率が低かった深夜時間帯は8時台のゴールデンタイムと言われた視聴率に迫る番組も出て来ている。同様に、早朝という時間帯も活動は活発である。働き方、働く時間帯、更には総労働時間も変わってきているのだ。そうした背景にあって、間が極めて重要なものとなってきている。気分転換、癒し、そのために一呼吸置いて、一拍置いて、といったことが不可欠になったということだ。
飲みニケーションを始め、好きなスポーツや趣味に興じることが盛んなのは、無くなった境目を意識的に作ろうということである。最近の、バラエティ番組、お笑い番組が多くなったのも、「笑う」ことによって気持ちを転換したいからである。

この間はお気づきのように和の世界につながるものであるが、日本の芸能は全てこの間を土台に固有な文化となっていることは周知の通りである。和歌から始まり、能、狂言、歌舞伎、相撲、川柳、落語、・・・伝統芸能と言われているもの全て間の美学といってもよい。私は建築家ではないので分からないが、茶室のもつ空間の美学、禅語の「無一物中無尽蔵」という「引き算の美学」は間のかたちづくりであったと思う。京都町家や古民家ブームばかりか、単なるインテリアを超えて一般住宅の中にまで取り入れ始めている。

よりビジネス現場でいうと、間は「サービス」の原則そのものである。即対応、クイックレスポンスだけがサービスではない。懐石料理ではないが、顧客がどのように楽しんでいるかを考えながら、暖かい物は暖かいうちに、冷たい物は冷たいうちに食べてもらう、見事な間がある。間という時間はサービスの原則となっている。今、ビュッフェスタイルが人気となっているのは、好きな物をちょっとづつということとともに、顧客の食の取り方という間を顧客にまかせているからである。押し付けがましく、どんどん出されるレストランほど嫌なところはない。サービス価値とは、心地よい間を提供することに他ならない。(続く)

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